第20話 発芽⑤

「あの子もお前の友人か?」

「ああ、そうだ……(けど、イルフドにも悪夢があるのか)」

「確かめてみればいい。悪夢を見ていても、言葉が通じることはある」


 ヴァラレイスが促すので、俺は話しかけてみることにした。


「……やぁ、こんばんわか……イルフド。こんな時間にどうしたんだ?」

「………………」


視点の合わない目をしていて、今にも倒れてしまいそうだった。


「この女の人たちは、どうして倒れているんだ? 何か知らないかイルフド」


 周囲で倒れている女性たちの様子を確認しながら聞いた。微かな息を立てて眠っているようだ。


「………………」


 イルフドは返事をしてくれない、まるでこちらに気が付いてない様子だ。


「イルフド聞こえているか? 何をしていたんだ?」


 俺は声が届くように近づていく。すると声が届いたのか、イルフドはこちらに顔を向けて、おぼつかない足取りで歩み寄ってくる。


「オレがわかるよな……ホロムだ……えっと、俺が言うのもなんだけど、この街は危ないから今すぐ帰った方がいい」

「…………あぁ」


 イルフドの目線はこちらに向けられていない、どうやら俺の背後に見ているようだ。


「――イ、イルフド?」


 俺のすぐ前までイルフドは進んできた。このままではぶつかってしまうが、


「…………見えない邪魔だ」


 イルフドは思いっきり腕を振って、俺をその場から退かした。


「――――痛っ!?」


 俺は突き飛ばされて、地面に腰を打ち付けた。


「な、何をするんだよ。イルフドォ、酷いじゃないか……(やっぱり、おかしい悪夢を見ているからか……)」


 俺を突き飛ばしたイルフドは、まだ歩みを進めていた。


(……イ、イルフド……区域から出ようとしてそっちに行っているのか?)


 しかし、彼の視線がその人物にブレることなく向けられていたので、俺は気が付いた。


(まさか、視線はヴァラレイスに向いているのか? イルフド。彼女に何の用があって……)


「おいホロムこっちに来てるぞ、何とかしてくれないか?」

「わ、わかってる、おいイルフド! 俺だホロムだ!」


 俺は急いで立ち上がって、もう一度イルフドに話しかけた。


「……ホ、ホロム」


 俺がイルフドの肩に手を乗せると、ようやく反応があった。


「そ、そうだ。俺だ、ホロムだよ、なんだわかるのか。ということは悪夢は見てないってことに……」

「……いいよなぁ。ホロムは、気楽そうで……」


 彼が発したとは思えない脱力した声が聞こえてきた。


「――えっ?」

「俺も、お前みたいな夢が見てみたい……だから、邪魔しないでくれよ」


 イルフドの冷たい視線によって、俺の思考が停止してしまった。


「――――うづ!?」


 ――束の間のこと。俺の身体が何かに引っ張られる感覚があった。

 ヴァラレイスの力だろうか。彼女の傍まで引き寄せられたらしい。宙に浮かされたまま自由を奪われて、藻掻くことしかできない。


「もうわかっただろ。あの子は悪夢に憑りつかれているんだ。しっかり現実を見てみろホロム」

(……イルフド)


 俺はもう一度、夜の中にいる彼の姿をしっかりと見る。イルフドの視線がこちらに向けられて、その背中からは、不気味に蠢く蛇のようなものが伸びていることが見て取れた。


「……あの触手が彼の悪夢の形なんだろうさ。お前、危うくアレにやられてしまうところだったぞ」


 言われて初めて気が付いた。つい先ほど足をつけていた地面が抉れている。

 ヴァラレイスは俺の宙に浮いた身体を解放してくれた。


(……一体、イルフドはどんな悪夢を見ているんだ? そもそも夢なんて持っていたのか? 何年も一緒にいたのに、そんな話は聞いたことがない)

