第30話 希望の花⑧
「――――と、扉?」
「……十日前、君と私が歴史会館の大壁画の間であった時には、もう既に始まっていたのだぞ」
(…………十日前)
思い起こす。その日は確か……フェリカの告白があり……その後――歴史会館に立ち寄って、ヴァラレイスの壁画の前で、思いを告げた後、ゴダルセッキと会って……
(――っ!? ま、まさか!?)
あの日、ゴダルセッキが咳き込んでいたのを思い出した。
「そう、あの日――私はあの場に絶望華を持ち込んでいたのだ。君の体内に花粉を取り込ませ、悪夢種を生み出すためにな……時間を調整するのには苦労したがね」
「――時間の調整?」
「言ってしまえば、君はずっと監視されていたんだ。フォレンリース学庭園には私の知り合いが他にもいるんだ。彼らに君の学園生活を教えてもらっていた。だから、まず少女に夢を見せることにしたんだ」
「――待ってくれ、少女って、フェリカの事?」
「そうだとも、他に君を動かせるほどの夢を見ている者はいないはずだ」
「彼女の恋心を利用したのか? 俺をあの大壁画の間に足を運ばせるために……」
「――それだけではない、アレは花粉を吸いこませた後、種の発現は――どの程度の期間が必要かという実験でもあった」
(フェリカで実験だって?)
「とにかく思い悩むだろうキミは、必ずあの壁画まで足を運ぶ、私はその時間に絶望華を持ってあの場に現れたのだ」
「――あの時そんなことを……まさか、禁止区域の扉が破られていたのは……」
「キミが入り込むには、あの門は邪魔だろう。だから警備員の男に悪夢を見せて、破らせておいた。上手く彼は働いてくれたようだ。今はどこで何をしているのか……まぁ、私には関係ないことだな」
「――じゃあ、俺が見たあの悪夢は、全部あなたが仕組んだことだったのか?」
「君がどんな悪夢を見ていたか知らないが、見せるように仕向けたのは私だ」
「――私も、聞いていいか? 何故、ホロムを使った」
ヴァラレイスが口を挟んだ。
「ホロムのヴァラレイスに対する感情は本物だった。地獄の底に落ちてでも、会いに行きたいという強い願望があった。――しかし、決して叶うことのない願いを持つということは、決して苦しみから逃れられないことを意味している。ホロムはキミを知った瞬間、心のどこかで絶望したはずだ。この思いは絶対に届かないのだと、今は大丈夫でも、後々この苦しみは大きくなる。そうなればその生涯は失望で終わっていくのだ。そんな自分のせいで絶望する彼を、この世界を怨望してしまう彼を、君は放ってはおけまいだろう」
「……………………」
ヴァラレイスが黙り込む。
「――お、俺のこの思いを使って、ヴァラレイスを誘き出したって言うのか? そのためにフェリカを、この国の人達全てを巻き込んだのか……?」
「代わりに君は悪夢を叶えることができた。君と私に違いはないぞ。周りは悪夢を叶えようと暴走する中、一人だけ夢を先に叶えて、他者の夢を否定するのは虫のいい話でしかないのだ……彼女に会えて喜んだのだろう? 悪夢が実現して嬉しかっただろう? 次は私が叶える番だというだけの話だ」
「――――――」
俺はゴダルセッキという男が怖くなった。
「……ヴァラレイスそろそろ希望を返そう。その絶望は我々の物だ」
「――――くっ!?」
ゴダルセッキは鏡の裏側に、円錐状の花を一輪だけ回り込ませ、確実に彼女に光を浴びせられる位置で止まらせる。それに対処するべくヴァラレイスは瀕死の身体を動かして、逃れるように鏡を回すのだが、間に合わない――希望の光線が――カァっと輝いて放たれる。
――だが光が放たれる瞬間、一輪の花は――パァン――と破裂する。
「「――――!?」」
ゴダルセッキとヴァラレイスがそれぞれ、目を見開き驚ていた。
「……わかった、悪夢から覚めればいいんだろ……それなら文句はないはずだ。ゴダルセッキさん」
「どういう意味だ?」
「この事件が終わったら、俺は彼女を元の場所へ送り届けるよ」
「せっかく叶えてやった夢を棒に振るつもりか? ここで手放してしまったら永遠に失うのだぞ。彼女に希望を返せば、ヴァラレイスはもう底へ戻ることもない。ずっと一緒にいられるんだぞ。何が不服なんだ? 他人が気になるか? よもや、君までヴァラレイスのように絶望に耐える人生を歩むつもりではないだろうな?」
「――あなたが夢を叶えてくれたんじゃない。ヴァラレイスが俺の呼びかけに答えてくれただけだ」
「――もうそれでいいさ、だから、床で寝ていてくれたまえ」
