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 部屋から飛び出したディックは、廊下を駆けながら上着の襟元に取り付けられた通信機の電源を入れる。


「――こちらディック、状況は!?」

《ディックさん、街の上空で大岩鷲イーグロックの群れが暴れてます! 現在当直の第2班が先行して対処に当たっていますが、数が多すぎて手が回らないようです》

「じゃあ4班回して! 俺もそっち行く!」

《え、でも》

 狼狽える部下の声を遮断するように通信を切ると、顔の横で飛んでいたイルが首を傾げた。


「大岩鷲? この辺りって住処ないよねぇ?」

「大方“敵”さんの嫌がらせだろ。住処の山を崩したりとか、餌である地蔵亀タートパスを狩り尽くしたとか」

「ひっどぉい!」

「それよりもイル、役割は分かってるな」

「うん! ぼくはまだ戦えないから、弱った飛竜に魔力提供する、だよねぇ!」

 覚えてて偉いぞと頭を撫でてやれば、嬉しそうに目を細めて甘えてくる。


 階段を駆け下り、玄関を出て右側。厩舎と訓練場が見えてくると、すでに整列して今にも飛び立ちそうな飛竜とそれに乗る騎士たちの姿があった。

「うぉ~い! ファナぁ~!」右手を挙げて自分の存在をアピールすれば、騎士の何名かは眉を顰める。その先頭に立っていた美しい紅色の飛竜に騎乗していた一人の女性が「ディック!?」と慌てて愛騎から降りた。


