第31話 希望の華⑨

「私が一体何から逃げたというのかな」

「夢からさ、あなたは夢の大きさに押しつぶされて敗北してしまったんだ。だから悪夢に縋りつくしかなかったんだ」

「――――!?」

「ヴァラレイスは希望を捨てたんじゃない。俺たちにくれたんだ。そして絶望を肩代わりして落ちていったんだ」

「酷い思い違いだ。君も目を通しただろグラル氏の手紙に……息子であるキミがそれを否定するのか?」

「あの手紙は憶測でしかない。俺は本物のヴァラレイス・アイタンと一夜を共にしたんだ。もう父さんよりも彼女の事を知っているよ」

「……」


「――ヴァラレイス・アイタンの古文伝に一切の間違いはない。彼女は全てを幸福に包むために地獄の底に落ちてくれたんだ。俺がそう証言する」

「そんな者が本当にいるものか、あんな古文伝など全て出鱈目だ。そこにいる女はただ敗北し逃げて来ただけだ!」

「――違う。ヴァラレイスは敗北したんじゃない。変わったんだ!! 俺にはわかる」

「――かつて負と敗が全世界に満ちていた。けど、そこに懸命に生きる人たちは確かにいたはずだ。その人たちは、争いを抑えようとして、病を克服しようとして、災いが治まるように、毎日抗っていたはずだ。絶望の渦中にいても誰も呪わず、恨まず、憎まない。負々敗々の因果と戦い続ける人たちを見て、彼女はきっと変わろうと、絶望と戦おうと決心したんだ。だから落ちることが出来たんだ。諦めたんじゃない。勝利なんてどうでもよかった。ただ彼女は絶望しかったあの世界を、何の希望も見ることの出来ない未来を変えてくれたんだ」


「だからヴァラレイス聞いてくれ!! 君は変わったんだ。絶望に負けてしまってもいいことを選んでしまうくらい。全世界が大好きになって変わることが出来たんだ!」


「――それが君の恋だったんだ!」


「——――――――」


「――恋で世界が変えられるか――それこそ悪夢の物語だ!」


 ゴダルセッキが勢いよく踏み込んで、光の長剣を上段から下へ振るってくる。


「まだ、わかっていないんですか」


 俺は水の鎌を構えて、長剣を受け止めると――パキイーンという幻想的な音が鳴り響いた。


「口先だけなら誰でも真似できよう!」


 ゴダルセッキが全身の力を長剣に宿し、鎌で競り合っていた俺は後方へと吹っ飛ばされてしまった。


「――――くぅ!」

「ヴァラレイスが恋で世界を変えたと言うのなら、キミも変えて見せたまえよ! 出来るものならな!」


 ゴダルセッキの怒涛の剣捌きが迫りくる。――パキンパキンと受け止めていくも、押され続けてしまう。


(――――夢の力は拮抗していても、現実の肉体的な力に歴然とした差がある……このままでは――)

「――ホロム! だったら夢を叶えてしまえ!」


 ヴァラレイスが助言を投げかけてくる。


「――!? (――そうか、強い自分になる夢を叶えるんだ)」


 俺は瞳を閉じてイメージした。


(強い自分を――相手の力に負けないくらいの――いや、それすら乗り越えてしまう強い自分を夢に見るんだ。そして、その夢を現実に叶えてしまおう)


「――そんなに夢が見たいのなら眠らせてやろう!」


 その声が近づいてくるのは、ゴダルセッキが迫っているからだろう。


(――眠る必要はない。だって俺は夢を叶える力を持っているのだから、ヴァラレイスを底から引っ張り上げた力を持っているのだから――それを自分の強さに変えるんだ)


 ――決意と同時に覚醒した。身体から青い蒸気が揺らめき、自分の力が増大したのを感じ取った。

 ――目前に迫っていたゴダルセッキに対して、水の鎌を素早く振り、一閃。

 ――光の長剣を――パキイーンという幻想的な音と共に砕き散らし、同時にゴダルセッキの身体を吹っ飛ばした。


「――あっ! がああ、ああ……」


 壁に思いっきり身体を激突させて、動かなくなったゴダルセッキを見て決着がついたのを感じた。


「――ホロム! き、希望華を……」

「ああ、わかってる」


 俺は水の鎌と身体の青い蒸気を、夢から覚めるように消しさって、ゴダルセッキの元へ注意しながら歩いていく。

 気絶しているのか、動く様子はない。この隙に俺は、彼の右手に植え付けられている希望華を――ブチブチと音を鳴らし引っこ抜いた。少しばかり浅い傷を作ってしまったのが心苦しかった。