ゴダルセッキが手を差し向けてくると、漂っていた一輪の花がこちらに向いて、輝く光を放ってくる――だが――バァンと内側から暴発してしまう。
「――っ!? な、にをしたんだ」
「――何だっていいじゃないか」
ゴダルセッキは残り一輪になってしまった希望の花を、自分の前へと引き寄せて念入りに調べていく。
「……水の膜か、なるほど、砲口に蓋をするようにして、花が光を放つと暴発する仕組みか……ずる賢くなったなホロム……後がなくなってしまったではないか」
ゴダルセッキが左腕で使い物にならなくなった花を掴み取ると、光となって輝きだし、その形状を円錐から五メートル程の長剣へと変っていく。
――俺も夢幻力を右腕に集めるイメージで、ヴァラレイスの髪切り小鎌をモデルとした五メートル程の水の鎌を夢から現実へと表した。
「話したことがあったはずだ。私が昔、剣術競技を嗜んでいたことを……彼女の前で良い恰好がしたいという理由だけなら痛い目を見るぞ」
「……俺は今を生きる男子高校生ですよ。あなたこそ無理をしない方がいい!」
俺は水の鎌となった右腕を左手で支えながら、ゴダルセッキの元まで走っていく。
間合いを確保すると、鎌を身体の後ろへ回して、光の長剣に狙いをつけて思いっきり振った。
――パキイーンと刃と刃の接触する幻想的な音が響いていく。
「――大きな間違いをしておるぞ、若者よ」
「――が!!」
長剣に押されて、俺の身体は鎌ごと吹き飛ばされてしまった。
「私は普段、話の分からない長老たちの相手して、精神的に疲れているだけであり、肉体的な面は君たちに若い者には――負けないのだよ!」
ゴダルセッキが走り込んできて、光の長剣を振る。
「――あがっ!!」
またしても水の鎌が長剣に押されてしまい、俺の身体が床を転がってしまう。
「ヴァラレイスも愚かな間違いをした。かつて蔓延った絶望に敗北し、自らの希望を捨ててしまったのだ。人々の為? 世界の為? 永遠の幸福の為? それで人類はこんなにも弱くなってしまった。悪夢に左右される脆い心を持ってしまい、暴走してしまってのだ」
「――――!?」
「――希望を持っていたのに使うこともなく、ただ人類に明け渡した正真正銘の敗北者だ。だが、その行いのせいで我々人類もまた絶望に打ちのめされた敗北者の汚名を被ることになったのだ。ただの一人の女が諦めたせいで、この世界は数千年間、絶望に負け続けているのだ」
俺はヴァラレイスの方を見てみると、その表情に後悔と責任を感じた気がした。
(――聞かなくていいヴァラレイス! これはゴダルセッキの見ている悪夢の話なんだ)
声が届いていないのだろうか、彼女は俯く顔をまったく動かさないでいた。
「彼女はああやって、これからも負け続けるつもりだ。ホロム、キミはそれでいいのか? この期を逃せば、彼女はこれから、数千年どころか、数万年、数億年も絶望し続けるんだ」
「――――!?」
「キミは思い人に、そんな残酷なことを続けさせたいと本気で考えているのか?」
(……そうか、ヴァラレイスはこれからも苦しみ続けるんだ。明日、明後日の話じゃない。数千年、数万年、あるいは数億、数兆、無限に続くのかもしれない。俺はそんな彼女をそのままにしておけるのか? こんな一時の彼女への尊重なんて、来週になれば後悔に変わってしまうんじゃないのか? 本当に送り返してしまっていいのか? せっかく会えたのに、せっかく夢が叶ったのに、彼女のためを思うなら心を鬼にしても、嫌がってでも止めるべきなんじゃないか? こんな……彼女に全部押し付けてしまう世界なんて、本当に守る価値があるのか? いっそ、絶望を振り撒かせて、彼女の苦しみをわからせてしまえばいいんじゃないか? 不吉や不幸の象徴と寄ってたかって言いふらしているんだ。また落ちていったって誰も感謝なんかしてくれない。何も知らずに平和にのうのうと生きていくだけなんだ。だったら、希望を与えて、絶望なんか捨てさせてしまった方がよっぽどいい。彼女を絶望に落としてしまうこんな世界に希望なんて必要なのか……もう彼女一人が助かるなら、ずっと一緒にいられるなら俺は……それだけで……)
「……ホロムも、そう思うのか」
彼女は弱々しく呟いた。
「――――っ」
俺は今の考えを忘れることにする。
「私は、結局、希望の重さに耐えかねて逃げただけだと、そう思うのか」
「……いいや、そんなこと、一度として思ったことはなかったよ」
再び俺はゴダルセッキと向かい合う為に、立ち向かう。
「――逃げたのはあなただゴダルセッキさん」
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