第14話 異常⑥
「地獄の底から舞い戻って来た……それは言葉通りに受けとっていいのか?」
「ああ、だけど……一つ訂正するならば、この身のいた底とは、他の人間たちからすると地獄だろうが、落ちた私から相応しい場所だったと言えるよ……」
「……底ってのは何なんだ?」
「今の時代でどう呼ばれるか知らないが、私が知る名称だと、最終焉郷とか、絶楽腐海とか、大魔地獄とか言われてた……」
「伝えられていた、あの歴史は本当なのか? 儀式をして、落とされて、全世界が幸福に満たされたって……古文伝があるんだ」
「まぁ……そんなところだ。ただ私は、自らから進んで落ちたんだけどな」
「落ちた先の地獄はどんなところなんだ?」
「それは聞かせる必要がないな。あんなところを知る者は私一人で十分……正直言って、悪夢にさいなまれる程度のお前には、耐えられない……知らない方が幸せだぞ……」
「――わ、わかった。聞かないでおくよ」
「ふふふ、なんだ? 臆したのか? 臆病者めぇ、可愛いところがあるじゃないか……」
彼女は笑うことも出来ていないのに袖で口元を隠していた。
「……私の落ちた後の世界はどうだった……? 歴史を紐解く家系でなんだろ? ちゃんと皆は平和に暮らしていけたのか……?」
「……うん、君が落ちてからの数千年間、人々の争いも、疫病の蔓延も、大きな災厄も、一度もなかったよ。最近、頻発しているトラブルを除いたらの話だけど……」
「そうか……ならいいんだ」
彼女は、魂でも抜くように口から安堵の息を吐いた。
「……君は知らなかったのか? 自分が落ちた後の世界のことを……」
「……知らない。というより、知ってはいけないんだ。あそこに行くということは一切の希望を捨て去って、負々敗々の因果を受け入れることにある。私には幸福になった世界を知ることも許されない。だからお前に聞くまでは、そうなったんだろうなぁ、と想像するしかなかった」
(なんだって……それじゃ、本当に叶うかどうかもわからないのに、嘘と裏切りしかないかもしれないのに、そんな不確かな願いを叶えるために、自分の全てを捧げて全世界を丸ごと背負ってたわけか……? そんな、一体どういう時代を生きていけばそんな発想を受け入れられるんだ?)
「さぁな……私がそういう星の元に生まれただけなんだろうさ……」
俺の心を声を聞いたらしく、ヴァラレイスはさらりと答えた。
「不満は、不服は、不条理だとは思わなかったのか? たった一人だけが落とされたんだぞ……」
「それで何もかも丸く収まるのなら、私の身が砕けようが、裂かれようが、焼かれようが、安い物だろう……?」
例え方が重いのに思い出話を語るような口ぶりに、普通の人間でしかない俺は理解が追いつかなかった。
「……おっと、怖い話をしてしまった。済まない忘れてくれ……これからを生きる希望ある若者には関係のない話だ。だから怯える表情はしなくていいんだよ。それは私が肩代わりするものだ」
微笑みかける彼女を見ていると不思議と怖いたとえ話が気にならなくなった。
「それでだ。現状のこの世界を聞かせてくれないか? 私はこっちの世界が今どうなっているのか……実は、よくわかっていないんだ。親切にされる価値もない女だが、教えてほしい……」
「わ、わかった……」
ヴァラレイスの要望に応えるため、俺は一から説明した。フォレンリースという国と、多発トラブルと衰弱していく流行病のことを簡潔に丁寧に教えていく。
「…………ふん、もう説明は十分だ。感謝するよ……大方、私の予想通りの状況になっているようだしな」
「……そういえば、君はどうしてこちらの世界に戻ってこようと思ったんだ? さっきの話だと最終焉郷にいても、こちらの状況は分からなかったんだろう?」
「……ふん、まぁそれくらいなら教えてもいいか……こいつだよ」
彼女は数十もある小型の髪飾りの内、ラッパ型のものを取り外して、適当に宙に放っていくとふよふよと漂い始めた。
「――こ、この花は何だ? ちゅ、宙に浮いているぞ!?」
「そいつは“三途華”という最終焉郷に咲いてるものだ。通常の花は香りを放つモノだが、これは現世に生きているお前たちの心の叫びを放っているんだ、だから~~……」
俺は漂う三途華に興味を引かれて近づいていくのだが、
「――って! 近づくな!!」
慌てたヴァラレイスが抱き着いてきた。
(――うわっ! な、なんだ! どうして彼女に抱き着かれているんだ。ま、まずい。心臓の鼓動が早まって……)
「――ドキドキするんじゃない! さっさと離れろ! 気持ちが悪い!」
両手で押されてしまった。(ざ、残念……恋が通じたと思ったのに)
「ふん、言ってなかった? 私が悪いから、あれだが……この三途華から来る声は、私だけしか聞けない。お前みたいな人間が聞くと命を落とすぞ。気を付けろよ……」
「は、はぁ……」
「……続きだ。これは普段、この世界の人間たちに潜在している負の感情を、最終焉郷へ落とし込んでくれるものだ。だから、私にとってこの華は警報のような物なんだよ。どこかの誰かが苦しんでいるから、叫びを聞いてやってくれっていう、私に苦しみを肩代わりさせるためのものなんだけど……」
(もしかして、この花で普段の俺の心の叫びも?)
