第15話 異常⑦
しばらくすると俺は落ち着きを取り戻して、またヴァラレイスと話の続きをする。
「……だが、お前の行動は私をここに現出するための道しるべになっていた。そのことには礼を言うよ。ありがとう」
「あの俺の間違いが……か?」
「私はここの異常を察知してさぁ、解決してあげる為に現世に戻ろうと、色々と試行錯誤をしていたんだ。だが……どうしても最終焉郷からは抜け出せなかったんだ……しかし皮肉にも、お前の見ていた悪夢が……馬鹿げた望みを叶えたいという力が、私をあそこから引き上げる道を開いてくれた。そのおかげで私はここに来ることが出来たんだ」
(――俺の思いが届いたってことか?)
「だから勘違いをするな! たまたま声が聞こえて来ただけだ! 私には必要だったから辿って来ただけだ……わかったか!」
(照れ隠しかな? 照れ隠し何だろうなぁ~~)
「だからぁ! もういい! 本物の愚か野郎だなお前は!」
背中を向けられてしまった。仕方がないので話を戻す。
「……それで皆が衰弱する奇病も、その悪夢種っていうもので説明できるんだよな……」
「そうだ。トラブルを起こす人とは、要するに自分の悪夢に絶望し負けてしまった者だ。そして衰弱していく人は、悪夢に負けないよう希望を信じて頑張り続けている者だ。両者は原因こそ同じだが、これらの症状を分けている決定打となっているのは、根本的にその人が持っている心の強さの違いと言えるだろう……」
「じゃぁ、俺があんな行動をとったのは心が弱かったことが原因だって言いたいのか?」
「――希望を持つ人に比べればだ。しかし悪夢に身を委ねても恥じることはない。そもそもあんな物とは戦わない方が人としては正常なんだ。悪夢種は一度出来てしまうと、普通の方法で戦っても衰弱していくだけだ。この場合は悪夢との戦いの果てに、いつの間にか息絶えてしまう……何か特別なことがあれば……」
「――!? 息絶えてしまうだって!!」
聞き逃せないセリフに俺は飛びついた。
「どうした? 大声出すなよ、ビックリしたじゃないか」
「――俺の知り合いが衰弱して意識を失ったんだ! このまま息絶えるだけじゃ困る、何とかならないのか!?」
俺が焦りを見せると、ヴァラレイスは俺の目を見つめて発言する。
「…………ほう、女の子が見えるな。私でなく、そっちの方がお前に相応しそうだぞ。健気で可愛いらしいじゃないか……名前は……フェリカか……」
(なんでもいいから、俺の心の必死さもわかるんだろ! 助かる方法はないのか!)
「……確かにだいぶ深刻な症状だな。今すぐ何とかすべきだろう」
その時、ヴァラレイスは驚くべき行動に出た。なんと手に持っていた小鎌で自らの腕を切り裂き、黒い血をダラダラと流れだした。もう片方の手で、車輪型の髪飾りを外し、転がしていくように放っていた。すると黒い血が車輪に巻き付いていき、ある形を作り出す。それは、歴史会館でも目にしたことがある屋形車のようだった。
「今すぐ向かおう。乗れ……」
ヴァラレイスが乗り込んで行くと、品があるようで無いような座り方をして、俺はその対面する位置に適当に腰を下ろした。
(って誰がこれを動かすんだろう……)
「もちろん私だ……今から車体を浮かすから落ちてくれるなよ……」
「へっ? ――ってわぁ!!」
屋形車が彼女の緩やかな手の動きに合わせて浮かび上がっていく。俺は必死にしがみつく。
(ど、どういう理屈で浮き上がっているんだ? この大穴から出るためなんだろうけど、しょ、正直、落ちそうで怖い……)
「……自分から落ちてきておいて、今さら下を怖がるのか? まぁ、それも悪夢から目を覚ました証拠か……いや、夢を叶えたんだったか」
屋形車が浮き上がる最中に結構な時間が掛かったのを知り、自分がどれだけ深いところに来ていたのか、今頃になって理解した。
ようやく大穴から抜け出すと、何もない黒い土の上に車体が置かれて、緩やかに進み始める。
「診療所というのはどの辺りだ?」彼女が聞いたので、「えっと……」俺は質問に答えようとするが、「場所はわかった……」とまた心を見られたらしく勝手に納得していた。
「自分から人に聞いておいて、少し勝手が過ぎると思わないのか?」
「思っているよ。けど、場所を知ってしまったのだから聞く必要もない……こういう女なのさ私は、だからやめておけ……」
その一言に、彼女との間にもの凄い壁があることを感じた。
「いや、高嶺の花は美しいよ……」
けれど、彼女を諦めていない。俺はへこたれてはいない。
「ぐうぅっ……きしょくわるい……」
快適に進む屋形車は禁止区域から出て街の中へ進みゆく。
(……さっきみたいに街は怖くないな)
