第21話 発芽⑥
ヴァラレイスは路上で気絶している数十人の女性たちを、謎の力でフワッと浮かび上がらせて引き連れていく。安全な場所で被害者たちの容体を診るためだ。
俺とイルフドは真夜中の路上で向かい合ったまま取り残された。
「……前に立つな邪魔だ。彼女が見えなくなってしまったじゃないか」
「そのまま俺を見ていればいいじゃないか」
「お前を? 男じゃないか……恋慕の品定めにすら値しない」
「それくらいは判別できると……俺が誰かもわからないか?」
「――誰かなんてどうでもいい……とにかく、僕の恋の邪魔をしないでくれ!」
イルフドの不気味な触手が、獲物を狙う蛇のようにシャッと迫ってくる。
(――――いきなり危ないっ!?)
正面から来る一撃をサッと躱した。もう少しでみぞおちに食らわされるところだった。触手は民家の窓ガラスをぶち割り、再びの攻撃に備えて引き戻されていく。
(――今の内に、こっちも形にしよう。俺の夢幻力を使って、イルフドの悪夢力を消耗させてやるんだ)
イルフドの触手からある程度の距離を取って、俺は一息ついて瞳を閉じる。
(……イメージだったか? 水の腕……丁度いい長さの、動かしやすい大きさの、ヴァラレイスのように綺麗な、水の腕……俺の夢を叶えた力で、その腕を現実にするんだ)
脳内にレレヤと喧嘩した時に出現させた水の腕を描いていく。
「綺麗な腕……あのヴァラレイスのような。そうか、キミも彼女が欲しいのか。だから僕の邪魔を……」
イルフドのセリフで、俺は水の腕を現実に表すことが出来たと知り、瞳を開いた。
(せ、成功した……?)
右腕に纏われた水の腕を、イメージの力を使って握ったり開いたりして、調子を確かめる。
「――夢を掴むのは僕の方だ!」
うねりを見せる植物の触手が、こちらに向かって勢いよく伸びてくる。そして――バシンと水の腕に巻き付かれ、絡めとられてしまった。
(――くっ!? 引っ張られる!)
水の腕にイメージ的な力を加えて、足で踏みとどまり、腰を据えて、触手の引っ張ってくる力に抗う。それでも靴底がジリジリと少しずつ地面を削っていく。
(――そうだ! 水の腕を消してしまえばいいんだ!)
俺が夢幻力を解いてみると、水の腕は消える。引っ張っていた物がなくなってしまった触手は勢い良く戻っていく。さらに触手はイルフドに直撃して、彼自身の身体を十メートル程吹き飛ばしていった。
(しまったイルフドが! ……いや、心配している場合じゃないんだ。こちらはもう一度、水の腕の構成に集中するんだ)
再度、水の腕のイメージを現実に表す。けれど今度は瞳を閉じることはせず、腕を見ながらの構成に挑戦し、何度か形を崩しかけたが成功した。
イルフドの方も起き上がって、触手を鞭のように思いっきり振るってくる。
一度目は水の腕で受けて防御し、二度目に振るわれた触手は掴み取って止める。
「(――夢で見るように力を加えるんだ)――うおおおっ!!」
そうすると水の腕は、掴んでいた触手の部分を――ジュブリ! という音を立てて握り潰した。
「――やめろ! 彼女が遠ざかってしまうじゃないか! だからそこをどいてくれ!」
「イルフドこそ! どうして恋を夢に見ているんだ! 君は恋愛系の話が苦手だと日頃から言っていたじゃないか! しかも、よりにもよってヴァラレイスと恋をしたいだって? 今までは俺に嘘をついていたのか!」
「苦手――そうさ! それでも僕は知りたいんだ! 恋というモノがなんなのかを!」
「どういう意味だ!? 恋をしたいではなく――知りたいという話なのか!?」
鞭のように振るわれる触手を、幾度も水の腕で受け止めながら、会話を試みる。
「そうだとも! 僕も恋を手に入れれば、アイツみたいな顔になれるんだ!」
「(どいうことだ? 誰かになりたがってるのか?)――アイツって誰のことだ!」
「…………ホロムだ!」
(――!? 俺だって?)
