竜騎士長様は高所恐怖症につき!
くたくたのろく
1.北域の英雄
――今でも覚えてる。
空を駆ける飛竜たちが、騎乗してる兵士と共に煙や炎に巻かれて落ちていく様を。
澄み渡った青い空に、いくつの悲鳴や命乞いを聞いただろうか。
それでも俺は部下たちに「進めぇ――っ!」と指示旗を前方に振りかざす。
逃げたい。
死にたくない。
落ちたくない。
あれほど好きだった“空”はもう、地獄でしかなかった。
***
シーウィ・ロッサは目の前にそびえ立つ建物を垂れ下がった深海色の瞳で見上げ、それから手元の書類を確認し――そしてまた建物を見上げた。
「ほ、本当にここなの……?」
書類の住所はここで間違いない。だけど彼女が疑うのも無理はなかった。
シーウィはずれ下がった眼鏡を中指でくいっと調整し、一つ覚悟を決めると建物の玄関口へ足を進めた。
【ドゥーワ王国軍北域支部・駐留基地】
本来シーウィのような一般人が尋ねるような場所ではない。まして軍部入隊志願者でもあるまいし。
ではどうして彼女がここにいるのか。
――もちろん、仕事だ。
廊下ですれ違う屈強な戦士たちから奇異な目を向けられ、居心地の悪さに右手首のミサンガを弄ってしまう。昔は綺麗な褐色だったのに、今では触りすぎて黒ずみヨレヨレになってしまったが……。
「ここね」
5つほど階段を上がった先、左から4つ目の木製のドア。ネームプレートに『プライベートルーム』という字を確認し、それから書類に書かれていた通りにノックする。
最初は三回。2秒置いて五回。そしてドアノブを右に90度回してから左に回すと――ガチャリと複数の歯車がかみ合う音と共にドアが開いた。
恐る恐る中に入ると、ぶにゃりとブーツが何かを踏んだ。
「ひぎゃあっ!」
得体の知れないものを踏んだことへの驚きと、気味の悪い感触が恐怖となって不細工な悲鳴をあげたシーウィに、
「――――」
「なんだい、失礼な人間だね。匂いからに若そうな肉だし、礼儀も知らないのは無理もないんかねぇ」
な。
なんだ、この生き物は!?
魔物に見える。スライムっぽい。でもスライムはしゃべらない。知性がないから。
そもそも『匂いからに若そうな肉』ってなんだ。スライムには嗅覚なんてないはず。
というか、声。口もないのにしゃべってるのかこのスライム。どういう仕組みなの。なんでスライムがしゃべれるの。
目の前の現実を受け入れきれずに硬直していると「ふんっ」と怒って部屋の奥へと消えた。
――部屋。
シーウィは茫然自失のまま、顔を上げた。
天井に付くほどの紙の束たち、乱雑に放られた本と服。壁一面に本棚があるのに、置かれているのは本ではなく何かの薬品がずらりと並び。ソファには割れた鏡が寝かされ、窓には黒いペンで謎の数列が埋め尽くされている。
それよりも何か腐ったような臭いがするのは気のせいだろうか……?
「…………」
――ここは地獄かな。
今すぐ部屋から出て職場に引き返したい気持ちにかられたが、そういうわけにもいくまい。
唯一机の一部が片付けられており、そこには誰かが枕を顔に押しつけて「すぅすぅ」寝息を立てている。十中八九、そこにいるのが仕事の依頼人だろう。
部屋の感じからして学者か研究者。そんな人が一体どんな用件なんだろうと思いつつ、今にも崩れ落ちそうな紙や本のタワーを避け、足場に気をつけながら机へと近づく。
「あ、あの」
「ディックに用事ぃ?」
爆睡してる人に声をかけた直後、その人の後ろからひょこりと顔を出す愛嬌のある顔。
「ひ、飛竜の子供!?――わぶっ」咄嗟に大声で叫んだ直後、顔に何かが飛びついた。
「うるさい小娘! ディックが起きるではないか!」
しゃがれた老婆の声――さっきのスライムか!
粘度のあるそれが顔にフィットして息が出来ずに藻掻いていると、「おばあちゃん、そのヒト死んじゃうよぉ!」とスライムを剥がしてくれた。
し、死ぬかと思った――――!
ぜえぜえ息を整え、ずれた眼鏡を中指で戻して再び確認する。
机の上に突っ伏して枕に涎を垂らしながら眠っている人の頭上で、全身真っ白の小さな竜がスライムを宥めていた。
「殺すつもりでやったからの~」
「そんなことしたらディックが怒られるんだよぉ?」
私が殺されたら、ディックっていう人? が怒られるだけで済むのか。
というか、殺す気だったの!?
