事件はどこに

高梯子 旧弥

第1話

 頭部から流れた血液が絨毯を赤黒く染める。

 すでに血液は凝固し、触れても手に付着することはなかった。

 彼女はうつ伏せになっており、死に顔を拝見することができない。

 甲斐かいはポケットからスマートフォンを取り出し、警察に通報した。警察が来るまでの間が彼女と過ごす最期の二人きりの時間だと思うと、不謹慎ではあるが愛おしく感じた。


「被害者は奈南なみなみなみさんで間違いないですか?」

 甲斐は肯定する。第一発見者として事情聴取を受けなければいけないだろうとは思っていたが、これはなかなか精神衛生上良くない気がする。

 犯人でもないのに犯人だと仮定されて話を聞き出されるのは何とも気持ちが悪い。

 とはいえ、警察も仕事でやっているのだし、多少の我慢は必要だと自分に言い聞かせ、聞かれたことに淡々と答える。

 彼女とは交際関係にあったこと。今日彼女の家に遊びに行く約束をしていたこと。その他にも彼女や甲斐のプライベートなことまで話した。

 一通り話を聞き終えた後、その日は警察署まで行き、指紋と連絡先を押さえられてから解放された。

 数日後、警察が訪問し、署までの同行を願われた。いわゆる任意同行なので断ることもできたけれど、断ると何かやましいことがあるのではないかと思われそうだから付いて行くことにした。

 悪いことをしたわけでもないのにパトカーに乗せられるのは何だか落ち着かなかったが、初めて乗るパトカーに少し興奮しているのも事実だった。

 車内では甲斐の両脇に警察官が座り、挟まれる形となった。

 狭い車内で警察官に挟まれるのは圧迫感があり、普段はしない車酔いをしそうになる。

 パトカーが警察署に着く頃にはそんなに暑い季節でもないのに背中が少し汗ばんでいた。

 警察署内に入ると、取調室と書かれた部屋に通される。ドラマなどでよく見る場所だと思うと、ここでも少し興奮した。

 甲斐は中で少し待つよう言われ、パイプ椅子に腰を下ろし、じっと待つ。

 しばらくすると二人の警察官が室内に入ってきた。

 ばんと名乗るほうが甲斐に質問し、もう一人のくれと名乗るほうが記録を取る係みたいだ。

 最初のうちは事件当日と同じことを訊かれ、またかとうんざりしながら答えた。

 呉が前回の発言と差異がないか確認しているのか、甲斐のほうを見ずに手元のノートパソコンを見つめている。

「被害者が殺害されたのは通報があった一日前くらいの午後一時頃でした」

 死亡推定時刻が割り出されたのであろう。甲斐を見据えながら告げる。

「そんなに前なのですね。しかし妙ですね。前日には私とメールのやり取りをしていたはずですが」

 死後一日近く経っているというなら甲斐は誰とメールのやり取りをしていたというのか。少しこわくなった。

「そうなんですよ。メールのやり取りがあったのは内容も含めてこちらも把握してます」

「それじゃあ私は一体誰とメールをしていたのでしょう? もしかして犯人とか」

 笑えない冗談だが、番も「可能性としてはあります」と言うので背筋を悪寒が走る。

「被害者のスマートフォンにはロックをかけておらず、誰でも操作できる状態でした。被害者はいつもあんな感じで?」

「ええ。彼女はロックを解除するのが面倒だと言ってロックをかけていませんでした」

「ベランダの窓も鍵がかかっていたのですが、それもいつものことで?」

「ええそうですね。面倒くさがり屋だったので、そこら辺は無頓着だったと思います」

「一人暮らしの女性。ましてやマンションの一階に住んでいたのですから少しは防犯面で用心しても良さそうなんですがね」

「私も注意はしていたのですが、なかなか聞いてくれませんでしたね」

 苦笑しながら話す甲斐に番はにこりともすることなく続ける。

「被害者のお宅はずいぶん変わった構造をしていますね」

 唐突に切り口が変わった質問をされ、一瞬間が空いてしまった。

「……変わったとは?」

「あれ? ご存じないですか?」

 何か腹の内を探られているというか、鎌をかけられているような気がして気分が悪かった。

 しかしここで変にすっとぼけてしまうと疑われてしまう気がしたので、ここは素直に答える。

「……床がひっくり返ることですか?」

「そう、それです。あれはどんでん返しと言うんですかね。驚きましたよ」

 ここでようやく笑うような素振りを見せたが、よくよく見ると目が笑っていない。ここで気を抜いてはいけないと思った。

「あの装置の名前は知りませんが、私も初めて知ったときは驚きましたね」

「そりゃそうでしょうね。ちなみにそのからくりのある床の上に敷いていた絨毯っていつからあったかご存じですか?」

「絨毯ですか。あんまり意識したことがなかったので記憶にありませんが、引っ越したときから敷いてたんじゃないですか? 絨毯ってそんなに後から買い足す物でもないですし」

