第34話 もう少し夢は続いていく
絶望華による悪夢の事件から三日が経過した。
その日の午前中、俺は診療所で仕事の手伝いをしていた。薬草の匂いが充満する診察室でのことだ。
その内容は、ティエル先生が患者を診察して得たその症状を、用紙に書き写していくというものだ。
「はい――もう大丈夫でしょう。いたって健康そのものです。仕事を再開なさって問題ありませんよ」
「……おお、そうですか。よかったよかった。先生、この度はありごとうございました」
椅子から立ち上がったガタイのいい男性は、今までの話から推測すると、なんでも土木作業員らしい。彼は衰弱者の一人であったが、もうすっかり良くなって元気を取り戻し、仕事の再開が出来ることを大いに喜んで診察室を後にした。
用紙の記録をまだ終えていない俺を、ティエル先生は黙って待ていて、時計を目にしたのかこんなことを口走った。
「……おや、もうこんな時間じゃないか、ホロム君の勤務は……確か昼休みまでだったよね。それが書き終わったら、もうあがってくれていいからね……」
「はい…………」
それから数十秒、
「ティエル先生、記録が書き終わりました」
「うん、ご苦労様……」
先生は記録に不備がないか目を通しながら話を始める。
「しかし、何だったんだろうね~~あの衰弱病は……結局原因もわからず、ある日をさかいに勝手に治まってしまったし、出来ることなら治療の術を見つけたかったんだけど……」
「……さぁ、何だったんでしょうね」
さり気なく惚けておくことにした。
「――ああ、ごめんね。変なこと口走ったね。患者さんが良くなってくれたのは、医者としては大変喜ばしいことに変わりはないよ。けど、僕個人としては全然腑に落ちないんだ。なんか勝ち逃げされたみたいでさ……」
先生は少し悔しそうだった。
「……そういえば、まだアイツは入院中ですか?」
「……ああ、うん、彼ならまだ入院してるけど、問題はないよ。明日には退院させてあげるつもりさ」
「そうですか……」
「変える前に、顔を見に行ってあげるといい」
「そうします」
先生が机に用紙を置いたところを見ると、記録に問題はないようだ。椅子から立ち上がって、凝り固まった身体を軽く伸ばしたりしていた。
「……それじゃ、今日は失礼します」
「うん、お疲れ様……」
俺は診察室を後にして、入院中のアイツのいる病室へと向かっていく。
コツコツと廊下を歩いていき、その病室に行きついた。
引き戸を開けて中に入ると、ベットの上で風景画集に目を通していた男が訪問者である俺の存在に気が付いた。
「誰かと思ったらホロムか……ノックくらいしてほしいな」
「……ああ、ノックか、忘れていた」
緊張を解いて――また風景画集に目を落としたのは友人のイルフド。
路上で眠っているところを通行人が発見し、そのとき現場の惨状によって何らかの被害を受けたのだと誤解されて、診療所に運び込まれたのだが、特に身体に異常もなく、誰もあの現場の真相を突き止められなかった。当然だ、悪夢が原因による俺とイルフドの喧嘩なんて誰にもわかるはずがない。
俺はベットの脇に置かれていた丸椅子に腰掛けた。
「……身体の調子はどうだ?」
「何ともないさ、ここで目を覚ました時は、確かに疲労感はあったけど、それも日に日に薄くなってきた。今すぐに退院できそうなんだけどなぁ」
「……悪夢を見たりとかは、ないか?」
「悪夢? いや見てないが、それも何か僕の病状と関係してるのか?」
「見てないならいいんだ、忘れてくれ。特に異常がないなら、明日にでも退院できるさ」
「だといいけど……あっ、そういえば今朝、レレヤがお見舞いに来ていたんだ。どこで聞きつけて来たんだろうなぁ、学校だってまだ休校中だったはずなのに」
「レレヤが来てたのか? 知らなかったな。何か話でもしてたのか?」
「……ん? まぁアイツも最近、酷い疲れがあったらしい……いつの間にか夜の公園で眠っていたこともあったそうだ。僕の症状と似ていることを気にしてたらしいけど、ギターを弾いていたら忘れられたそうだ。だから僕に夢を持てとさ、そうすれば疲れなんか吹っ飛んでしまうんだとか……何が言いたかったんだろうなぁ」
「……さぁ、アイツなりに元気づけに来たんじゃないのか……(そうか、またギターを始めたのか。悪夢から覚めても、また新しい夢として目指し始めるのか……レレヤらしい)」
