1-5




 ――意外と早く決まるかもしれないとか思った私が馬鹿だった。






「大変申し訳ありませんでした!」


 この一ヶ月、何度も下げた頭を今日も下げる。


 目の前にいる大柄な女性はそんなイースィの姿に大きく溜め息を吐き「ウチだって人手が欲しいから、クビになんかしたくはないんだけどねぇ……」と愚痴り、それから何があったのか聞いた。






 10日前に彼女が経営する果物小売店にバイトとしてディックに働いてもらうことにした。


 サボることはないし真面目に働いてくれていると、初日から高い評価と期待、それから感謝までされたところまで良かったのだ。


 ただ、当然だがディックは軍人。それも騎士長である。あまり決まった時間のシフトは入れないし、店が忙しい昼間なんて滅多に顔を出せない。




 それに――これは私の考えの甘さが悪かったのだが――彼は貴族だ。金の価値観が凡人とは違い過ぎる。




 例えば客が果物一個買おうとして5ベル払うと、彼は何故か果物を大量に渡したのだ。


 本人から聴取すると、その客があまりにも痩せていてたくさん食べさせてあげたかったから、と答えた。更に駄目なら自分のポケットマネーから足りない分を出すと続けたらしい。




 他にも、客が手に取って買わなかった果物を捨てるとか(ディック曰く「他人が触った食材を売るのは衛生的に良くないでしょ?」)、美味しそうと近寄ってきた子供たちに果物をあげてしまうとか(ディック曰く「食べたそうにしてたから」)など。




 ――挙げればキリがない。




 ディックのしたことは、まぁ、間違ってはいないのだ。


 ただ経営者としては損益でしかない行動に、店のオーナーがお怒りだと言う。




「優しい御仁だけどねぇ……今時珍しいくらい素直というか正直というか。でもウチも商売だし、そんなに余裕があるわけでもないから」


 悪いけど、と再び溜め息を吐くと、女性は踵を返して店の中へと戻っていった。


 その背中に何度も謝罪し、イースィもまた腹の底から大きく息を吐き出した。




「あれほど言ったのに……」


 ディックがクビになったのはこれで四回目。それも似たような事例ばかり。


 事務の仕事は周囲から頼まれた仕事をすべて引き受け、結局手が回らず期限を過ぎた資料ばかりを提出するはめになったり、工場での仕事は部署内での内輪揉めを仲介しようとして機材を壊してしまったりとか。




 だからこの果物小売店を斡旋するときに、事前に話したのだ。




 言われた仕事だけをすればいい、と。


 お金をもらったら、その分の商品を渡すだけです、と。




「なのに……なんでこうなったわけ!?」


 どうして余計なことするの!?


 それに騎士長って役職柄、普段部下に仕事を割り振ったり軍の経費とか目を通してたりするんだから、もう少し分別つかないわけ!?




 思わず叫びだしそうになり、何度も深呼吸して己を落ち着かせる。


「……どうしよ、自信なくなってきた」


 ははは……、と乾いた笑いを漏らす。




 ディックにはまず、転職よりも社会人としての常識、それから仕事とは関係ないことが起きたらまず相談、ということをたたき込まなければいけないかもしれない。


 そこから教育しなければいけないのか、とちょっぴり涙が出そうになった。






***






「――これにて班長会議は終わり! はい、みんなお疲れさまでした!」




 パン、と手を叩いて解散を告げれば、みんなさっさと会議室を出て行く。


 ……また減ったなぁ。


 会議に参加してくれた班長たちの背中を見送りながらぼんやりと思っていると、カツカツと近づく怒気を含んだブーツの音。


 振り返って「ファナ、どした」と問えば、彼女は眉を顰めた。




「あんたは騎士長よ。どうして怒らないのよ」


「会議に出てない班長のこと?」


「分かってるならどうして言わないわけ? 会議に参加しないなんて……いまだ帝国に不穏な動きがあるのは分かってるはずなのに!」




「……」確かに軍人が会議に参加しないなんてこと、本来ならあり得ないだろう。でもその反面、仕方ないなとも思っている。


 英雄であり騎士長であるディックは竜に乗れない。高所恐怖症だなんて、部下たちからすればとんだ笑い種であり、従う必要なんて微塵も感じられないのだろう。




 特に班長クラスは貴族が多い。矜恃プライドが許さないはずだ。


 実際、今回のこの会議に参加したのは平民から成り上がった第4班班長ファナと、昔から付き合いのある第2班班長アラン、それから第1、第7班班長しか出席していなかった。




「ハァ……あんまり空気悪いの嫌なんだけどなぁ」


「そう思うならしゃんとしてよ! 変な物作ってないで、もう少し騎士長らしく、」


 ぐちぐち説教を始めたファナの言葉を聞き流しながら、膝の上で丸くなって寝ているイルの頭を撫でていると、不意に幼竜はピクリと反応したように頭を擡げる。




「――ディック、裏口から血のニオイがするよぉ?」


「!」


 二人の行動は早かった。


“裏口”はこの建物の裏にある。そして会議室は3階。わざわざ部屋を出て階段を使うよりもこっちが早いと、二人はそれぞれ窓を開けて手をかけると同時に飛び出した。


 タンッ! と膝を曲げて衝撃を緩和し、すぐに駆け出せば裏口はもう目前だ。




「ふ、ぅ……っ、ぁ、っぐ、」


 裏口は緊急用以外で封鎖されているため、その柵に寄りかかる軍服の青年が呻いているのが聞こえる。


 ディックとファナは視線だけで会話すると、ファナは懐から短剣を取り出し周囲を警戒し、ディックは襟元に口を寄せて通信機へ「裏口にて負傷兵一人保護。至急、救護班と応援頼む!」と伝令しながら青年の元へと近づく。