「今はそんな話、どうでもいいだろ……」
(やっぱり聞かれてるんだ……は、恥ずかしい)
「ふん、とにかく最近ここから聞こえて来る叫びが奇妙だったんだ。悪夢から覚めたい覚めたいって声ばかりがして……だから、現世で何かあったんじゃないかと思ったんだ」
(悪夢……そういえば俺にも、悪夢がなんとかって言っていたけど……アレも)
「私の推測する限り、世間の多発トラブルの原因は、悪夢種によるものだと睨んでいるんだ」
「悪夢種……?」
「……人は生きていると、それが意識的であれ無意識的であれ、何かしらの悪事を起こしてしまう、という難しい話があるんだ……何か身に覚えはあるだろ?」
「ま、まぁ……(今、禁止区域に入ってしまっていることとかかなぁ……)」
「……そういう曖昧なものを人は生まれながらにして持っている。それが何かのきっかけで種になるんだよ。ある日突然な……」
「――その種が、悪夢種?」
「そうさ、悪夢種が出来上がってしまうと、人は悪事に走りだしてしまうんだ。自分さへ良ければいい。例えば、誰にもバレないから、禁止されている区域へ足を踏み入れたりとかさ……」
(う、耳が痛くなる)
「一度それを始めると、次も、また次もって続けてしまう。これを何度も繰り返すと、悪夢種に栄養が行き渡って、人が暴走していくんだ。発芽状態って言うんだけどさ、頻繁に悪夢を見るようになって、そこから逃れたいとか叶えたいとか思い始めると、人が見境なくトラブルを起こす原因になる」
「――!? それなら、俺は悪夢を見たことで……暴走してたってことか?」
「そうだ。自決にまでことが及んでしまうのは、発芽状態でもかなり深刻だったはずだ。まぁ私が現れて、悪夢から自力で覚める者がいるとは思わなかったが……」
「つまり君の話だと、悪夢種が育つことで人がトラブルを起こしていくんだね?」
「違う。悪夢種そのものが人をトラブルに導いているんだ。育つための栄養が欲しいからな。お前も悪夢を見たはずだ。覚えがあるだろ?」
「……そういえば夢で、俺と同じ顔をした奴がこの世界を壊せって言ってきた。それが嫌でここに逃げ込んで来たんだ。でも、ここで俺は……」
彼女の持っている髪切り小鎌を見て思い出した。ここで俺がしようとしていた悪夢の光景を……。
「それが、お前の潜在的な悪事の源だ。お前を自決にまで追い込んで、悪夢を叶えさせようとしていたんだよ」
今までの自分の愚かな行動を思い出すと、恐ろしくなって涙が溢れて来た。
「……お、お、俺は……な、なんて、なんて、ば、馬鹿なことを……この命を、父さんと母さんが残してくれたものを全部、捨ててしまうところだった……うう、ううう、うあああああああああああ!!」
膝から崩れ落ちた。情けなく首を垂れた。恋する女性の前で悲痛に叫んでしまった。
「…………悲しめ悲しめ、私が全部受け止めるやるから、ここでたくさん涙を流してしまえよホロム。そしたら気持ちも晴れていくよ」
慰めるわけでも、元気づけるわけでも、宥めるわけでもなく、俺を見守り続けるだけのヴァラレイス・アイタン。そうやって俺の苦しみの全てを受け止めてくれていたのは理解できた。しゃがみ込んだ彼女は適度な距離感を維持したまま、ずっと側で優しく微笑みかけてくれている。それだけなのに途轍もない安心感を得ることが出来た。
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