「ふん、今もあちこちでトラブルが起きているようだな」
彼女がまた小鎌で腕を切りつけてると、黒い血をダラダラと流れていく。しかし血は、数百という綿となって散らばっていく。
「……こ、今度は何をしていたんだ?」
「見たとおりだ。私の血をばら撒いて、トラブルを引き起こしている者たちを止めるんだ。最初にお前に会ったとき、血を口から摂取させただろ? アレと同じことさ……」
「悪夢を見る人たちに、さらなる苦しみを与えて、悪夢に慣れさせるだったか?」
「正確には、この血を取り込んだ直後、身体に馴染むまでが苦しいだけで、この純黒苦血の本来の効果は、摂取した者の後の人生の負の感情を、全てこの身に――つまり私に押し付けさせるものだ」
「つまり、君が悪夢を全部肩代わりして助けているってことか? そんなことして君は大丈夫なのか?」
「何ともない……この黒い血でわかるように、もう、この世の人とは違うからな……」
「悪夢種……どうして今になってそんなものが問題になっているんだ?」
「さぁ……それは私も知りたいところだ。負々敗々の因果が、今も私に備わっているはずなのに、こちらで敗者が出るのはおかしいんだ。世間をこうしてしまった何かがあるんだろう。私はそれを探して、また向こうへ持っていき、今度こそ全世界を幸福で満たしてやるつもりだ」
流れる夜の街並みを背景に屋形車が車輪を回して緩やかに進み続ける。
ようやく診療所の前に到着すると、俺たちは屋形車から降りていく。ヴァラレイスは屋形車の形を作っていた、黒い血に戻して体内へと戻し、次に残った車輪型の髪飾りを頭につけていた。
「よし、行こうホロム……」
診療所の入り口はガラス張りの扉になっていて、そこからは光が見えている。
「……看護婦さんとかいると思うけど、大丈夫か?」
「ホロム、私の手を取れ……」
(? 突然なんだ……手を差し出してきて、まさかここでダンスでも踊ろうってわけじゃ……君となら全然構わないけど……)
「また気色の悪い勘違いをしているな……もういい腕を引っ張っていく!」
彼女は俺の腕をか弱く掴んで、強引に扉の方へと引き連れていく。というよりも……
「待った!! ぶつかっ――!!」
ガラス張りの扉にぶつかると思ったのに、いつの間にか診療所の内部に居た。
「ぶつかるものか、こうして一緒にすり抜けるだけだ」
「………………」
あっという間の出来事で、いまいちすり抜けた実感がわかなかった。
それに俺とヴァラレイスが診療所に入ったというのに、看護婦さんたちはまるで気づいていない。
「安心しろ、私が触れている限り、彼女たち普通の人間には、こちらの姿・声・気配は伝わらない。どれ、お前の後輩とやらはどこにいる?」
「……多分こっちだ。ここで働いているから予想はついてる」
俺はヴァラレイスを連れて予想している病室へ向かうと、一緒に扉をすり抜けていく。
入ってすぐに、ベットで眠るフェリカの姿が確認できた。悲痛に歪む表情は顔中が涙でいっぱいになり、何度も寝がえりを打ったみたいでシーツが乱れていた。
(運ばれてきた時よりも、顔色が悪いみたいだ)
「手早く済ます……退いていろ……」
ヴァラレイスが速やかに手首を小鎌で切って血を垂らす。
「血を飲ませる気か!? 悪夢に打ち勝つために、さらなる苦しみが一時的に襲うんだろ!! この弱った彼女の身体でそんな事すれば――」
「――彼女は悪夢に落ちていない。希望を信じて戦っているんだ。この場合、私の純黒苦血は彼女の強い味方になる」
ヴァラレイスがスッと腕を前に伸ばしていき、フェリカの口元に自分の血を垂らし込める位置へ調整している。
「この血は、他者の人体には何の害もない。役目を終えれば消えていくし、悪夢の事も忘れさせてくれる……」
その瞬間――ヴァラレイスの眉間が微かに動くのが見えた。まるでフェリカの苦しみが受け取ったかのように。
「この子はもう苦しまない……悪夢の中では、な」
何故かこちらをジト目で見てくるヴァラレイス。
(いや、フェリカの悪夢が俺に関することだったからだろうなぁ……わかってるよ)
「ふん、まぁ私は口ださん……とにかく、この子の悪夢はなくなった。もう衰弱はしない、食事を取れば疲れもなくなるだろう」
「――あ、ありがとう」
「気色悪いお礼はやめろ! 身体がむず痒くなってくる。次だ次ぃ! 衰弱している者は他にもいるんだろう? せっかくだ、全部持って行ってやる」
俺の腕を強引に引っ張っていくヴァラレイス。ふと、表情に乏しい顔がこちらに向けられて、あることを訊いてくる。
「……お前、喧嘩とかできるか?」
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