森の缶詰め

織末斗臣

『森の缶詰め』

 ある時、『倉庫』という部屋で『森の缶詰め』を見つけた。缶詰は今までにもたくさん見たが、『森の缶詰め』は特に大きかった。僕の両腕で抱えていっぱいいっぱい。大きさに比べて拍子抜けするくらいに軽い。僕はそれを自分の部屋に運んだ。運んでいる間、缶詰の中でカサカサと触れ合う音がしていた。


「缶詰を見つけたの?」と、アンディが言った。彼は僕のベッドを直しているところだった。新しいシーツに変えたり、枕カバーをひっくり返したり。アンディはいったん手を止めて、僕が抱えている缶詰に注目した。

「『森の缶詰め』!? それを開けるつもり?」

「うん。もちろん」と、僕は答えた。

「ここで開けるべきではないね。取説をよく読んで」

 缶詰のラベルに細かい文字が並んでいたが、僕はまだほんの一部を少し眺めただけだった。『取り扱い注意』という赤い文字は嫌でも目に入った。

「で、『森』って何?」と、僕は聞いた。

「あとでね」と、アンディは言って、仕事の続きに取り掛かった。

 僕に、その缶詰めを開けることはできそうもないと、アンディはわかっているようだった。プルトップじゃない缶詰には、道具が必要。

 僕は『森の缶詰め』を部屋において、また探検に出かけることにした。


 僕の世界はかなり広い。歩いても歩いてもどこかに突き当たったことがない。張り巡らされた何本もの道は複雑に絡み合い、道の両側にはたくさんのドアが並んでいる。ドアのほとんどは開かない。ドアというのは必要がなければ開かないのだと教わっている。

 でも、今日は、『倉庫』というドアを見つけて開けた。『学校』というドアを開けて以来のことだ。ドアを開けるときのワクワク感が僕を支配している。僕はドアのひとつひとつを掌で叩きながら、突き進んだ。


「そんなことは意味がないよ」と、僕の背後から声がした。

 機械猫のファーファだ。僕のお守役。というよりも、時間の守り役だ。「起きる時間よ」「食事の時間!」「学校へ行く時間だよ」「そろそろ寝る時間なんじゃない?」そんな風に僕に四六時中付きまとっている。

 で、ファーファは僕に「学校に行く時間だよ」と、叫んだ。天井の梁に絡みついてぶら下がったまま。


 『学校』は学ぶための部屋で、毎日一定時間、僕はここで過ごす。

 僕は机に向かって腰を下ろし、正面の壁を眺めていた。アンディがいない。彼がいないと学校は役目を果たさない。僕は横を向いて窓の外を眺めた。光が、輝く光の粒粒が、いつもと同じにひしめいている。

 僕は時々窓に向かって「僕はここにいるぞ!」と叫ぶ。光のひとつひとつに僕と同じような世界を持ったやつがいると思っているからだ。

「そんなことをしてなんになる? 誰にも聞こえやしない」と、機械猫のファーファは言う。そんなことはわかっている。じゃあ機械猫はほかの機械猫のことが気にならないのか? アンディはほかの世界のアンディのことが気にならないのか?


 その時、部屋の壁全体の様子が変化した。何かの映像が映し出されたのだ。茶色や黄色や緑色がごちゃ混ぜになったような気味の悪い絵だった。それはもぞもぞと動いていた。僕はその中に取り込まれ、体中を撫でられているような気がした。

「これは森です」という声が聞こえた。知らない声だった。

「惑星の表面に、出現することがあり、大きな役割を持っています。今は風が吹いていて、森全体が揺れています。風とは空気の流れで……。ときには上空から水が落ちてくることがあり……」

 誰かが見えないところで『森』についての説明をしていた。僕はおそるおそる立ち上がり『学校』を出て自分の部屋に戻った。


 ベッドの傍の床に、僕が置いた『森の缶詰め』がそのままあった。


 食事の時間にはまだ早かったが、僕はダイニングに向かった。アンディがそこにいるような気がした。アンディはいろいろなことを僕に学ばせてくれる。でも、僕が本当に知りたいことは、他にあるような気がしていた。いつもいつも。


 アンディはダイニングの横にある食糧庫の中で何かの作業をしていた。僕が声をかけると、アンディは急いで食糧庫から出てきた。

「まだ勉強の時間なんだけど」と僕は、アンディが何かを言い出さないうちに話し始めた。「アンディがいないし、いつもと違って様子が変なんだ」

 アンディは首を少し曲げて僕の顔を覗き込んだ。僕の倍くらいの背丈の彼は、僕と向き合うといつもそうやって僕を見る。

「『森』について学んだ?」と、アンディは聞いた。

「部屋が変だったよ。それに知らない声がした」

「あれは、記録映像。それに解説。忘れないために残してある」

「記録? なんの?」

「あなたの生まれた星」

「星って? あの光ってるやつ?」

「いいえ。光らない星。惑星よ。惑星は光る星の周りをまわる」

 僕は言葉を失った。頭の中で何かがぐるぐると回った。


 僕は走った。走って走って、終わりのない迷路の道を駆け巡った。僕がどこへ行こうと、機械猫のファーファが僕の居場所を必ず突き止めるから、僕が迷子になることはない。でもこの時はファーファが僕に追いつけなかったのか。僕は完全に一人ぼっちだった。


 『面会室』と書いたドアを見つけた。手のひらを当てるとドアは静かに開いた。

 小さな部屋だった。壁に一つの窓があるだけで、部屋の中には何もない。窓も普通とは様子が違っている。外が見えているのではなく、もう一つの部屋が覗けているのだ。

 僕がその窓に近づいた時、驚くことが起こった。誰かがそこに現れたのだ。白い顔をして全体が細く、長い髪を持っていた。腕は僕よりも長く、胸に膨らみが見えた。その人は僕に向かって手を伸ばした。手は窓ガラスにぶつかった。その人は僕に何かを話しかけたようだったが、何も聞こえてこなかった。


     *


「あなたは、生まれ持った免疫機能不全のせいで一生この施設の中で暮らさなければならなかった。外気に触れることができないのよ」と、アンディが言った。

 僕のために作られた施設は、まるで宇宙空間にいるかのように設定されていた。

「でもそれでずっと行けるとは思わなかった。『森の缶詰め』はひとつの合図。あなたのお母さんがあなたに会うために用意した。成長していくあなたは本当のことを知るべきだし、きっとその時は何かいい治療法が見つかっているかもしれなかったから」

 アンディはそして、僕にひとつの薬を示した。期待はしすぎないようにと彼は言った。僕ははじめて会った『お母さん』のことを考えていた。


     *


 新しい薬を試して一年が過ぎたころ、アンディが僕に缶切りを渡してくれた。

 『森』が内包する未知の環境を僕の世界に取り込み、僕の免疫機能を試す時が来た。僕は自分の部屋で床に座り込み、『森の缶詰め』と缶切りを手にしていた。

「もう私の役目は終わるのね」と、ファーファが言った。僕のベッドの上で長々と寝そべっている。「もう何もかも自分で決めるころよ」





    

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森の缶詰め 織末斗臣 @toomi-o

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