「そもそもイル、おぬし人間に姿を晒していいのかい? この小娘、おぬしを攫いにきた悪党かも知れぬぞ」
イル、と呼ばれた飛竜は大きな瞳をぱちくりして満面の笑みで答えた。
「そしたらディックがこのヒト殺すだけだよぉ!」
かわいい。なのに言ってることが恐ろしいんだけど。
確かに飛竜は数多くいるけど、子供で、しかもこんなに真っ白い飛竜は見たこと無い。翼も瞳も綺麗な白色だ。
だけどここは帝国軍の駐留基地で、おそらくこの飛竜も軍の所有物だろう。すぐ捕まって処刑されるのが分かってて盗むわけがない。
……とりあえずもう帰りたい。職場じゃなくて家に帰りたい。そして布団に潜って寝たい。
目の前で物騒な会話をする生き物たちを遠い目で眺め、脳内現実逃避をしていると。
「――そうだ、ゴーヤジュースに干し肉入れればいいんだ!」
がばり、と。謎の発言と共に寝ていた人物が体を起こした。
生え放題の無精髭。ボサボサの髪。ヨレヨレしわくちゃのシャツを纏った男だ。
彼は目の前にいるシーウィを見てぽかんと口を半開き状態で硬直し、それからおもむろにスライムへ顔を向けると「ばぁさん、今日って何日だっけ」と質問した。
「スティグマ歴509年5ノ月と6ノ日。現在時刻は正午を回ったところじゃ」
「ディック約束あるって言ってた日だぁ!」
「約束……? 約束、約束――――――ああっ!」
ぼりぼりと首の後ろを掻いていたディックは思い出したように席を立ち上がると、わけも分からず様子を見守っていたシーウィへずいっと顔を近づけた。
「あ、あの……」近い! 顔が近い!
思わず後ずさりしかけた彼女の両手をおもむろに掴むと、自分の方へ引き込んで机を挟んで抱きしめられた。
「は、はぇっ!?」
「俺の救世主よ、待ってました! さぁ俺を助けてくれ! 俺のこの窮地を……いや別にそこまで窮地ではねぇーけど……とにかく俺をこの場所から解放してくれぇ!」
――なにを言ってるんだろう、この人。
「あの、ディック、さん? とりあえず離してくださ――」
「すんすん。……ふむ、良い匂いがする」
どさくさに紛れて首元のニオイを嗅がれたシーウィの平手打ちが炸裂した。
「良いか、イル。ディックのような馬鹿になってはならん。女性から見れば整えていない髭は不潔だし、突然抱きついてニオイを嗅ぐなど……ただの変質者じゃ。それこそ兵士に捕らえられ、一生『変態』と指差されて生きていくしかないのぉ」
「分かった! ディックは『馬鹿』で『変態』なんだね! ぼくもそうならないようにがんばる!」
「―――お前ら、頼むから傷を抉らんでくれ」
再び席に着いたディックは痛む頬を撫で、それから目の前で冷め切った深海色の瞳で見下してくるシーウィへ気まずそうに顔を向ける。
「あの、本当にすみませんでした。ちょっと調子に乗って、というか寝ぼけてたというか」
「言い訳に興味ありません。事実が全てです。――このような変質者が軍内部にいるなんて……。幸いここには兵士がたくさんいますし、適当に廊下へ出て誰かに話をすれば」
「いやあの、本当にそれだけは勘弁してもらいたいんです! これ以上肩身狭い思いしたくない! 実家に戻される! 親にどやされる!」
涙目で懇願されても、彼の発言にますますディックの印象はどん底に急暴落していく一方だ。
不快感を顕わにしながら、シーウィは大きく溜め息を吐いて手元の書類へ視線を落とす。
「とりあえず兵士に引き渡すのは依頼の話を聞いてからにします」
「聞くだけ聞いて、その後は牢にぶち込む気満々なのね!」
「――確認ですが、貴方が依頼人のディック・メゾン殿で間違いありませんか」
「無視! 無視された! よく部下にもされるけど、無視って慣れないんだよ! 心痛いんだよ!?」
面倒くさそうな、冷ややかな眼差しを向けられ、ディックは「はい、俺が依頼した者です」と大人しく答えた。
それに満足して頷くと、シーウィは懐からケースを取り出すとそこから一枚の紙を机に置く。――名刺だ。
「この度は【
名乗るのが遅くなり、申し訳ありませんでしたと気持ちのこもっていない謝罪をされ、ディックは名刺を受け取りつつ苦笑する。
「いや、俺が全部悪いんで」
「そうですね、分かっています」
「……」
「ねぇ、おばあちゃん。ディックは謝ってるのに、もう許してもらえないのぉ?」
「それだけのことをしたということさ」
「お前ら本当に黙ってて!」
再び涙目になって飛竜の子とスライムへ叫ぶと、それからディックは机の引き出しを開けて「あれ」とこぼす。
「あー、いやぁ……名刺切らしてたわ。すみません、ロッサさん。自己紹介だけでも構いませんかね?」
無い、というより無くしたのでは? と部屋の惨状を一瞥して思ったが、わざわざそれを言ったところで名刺はもらえないし、別に依頼人の名刺を欲しいわけではないので構いませんと返す。
「えーと、じゃあ俺の名前は知ってるようだし。今の職業は――――」
ジリリリリリリリリリリリリリリリリリリリッ――――!!
彼の自己紹介を遮って、部屋中に鳴り響く警報。
何事かと怯むシーウィと違ってディックの行動は早かった。
「ばぁさん、ロッサさんを守ってあげて!――イル、お前は俺と来い!」
「ふん、気は乗らないけど仕方あるまいさ」
「わぁ! 久しぶりに部屋から出られるぅ!」
「え、ちょ――」戸惑うシーウィをよそに、椅子の近くに落ちてた上着を羽織ったディックは飛竜の子と一緒に部屋へ飛び出していった。
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