「ちょっと何しに来たのよ! あんたは部屋でふんぞり返ってればいいっていつも言ってるでしょ!?」

 愛騎と同じく艶やかな真紅のポニーテールと大きな胸を揺らし、つり上がった目を更に鋭くして睨んできた。

「そういうわけにはいかんでしょ。――お、ローズも元気そうだ」

 よしよしと撫でてやると嬉しそうに鼻を近づけてきたので、そこも撫でてやる。「私のローズを誑かさないで!」とすぐに邪魔されてしまったが。

「いいじゃん、暇だし。俺、責任者だよ?」

「そうだけど―――でも何も出来ないでしょ」

 目を逸らして気まずそうに言い放った彼女に、ディックは確かにそうだけどと苦笑いする。


「指示は出来るから!」

「飛ぶことも出来ないくせに? 指示なら班長である私たちで出来るわ」

 冷たく突き放すと、ファナはローズに騎乗し指示旗を上空へと掲げる。

「――第4班、出撃!」

「「応ッ」」

 先導するように飛び上がると、続くように彼女の部下たちも一斉に飛び立つ。その様を寂しそうに見上げていると「ディック」とイルが声をかけてきた。

「ディックはまた飛べるよぉ! そしてぼくの背中に乗せるんだから!」

 だから安心して、という慰めに困ったように笑みで返すと後ろから足音が聞こえて振り返る。息を乱しながら駆け寄ってきたのはシーウィだった。


「っ、はぁ、はぁっ……!」ディックの側に着いてもすぐにしゃべれそうにない彼女の肩から、黒髪を掻き分けて現れた紫色のスライムが代弁する。

「突然飛び出して行ったから、心配で追いかけて来たんじゃ。……問題ないと言ったんだがのぉ」

「あぁ……それは悪かった。ちゃんと説明しとけば良かったですね」

「はぁ、はぁ……―――ディックさん、貴方は」

 おそらくディックが上着を着た時点で、なんとなくは察しがついてるはずだ。特徴ある制服だし、なによりも胸元の立派な勲章は隠せるものじゃない。

 だから答え合わせも兼ねて、ディックは改めて自己紹介を始めた。



「俺はディック・メゾン。メゾン公爵家の次男で――ここドゥーワ王国国軍北域基地で竜騎士長やってます」



 宜しくね、ロッサさん。

――“北域の英雄”と呼ばれた男は、握手を求めるように右手を差し出した。


***


“北域の英雄”――それをこの国で知らぬ者はいなだろう。


 ここドゥーワ王国は5年前、北方の隣国であるベーテ帝国と戦争をしていた。

 特にこの北域は前線基地となり、日々激戦を繰り広げていたそうだ。

 その際に活躍したのが竜騎士だった。


 まだ軍内部でも新しく設立したばかりの騎士団は手に余っていたようで、上手く情報の伝達や指示回しが出来ずに多くの飛竜と騎士たちが命を落としたという。

 その中で最も活躍したのがディック・メゾンという、当時ただの竜騎士だった少年だ。


 上官を次々に亡くした彼は指示旗を手に、愛騎の飛竜と共に空を駆け回り。魔弾砲や帝国の竜騎士をもろともせず、帝国の敵将を討ち――戦争は終結した。

 今や帝国とは同盟関係にあるものの遺恨は残っており、国境近くでは小競り合いが続いているというが。



「名前を書類で見たときにまさかとは思っていましたが……」

 英雄と祭り囃された彼のその後の活躍が耳に届くことはなかったが、それは戦争がなくなったからだと思っていた。

「――英雄は落ちたんですよ、文字通り。俺はもう竜に乗れない」

「それは……愛騎を失ったから、ですか?」

 ディック・メゾンの愛騎は夜明けのような色をした飛竜だと聞いたことがある。しかも名前は『アイズ』だったはずだ。今ディックの隣にいるイルとは一つも当てはまらない。

 そして彼の愛騎は戦争で亡くなった――。


「噂ってすごいなぁ。別に隠してはなかったけど、そんなことまでに筒抜けとは……たはは」

「いえ、その……すみません」

「いいさ、本当のことだし。――でもこれはオフレコにして欲しいんですけど、俺『高所恐怖症』になっちゃって」

「!」

「俺の心が弱かったんです。でもどうしても、怖くなっちゃって」


 戦争が終わり、仲間や相棒を失った悲しみが落ち着いた頃――任務で飛竜に乗る機会があった。愛騎ではない予備の飛竜に騎乗したとき、地面がやけに遠く感じて足元からぞわぞわと怖気がせり上がり、平衡感覚を失って吐き気が込み上げた。


「何度も試したんですけどねぇ……ダメだった。俺は竜騎士としてはもう終わってる。だけどメゾン家の人間ということ、英雄であること。そのせいで俺は今日まで、飛べないくせに竜騎士長の椅子に座ってるんです」

 公爵家メゾン一族は、名だたる騎士を輩出している王国設立から王家と親しい貴族だ。

 地位も名声も申し分ない彼を、例え役立たずに成り下がったとしても除籍することは出来なかったのだろう。

「なるほど、それで――転職依頼の手紙を送ってこられたのですね」

「軍辞めたら実家に監禁されそうだし。こっそり転職して、お金貯めたら国から出てこいつらと細々暮らそうかと」

 こいつら、とイルとスライムを見て彼は言った。


 監禁とか物騒な単語が聞こえたが、貴族にも色々事情があるんだろうと無理矢理納得することにし、シーウィは疑問を口にする。

「お金、ないんです?」

 戦争での功績、それから竜騎士長として貰ってきた給金は莫大なものだと思うのだが。


「――ディックには浪費癖があるんじゃ。部屋の壁に置かれた薬品、見たろぉ?」

 答えたのは何故かスライムの方だった。

「薬品? ああ、ありましたね」

「あれは全部ディックが作った、ドラゴン専用のおやつとか餌とか飲み物じゃ」

「は?」

 いまいち言われてることが理解出来ずにいると、今度はディックが照れくさそうに話し始める。


「いやぁ、やっぱドラゴン好きとしては厩舎にいる飛竜たちに粗末な物食べさせたくないじゃないですか! だから俺特製の特別ブレンドというか。趣味で作ってるんだよね!」

「ディックの作るご飯は美味しいんだよぉ!」

「自分の寝食すら忘れてのぉ。ちなみにあのプライベートルームは、ドラゴン専用の食べ物を作る研究室兼ディックの住処じゃ」

 一瞬頭がくらっとした。

「え、じゃあディックさん。……今貴方が自由に出来るお金って」

「実は実家からも仕送り貰ってるくらいには―――金がないんだ!」

 実家に戻りたくないくせに実家から金せびってるのかこの男!

 たははっ、堂々と笑うディックにシーウィはついに頭を抱えた。


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