「……あ、安心しろ……傷は私が、悪夢と一緒にもらっておく、だから、希望華を……」

「……ヴァラレイス最後にもう一度だけ確認させてくれ、君は本当にこれから先も何の希望もなく、地獄の底で無限の時を掛けて過ごせるのか」

「――それが私の恋した全世界のためなら、喜んで過ごすさ」


 笑顔の即答が返ってきた。


「…………わかった」


 俺は手に持っていた希望華をそのまま握りつぶした。すると黄金の液体になって床にボタボタと流れ落ち、さらに集まって小さな玉となった。


(これは――なんだ?)


 俺は小さな玉を拾い上げ、確認していた。


「――そ、その話は、あとだ、つ、次は、この、光をなんとか、してくれ……」

「す、済まない――忘れて――」


 俺がカーテンの紐引きに向かおうと、振り返ってしまった――その時だ。


「――――おおっ!?」


 その時、ゴダルセッキが目を覚まして、俺は床に突き飛ばされた。彼はヴァラレイスの方へ、いや、その向こうにある絶望華の方へ歩み寄っていく。


「ゴダルセッキさん! 何をしているんだ」

「――こうなれば、私自身が世界に絶望を再現するだけだ」

「そこまで悪夢に身を委ねてる気か……そいつは希望華のようにはいかない。自分でなくなるぞ!」

「構わん! 私がどんな化け物になろうと結果的にこの世界が勝てばいいだけのことだ!!」


 ゴダルセッキは絶望華を左手に植え付けた。そして――


「うう、ううおおおおおおおおおおおおああああああああゴゴアアアアオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」


 ゴダルセッキから禍々しい蒸気のようなものが吹きあがり、その身を包み込んで渦巻いて、巨大で堅固な形へと仕上がっていく。

 それはまるで捻じれ歪んだ樹木の獣、あらゆる悪夢が集合した醜悪な化け物。


(絶望華……夢を叶えた俺でさえわかる。どんな人でもこれを前にしてしまったら、抗うことさえ諦めてしまう、そういう大絶望の化身だ…………それでもこれは最終焉郷の華でしかないなんて……一体、ヴァラレイスは今までどういうところに居たんだ)


「――――正気を! 失うな! いいから光をカーテンで遮ってくれ!」


 瀕死のヴァラレイスは無理やり叫んで指示すると、ゴホゴホと咳き込んで倒れ伏してしまう。


(――――そうだった)


 冷たい瘴気に当てられながらも、なんとか俺はカーテンの紐引きまで辿り着いて、手に取って引くと、禁断室内のカーテンが一斉に閉まっていき、吸明液の光を遮っていく。


「ヴァラレイスカーテンを閉め――――」


 彼女の方に振り向いた瞬間――視界に捻じれた樹木が迫ってきていることを知った。

 ――命を絶たせるために絶望の化物が放った大樹の腕だ。


(――落ちる)


 ――刹那のとき、自分の人生の終わりを痛感した。

 ――ゾザアアアアアアアアアアアア!! っという不快な音に耳を襲われ、意識も視界も閉ざされてしまった。


「――――落とさないさ、だから目を開けろ」

「――――!?」


 その一声で、自分で目を閉じてしまったのだと気づき、ハッと見開くと、悠然と佇むヴァラレイスの姿が映し出された。先程の樹木の腕はどこにもない、彼女が追い返してしまったらしい。


「――ヴァラレイス、いつの間に……」

「ん? 君がカーテンを閉めてくれたじゃないか。なんだ? 寝ぼけてしまっているのか?」

「い、いや、そうじゃなくて……移動が速すぎないか?」

「――速いに決まっているだろう、何も落とすわけにはいかないのだから」

「……は、ははははは、生きてる……よかったぁ~~」


 俺が心の底から安堵の息を漏らすと、彼女は少しだけ目元を緩ませたような気がした。

 そしてヴァラレイスは、化物に成り果ててしまったゴダルセッキに向かって宣言する。


「…………おい小僧、絶望を押し付けるなら私だけにしてもらおうか」

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