「イル、ファナと一緒に索敵頼む」


「分かったぁ!」小さな羽でパタパタとゆっくり宙から飛んできたイルは、ファナの肩に止まると小さな耳と尾でアンテナのようにピンと立たせた。


 そしてディックは久しぶりに嗅いだ、濃い血のニオイに吐き気を覚えながら彼を介抱する。




「大丈夫かい、君? 名前は言える? 所属は?」


「っ、ぅ……ディッ、ク、きし、ちょ………! これ、を――」




 軍服はドゥーワ王国の軍人に支給されたもので間違いないのだが、腕章も何もついていないから所属が分からない。ただウチの部下じゃないことに半分安堵していると、青年は震える手で握っていた、小さく破れた紙を渡してきた。




「?」紙は血に濡れ、文字に滲んで見えなくなっていた。ただ、紙と一緒に重なっていた何かが地面に落ち、それを拾って目にすれば――思わず息を呑んだ。




 黒地に紅い十字架を宿り木代わりに止まる、火の鳥が描かれた“栞”。




「騎士長殿! 負傷者は!」


 身に覚えのあるそれを咄嗟にポケットに突っ込んで隠すと、やってきた救護班へ場所を譲る。


「意識は辛うじて――」「出血がひどい、」「この場で応急処置を、」


 救護班たちの邪魔にならないように離れ、そこへファナとイルが戻ってきた。




「あのねぇ、ディック。追っ手はいないみたぁい」


「……不自然だわ。そこの負傷兵、スパイじゃないでしょうね」


 ファナ、と窘めるように名前を呼ぶと、彼女は眉を顰めた。




 言いたいことは分かる。


 これほどの傷を抱えて長距離は移動出来ない。だとすれば、負傷兵が傷を負わされたのは間違いなくこの街で、だ。




 街に魔物がいたらすぐにディックに連絡が来るし、何より警備兵が動くだろう。そんな伝達もなかったし――それからこの負傷兵の腕章がない、というのも気になる。




「スパイじゃないけど、内偵調査してた兵士って感じかな?」


「なら、尚更おかしいわ」


 内偵がバレたのに、半殺しに留めてみすみす見逃した“人間”がいる。


 ここに追っ手がいないということは、わざと逃がしたのだろう。




「……内偵を任せた部署のお偉いさんへの当てつけかもね。次また探ろうとしたら潰すぞって」


「どこの部署がどこと喧嘩売ってんのよ……。何も知らないわけ?」


「知ってたら報告するし、ここで黙って隠す意味ないよ。――はぁ~。今から緊急会議かもなぁ。ヤだなぁ。俺また嫌味とか言われそう……」


「自業自得じゃない」


「そうなんだけどさぁ……」




 ファナからディックの肩に移ってきたイルが、すん、と鼻を鳴らしてディックのポケットへ視線を向けかけ、それを止めるように強引に頭を撫でる。




「とにかく、あとは緊急会議で決まらないことには何も分からないわね。――今回班長会議に出席しなかったやつらの首根っこ掴んで引っ張り出すから、ちゃんと報告書作りなさいよ!」


「はい!」ファナの鋭い目力に負けて敬礼して返事すれば、彼女は気が済んだように宿舎へと帰っていった。




 その背が見えなくなるまで見送ると、脱力したようにうなだれる。


「報告書かぁ……メンドクサイなぁ……」


「ねぇ、ディック」


「ん~?」


「なんで隠したのぉ?」


「……」イルの指してる“隠し事”は“栞”のことだろう。転職のこともまだ言えてないけど。




 ディックは宿舎への帰路につきがてら、これは俺とイルだけの秘密にして欲しいと頼む。




「ひみつ? おばあちゃんにも?」


「ばぁさん意外と口軽いから。男同士の秘密ってやつな」


「ぼくとディックだけの、男のひみつ……!」


 何故かキラキラ目を輝かせ「分かったぁ!」と喜ぶイルに苦笑する。




 ……ばぁさんはキリア王女にすぐ告げ口するから、この“栞”のことは絶対に言えない。




 黒地に紅い十字架を宿り木代わりに止まる、火の鳥の紋様――それはベーテ帝国の国旗に描かれているものと同じだ。


 それを栞にして常に持ち歩いている人物に、不幸にもディックは心当たりがある。


 更に言えば、おそらくあの負傷兵をわざと基地まで逃したのは、この栞をディックに見せるためだろう。


 負傷兵が来たのは竜騎士の宿舎裏だし、勘違いではないはず。




 ――どうしたものか。




 あれは『密会』の誘いだ。前に会ったとき、そういう約束をしたから。




「はぁ~……」


 憂鬱だ。


 なにもかも投げ出して、逃げたい。


 でも、出来ない。




 ここにアイズがいれば――。そんなことを考えそうになる自分を内心叱責する。


「頑張らないと」


 意気込みだけが、空回る。


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