「僕もそう思います。でもですね、そうだとしたらおかしいんですよ」

「おかしい?」

「ええ。そんな長いこと絨毯を使っていたらその上に載っていた椅子の脚の跡なんかがついていてもおかしくないと思うのですが」

「椅子を上に置き始めたのは最近なんじゃないですか?」

「かもしれません。しかしそれよりももっと合理的な理由があるかもしれません」

「合理的な理由?」

「ええ。例えば床からの冷気から守るため、とか」

 途端、部屋の中は寒くないはずなのに、足先が冷たくなったように感じた。

「あの床下に何があったかご存じですか?」

「いいえ」

「ドライアイスですよ。それも床下いっぱいのね」

「ドライアイス? 何でそんな物が床下に?」

「おそらく死体を冷やすためでしょう」

「死体を冷やす? 何のために?」

「死亡推定時刻を特定しにくくするためじゃないですかね」

「なるほど。となると、先程の死亡推定時刻と実際のものとは違う可能性があると?」

「そうですね。なので本当の死亡推定時刻はこれから詰めるとして。甲斐さん」

 いきなり名前を呼ばれて緊張で身体が硬くなる。

「あなたは通報を受けた前日は確かに被害者のお宅には行ってませんが三日前には訪問されてますよね? それも大きなスーツケースを持って。何しに行ったのですか?」

 射るような番の眼光に、甲斐の眉間が撃ち抜かれる。

「はい。ただ遊びに行きました」

「大きなスーツケースを持って?」

「……はい」

「なるほど。では念のため、そのスーツケースを拝見させて頂いてもよろしいでしょうか?」

 有無を言わせない圧力に心臓が大きく跳ねる。

「え、あれは、もう家にないです」

 せめてもの抵抗をするが意味などなかった。

「それは家宅捜索させてもらえばわかりますので。もしかしたら被害者のも甲斐さんの家にあるかもしれませんしね」

 その言葉を聞いたときにもう駄目だと思った。これ以上隠したって無駄だ。そう思い、自白する。

 死体から頭部を切り離し、恋人の形見として持ち帰ったことを認めて話した。

 しかしそれを聞いた番と呉が少しおかしそうに首を傾げる。

「あまり腑に落ちないのですが、殺したのに愛していたのですか? 憎いから殺したのではなく?」

「待ってください! 私は頭部こそ持ち帰りはしましたが、殺してはいません!」

 二人はどういうことだと顔を見合わせている。

「死体の一部を持ち帰るのも犯罪だってわかってはいたんです。でもどうしても波と離れたくなくて」

 半分泣きながら訴えかける甲斐に困惑する二人。

「えっと、では殺した犯人は別にいると?」

「わかりません。私が見た時には前頭部から血を流して倒れていましたから。それが殺されたものか事故によるものなのかは判断できません」

 甲斐が必至な形相で訴えかけるのが功を奏したのか、まるっきり出鱈目を言っているとは思っていないようだった。

「それに女の私が彼女を撲殺やらで殺せるほどちからがあるように見えますか!」

 甲斐は二人の前に腕を差し出した。華奢な腕で、とても人を殺せるほどのちからが出せるようには見えない。

 二人は一度話し合うためか、部屋を出て行った。

 一人になった甲斐は誰にもばれないように心の中でガッツポーズをする。

 正直、危うい賭けではあったがどうにか賭けに勝った。

 これでも頭部を持ち帰ったことは事実なので、罪にはなるだろうけど、殺人のほうは立件されないだろう。

 日本で一番無能な警察と呼ばれるこの県でなら人を殺してもばれない可能性が高いと見込んできたが、こうもうまくいくとは。

 これであとは恋人を殺されて心神喪失だと診断されるよう仕向けて、あわよくば無罪をもぎ取るだけだ、と心の中で高笑いした。

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