第32話 希望の華⑩
「ゴオオオ、オオオオオオオアアアアアアアアアアアアアア!!」
化物となったゴダルセッキの凄まじい雄叫びと共に、背部から悍ましい極彩色の羽根が数十枚飛び出してきた。
「……うぶっ、おぇ……」
異質で異様な恐怖の光景に、俺は吐き気と不安に襲われた。
「――大丈夫。悪夢はすぐ終わるさ」
ヴァラレイスがポンっと肩に手を乗せると、不思議と気が楽になった。きっとまた、何かしらの力で肩代わりしてくれたのだろう。
「ゴ、ゴゴラアアアアアアアアアオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
大樹の獣は頭上を見上げて勢いよく飛び立った。天井を突き抜けて、真夜中の空へと解放されてしまった。
「ヴァ、ヴァラレイス! どうするんだ空に飛ばれて――」
俺は天井からの瓦礫を避けつつ、彼女に呼びかけたのだが、その姿はどこにもなかった。けれど、大樹の獣のいる夜空をもう一度見上げてみると、もう一つ人影が浮いているのがわかった。それはヴァラレイスだった。
「――もう、あんなところに」
遥か夜空の上空でヴァラレイスと大樹の獣がにらみ合っている。
先に動き出したのは大樹の獣、腹部に咲き誇る絶望華を、身体を思いっ切り仰け反ることで上に向け、黒い花粉をクジラの潮吹きのように噴出させていく。
(――悪夢種を生み出してしまう花粉がまるで雨のように、あれほどの量を街に振り撒かれてしまったら――)
対して、上空のヴァラレイスの動きはシンプルだ。右の袖を捲り上げて腕を掲げる、それだけで噴出された絶望の花粉が吸い寄せられていく。
(全ての花粉を吸収しているのか、相変わらず君の身体はどうなっているんだ)
噴出された花粉を全て奪い去るとヴァラレイスは腕を下ろした。
大樹の獣は巨大で捻じれた樹木の腕をヴァラレイスに向けると、指先ともいえる数十の極太の枝を繰り出した。
彼女の方は取り立てて焦ることもなく、手捌きも見えない速度で手首を切り裂き、純黒苦血を五十の腕に変えて対抗していた。枝を一つ一つ掴み取って、へし折ったり、捻じ曲げたり、抑え込んだりしている。
両者は腕を元に戻して仕切り直し、大樹の獣が口から絶望の波動を放出する。ヴァラレイスが片手を宙でスライドさせるように動かすと、花型の盾を出現させると完全に防ぎきることに成功していた。
大樹の獣が羽根を広げて、その巨体を生かすべく、ヴァラレイスへの突撃を試みた。しかし彼女は花型の盾を前方に飛ばして、大樹の獣にぶつけさせて吹っ飛ばして見せた。大樹の獣は空中で態勢を立て直し、羽根を――バタバタとはばたかせていく。すると花粉のようなものが刃の形となって彼女へと次々と襲い掛かっていく。
ヴァラレイスは迫る刃に、表情一つ変えず舞いを披露するように避けていた。だが、避けたはずの刃は――操作でもされているのだろうか、全て帰ってきてしまった。それでも彼女は美しい舞踊を見せてくれる。数十の刃に囲まれ続けようと、彼女が無邪気に戯れていると、眺めているこちらとしては微笑ましい。
そして刹那――刃は全て灰燼に喫して、ヴァラレイスの手のひらに収束され内側へと取り込まれる。花粉の刃が灰になったのは、彼女が踊ている間に巻き散らしていた純黒苦血によるものみたいだ。
さらに彼女は――黒き血に左手首も切り裂かせ、純黒苦血を大量に放出していた。
「ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
大樹の獣は全身から数十の砲を出現させ、そこから絶望の波動を所かまわず放ってしまう。関係のない夜空の向こうだろうと、住民が多くいるはずの区域だろうと、拠点だったはずの国会樹義塔だろうと、無差別に砲撃していた。
(――――っ!? まずい)
砲撃が迫ってくるので逃げようとしたが、国会樹義塔を吹き飛ばそうとする一撃を避けようはない。