「まぁ、無意識に持っている欲望の解放もまた、悪夢の一種だよ」

「よりにもよって、イルフドと喧嘩をしなくてはいけないのか……」


 イルフドの不気味な触手が――バシンバシンと地面を打ち付ける音が、夜中に響く。


「……君、名前を訊かせてくれないか?」


 イルフドがそう尋ねると、尋ねられた彼女は答えるために口を開く。


「ヴァラレイス・アイタン」

「……どうりで綺麗な人がいると思った。なるほど、ホロムの恋する少女だったのか……それなら夢が見られるかもしれない」

「……夢が見られる? (悪夢を見ているはずなのに、何を言っているんだ?)」


 俺にはよく分からなかった。


「私で夢を見るとは、どういう意味だ……?」

「君なら、僕が追い求めている恋の相手に相応しいかもしれない」

「――何だって!!」


 イルフドが口にだした衝撃の告白は、俺の精神をかなり揺さぶった。


(ど、どうしよう……アイツもヴァラレイスに恋をしていたのか? か、彼女はどう答えるのだろう)


 彼女を見ると、深い溜息を吐いていた。そして口を開く。


「……それで? お前は私の答えが欲しいのか?」

「……いいや、答えはいらない。僕がキミを欲しいか欲しくないか判断する……だから――こちらへ来てほしい!」


 イルフドの勢いよく迫る触手は、彼女を捕らえられなかった。くるりと回られて、華麗なステップで回避される。


「……やはり」触手を躱されたイルフドが呟き。

(――美しい)俺は舞踊のような動きを見てそう思う。

「お前たちは気色が悪いよ……」


 涼しい顔で言い放つヴァラレイスは、俺たち二人に告げて言う。


「……イルフドと言ったか? ここにいる女たちは、なぜ倒れているんだ?」

「ああ、僕の琴線に引っ掛からなかったからさ……」


 路上に倒れる数十人の女性を見て、イルフドは普通に答えた。


(イルフドがこの女の人たちに何かをしたのか? にしても、気絶している人たちを見て、あんなに薄い反応をするなんて……)

「恋に相応しい相手……なるほど、ここの女たちはお前には相応しくなかったと……」

「そうさ、僕が夢見ている美しい恋に、この人たちは釣り合わなかった。だから次は君を品定めしようと思う……だから君のことを近くでもっと知りたい」

(ほ、本当にイルフドなのか? 俺も相当だと思うけど、こいつも相当、気味の悪い夢を見ていたんだな……)

「ホロム、これはお前の責任だぞ!」

「えっ……俺の責任?」

「お前が――――っ!?」


 ヴァラレイスとの会話は打ち切られた。空気を読んでくれなかったイルフドが、不気味な触手をしならせて、鞭のように振って来たからだ。


「この、触手か、女たちが気絶をしている原因は、人の水分を吸収する、もののようだな」


 彼女は優雅な舞いを披露しながら、蛇のようにうねる触手を回避していく。


(なんて綺麗なんだろう……そうではなくて、彼女の話を聞いておかないと)

「……要するに、お前の琴線とやらに引っ掛からなかった女たちは、その触手で水分を奪い取ってしまい、自分の悪夢力に加えるわけか……ふん、自分勝手な」


 ヴァラレイスは触手を避けていく過程で、民家の屋根に舞い上がり、夜空を背にして佇むと、そう告げた。声には怒りも軽蔑の感情もない。


「いいから! こちらへ来るんだ! 君が僕に相応しいかどうか確かめさせてくれ!」


 イルフドは彼女の立つ屋根の上へと、不気味な触手を鞭のように振って落とす。

 一方のヴァラレイスは、屋根から飛び立ち、宙を踊り狂って、俺の側へと静かに着地した。


「私は辺りの女たちを引き連れて容体を診ておく。お前は喧嘩を――」

「わかってる(けど……どうしてアイツは俺に夢を教えてくれなかったんだ……?)」

「勘違いするな。アイツはまだ悪夢も夢も語っていない」

「――えっ! けど、アイツは恋をするのが夢だって……ヴァ、ヴァラレイス、お、俺には意味が分からない?」

「……ぶつかって来い。そうすれば本当のことがわかるさ…………いいなホロム、自分の描いた夢がお前の力だぞ」


 俺は曖昧に頷いくと、彼女は早足で自分のやるべきことに取り掛かる。

そして俺の方は喧嘩をするため、素人の構えでイルフドの正面に立った。


(恋の話は苦手じゃなかったのか? どうしたんだイルフド……)

「ヴァラレイスが欲しい。これが、これが恋なんだよなぁ……」


 背中の不気味な触手より、友人の見たこともない歪んだ嗤いの方が何倍も恐ろしかった。


(……俺の彼女への恋心も、これほどに薄気味悪いものなのだろうか)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る