「……言われてみればそうかもな。夢を見ている君たちはいつも楽しそうだ、僕も早く見つけないとな」
以前聞いたようなセリフだが、どこか明るさが混じっていた。
「…………恋の夢でも見ればいいんじゃないか?」
「頼むから苦手な話題に持っていくのはよしてくれ……」
「わかったわかった、お前にはまだ早いかもしれないな、ははは……」
俺は丸椅子から立ち上がって、病室から立ち去ろうと行動する。
「――ムッ、君こそ壁画の少女の事は、いい加減に忘れたらどうだ? はっきり言って気味悪いだけだぞ?」
「……そう簡単には忘れられないんだ。それが恋なんだよイルフド。君もいつか分かる日が来るさ」
「…………壁画に恋してしまうのは違うと思う」
その言葉を耳にした俺は、イルフドのいる病室を後にして、更衣室へと向かっていく。そこで白衣から私服に着替えて、帰宅の準備を終えて退室する。
そのまま待合室へと向かうと、まだ数人の患者さんが椅子に座って残っていたり、次の診察時間になるまで待っていたりする。その中に見知った顔を発見した。
「フェリカさーん。受付にお越しください」
診療所の受付さんに呼ばれたのは、俺の後輩にあたるフェリカだった。彼女はすぐに立ち上がって受付へと足を運んでいく。
途中で俺の存在に気が付いたようだが、何も見なかったかのように視線を受付へと戻していた。
(……怒っている? それとも愛想を着かされてしまったか? どちらにしろ関係修復の道は長くなりそうだ)
以前のフェリカは、衰弱者の一人だったが、もうすっかり身体の調子も良くなって、普通に動き回ることが出来ていた。彼女がここを訪れたのは、栄養剤の購入の為だろう。数本の瓶を受付さんから渡されて、肩に提げていたバックにしまい込んでいた。
俺は、待合室の出入り口である――ガラス張りの扉を開いて、診療所の外へと足を踏みだして行った。そして街の風景へと溶け込んでいく。
(……どう声を掛けるべきなんだろう。告白の話題を引きずるのも良くないよなぁ……いつも通りに接してしまってもいいのだろうか。それとも、こういうのには、時間が必要なんだろうか……わからないなぁ、どうすればいいんだ?)
俺が考え事をしながら道をトボトボと歩いていると、
「――せ、先輩、待ってください」
「――――!?」
その呼び声に対して俺は振り向いてみると、フェリカが後ろに立っていた。どうやら俺を追いかけて来ていたようだ。
「……どうして、先に行ってしまうんですか……?」
「えっ、どうしてって……言われても……」
「私のこと、嫌いになりましたか? 先輩の恋が気持ちの悪いものだと一蹴したから、私とはもう――お話をしたくないんですか?」
弱々しく申し上げていた。
「……そんなつもりはないさ。むしろどうやって話しかけようかなって……え、俺の恋が気持ち悪い?」
「はい、壁画の人なんかに恋をするなんて気持ちが悪いです」
「……た、確かに俺もそう思うけど、もう少し言い方とか考えてほしいな……流石にそうハッキリと言われてしまうと……傷つく」
「それは、ごめんなさい。では――気持ちが良くないです――とかどうですか……」
「……もっと別の言い方を探そうか」
「か、考えておきます。いえ、そうではなくて、私が言いたいのはそうではなくて……」
フェリカは胸に手を当てて、スーハースーハーと深呼吸を始めると、心に落ち着きを取り戻したように向き直り、バッグの肩紐をキュッと握りしめて宣言する。
「――わ、私は、先輩があの不吉な方に恋をするような人でもいいです。この好きな気持ちに変わりはありません……だから決めたんです。私が先輩に掛けられてしまったヴァラレイスの呪いを解いてあげようって……」
「――――!?」
「――先輩、いつか私が悪夢から目を覚まさせてあげますから……そのつもりで居てください」
宣言を終えたフェリカはこちらに背中を向けると、一歩踏み出して、堂々と街道を歩いていく。
「…………悪夢か……(うん、その言い方が的を得ているかもしれないな)」
俺も踵を返して歩き出し、街の雑踏に紛れていく。
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