だが、砲撃がこちらへ届くことはなかった。それどころか全ての砲撃が無力化された。黒い花びらのようなものが大樹の獣を中心に、余すことなく球体状に囲み込んだため内側で暴発してしまったからだ。おかげでどこにも被害は出なかった。
(……今のも純黒苦血の力)
俺は遠くの空にいる彼女を見る。
「――絶望の行き場を探しているのか?」
ヴァラレイスの声が微かに聞こえて来た。
「なら私の元に来ればいい。一緒に落ちてくれるならずっと一緒に苦しんでやるからさ……」
「ゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
黒い球体を内側から突き破って、大樹の獣がヴァラレイスへと襲い掛かっていく。
「――純黒の茨道」
彼女の両腕から、純黒苦血が茨となって伸びていく、数十、数百、数千と枝分かれし、体当たりしてくる大樹の獣を囲み込んで、動きを完全に停止させた。そして黒い茨から激しい稲妻が放出され、大樹の獣に絶大な攻撃が浴びせられているのだとわかった。
「――ゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
それは決着を告げる大絶叫だった。
やがて稲妻は治まり、黒い茨の拘束も解けて、元の姿に戻ったゴダルセッキが現れる。ヴァラレイスの力で浮かされているのだろう、そのまま彼女の元へ引き寄せられていき、共に国会樹義塔の禁断室に舞い降りて来た。
俺は夜空から降りてきた二人の元へ駆け寄っていく。
彼女は安らかな眠りについているゴダルセッキをそっと床に降ろし、その隙に左手に植え付けられる枯れてしまった絶望華を引き抜いていた。そして傷跡も残さないように、手を翳して貰い去っていく。
そして彼女は手にした絶望華を握りつぶし、それから開いて見せると小さな玉に変わっていた。
「――これで――絶望華の花粉は広がらなくなった。あとはこの種を――」
小さな玉を自らの慎ましい口へと運び入れ――ゴクンと飲み込んでしまった。
「――うん、やはりこの絶望は……この世界に背負わせるには重すぎるな」
彼女は腹部に手を当てて感想を漏らし、勝手に納得している。
「……これで、終わったのか」
「ああ、君の案じているトラブルの発生と衰弱者の続出なら、一応これで解決だ。後になってしまうが、悪夢種を宿してしまった者たちも何とかできる」
「……は、はぁ~~~~、そうかぁ~~、終わったのか~~」
俺は緊張の糸がようやっと緩んだことで、その場に力なく座り込んだ。
「力を抜くのはまだ早いぞ……次はお前の持っている希望の種を使わなければならないんだ」
「……? ああ! ――これの事か?」
俺はポケットに忍ばせておいた一つの小さな玉を取り出して聞いてみた。これは先ほど希望華を処分してから現れたものだった。
「それだ…………えーーっと……」
ヴァラレイスが返事をすると、禁断室内を歩き回って何かを探し始めた。するとトンカチを見つけてきてこちらに持って来る。
「これで、その種を叩き割ってくれ……」
「種……これは希望華の種なのか? ……そこまでする必要はあるのか?」
「……今回の事件を完全に鎮静化するには必要なことだ。私に絶望華が宿ったことでこれ以上は被害は広がらないが、悪夢の種は皆の心に存在していたままだ。私の希望を壊して、この地に拡散することでそれを中和すれば完全に事件は解決する。だから壊してくれ……私は離れているから」
(……俺も、希望は潰すって宣言したなぁ、最後まで責任を取らないと……)
言われるがままにトンカチを受け取ると、彼女は禁断室の壁際まで離れて行く。
俺は希望の種を床に置いて、割るためにトンカチを振り上げる。
(……ヴァラレイスの希望を叩き割って、今回の事件は解決する)
しっかりとトンカチを握り締め、種を叩き割るために振り下ろした――――が、寸前のところで止めた。
「やっぱり、やめた……」
「………………はぁ?」
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