イルフドは植物の触手を振るうのを一時中断して、ポツリと呟いた。
「…………どうして、そいつみたいになりたいんだ?」
「眩しいんだ。あの叶わない恋を毎日のように語り明かす、アイツの顔が輝いて見えたんだ。それが羨ましいんだ」
(……なるほど、ヴァラレイスが俺の責任と言った意味が分かってきたよ)
「だから僕も、アイツと同じ人に恋をすれば、あんな風に毎日を楽しむことが出来るんだ。きっと素敵な夢に違いないんだ」
イルフドの語りが終わった。そして場が静まり返る。俺は口にするかどうか迷ったが、告げることにした。
「…………イルフド。それは恋じゃない」
「恋じゃないだって? いいや、僕は恋をして夢を見るんだ!」
イルフドは否定する。
(……自分の夢を形にしているんだったよなぁ……もし、俺の見ていた恋を見せることが出来るなら…………やってみるか)
俺は水の腕の調子を確かめるように動かして、拳の形を作り出して構える。
「教えてあげるよイルフド。俺が見ていた恋を!」
そのまま水の拳をイルフドの顔に叩き込んだ。夢幻力による攻撃は他者に直接ダメージを与えない、そうヴァラレイスは言っていた。
夢幻力による水の拳に顔を覆われたイルフドは、ここから俺の夢を見ることだろう。
ヴァラレイス・アイタンへの恋心を抱いてからの夢を。
その恋は俺が子供の頃、父さんと一緒に訪れた、歴史会館の大壁画を見たときから始まった。
大壁画の少女、ヴァラレイス・アイタンとはそこで出会った。
地獄へと落ちていくというのに、幸せそうな笑顔が印象的だった。
けど、僕はこんな恋は叶わないからと、その時の思いを潜ませておくだけにした。
それから二年後、父さんは事故に遭って他界してしまう。
さらに父さんを探しに行った母さんも、行方を眩ましてしまう。
それから俺は、毎日のように暗い気分で学園生活を送ることになってしまった。
周囲の人たちは、俺を励ましたり慰めてくれたりしてくれたけど、なかなか立ち直れない。
誰もいない家に一人でいるのが寂しくて、街中に繰り出すことも多くなった。
そんなとき、ふと、父さんによく連れて行ってもらっていた歴史会館に足を運んでみた。
そのとき、俺のかつて潜ませた恋心は、表に出てきてしまった。
大壁画のヴァラレイス・アイタンがあまりにも美しく見えた。誰よりも不幸な人生のはずなのに、彼女は落ちていく中でも笑顔を絶やさず、皆の幸せを心から願っていた。
その笑顔に、父さんと母さんの欠けてしまった俺のどうしようもない損失感は、彼女への恋心によって埋められた。
俺の負の感情を、彼女が肩代わりしてくれたのだと実感した。
だから俺は信じることにした。ヴァラレイス・アイタンの存在を、ずっと彼女がこの世界の嫌なことを肩代わりしてくれているのだと、きっと父さんと母さんも見守ってくれていると、信じることにした。
あれだけ子供の頃に否定していたにも関わらず。
俺はその日から恋に生きるようになり、以前のようにもう一度、皆の前で笑うことが出来るようになった。
全世界はそうやって幸福に満たされていることを知り、俺たち人類は、彼女に幸せな夢を見せてもらっていたのだ。
俺は、俺の悲哀をもらってくれた彼女の優しさに惹かれて恋をした。
だからヴァラレイス・アイタンに恋をしているのだ。
イルフドが目を見開いた。どうやら夢は見終わったようだ。
「彼女は、俺の虚空だった心を満たして変えてくれた。だから好きになったんだ」
「…………こ、これが……恋」
「だからイルフド……いくら君が羨ましいと求めても、俺と同じ恋は出来ないんだ……」
水の腕からイルフドを解放して、もう一度俺は告げてやる。
「――これは俺だけの恋なんだ」
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