第10話 異常②

 ティエル先生がフェリカを検査し、看護婦と協力して相応しい処置を施した。


「……娘さんが意識を失ったのはいつ頃ですか?」

「つい、十分ほど前の事です……突然、倒れてしまって、大急ぎで馬車を呼んで、ここまで連れてきて……先生、フェリカもやっぱり……」


 傍らに立っていた彼女の母親らしき人物が答えた。


「……ええ、流行の奇病です……しかし……いえ、最近、娘さんの様子はいかがでしたか? どこか体調があまり良さそうではなかったとか、何かおかしな行動を取ったりとか……」

「いえ、学園が休校してからは、家で大人しくしていました。けれど、なにぶん我慢強い子でして、もしかしたら身体の調子が悪かったのかもしれません」

「そうですか……では、お母さんはしばらく待合室にてお待ちください……」


 ティエル先生が促すと、フェリカの母親はしぶしぶ診察室から退室した。


「先生、フェリカは大丈夫なんですか?」

「ん? この子はホロム君の知り合いかい」

「はい、後輩です……」

「そうか、大丈夫……とはまだ何とも……、お母さんの方にはまだ言わなかったけど、意識を失うくらい衰弱が進行している患者は今までいなかった。身体に必要な栄養補給はこのまま点滴で済ませ、彼女が目を覚ますのを待つしかないのかもしれない。はっきり言ってかなり不味い容体だ」

「……ど、どうして、こんな風になるまで診察に来なかったんだ」


ベットに寝かされた顔色の悪い彼女を見て、俺は口から呟きを零した。


「おそらく、病気か疲労かの判断が出来なかったんじゃないかな。最近は暗いニュースばかりだったろう? そこから生まれた慣れない不安が、彼女の精神に負担をかけてしまい、正常な判断を鈍らせたんだと思う」

「慣れない不安が精神に負担を……(まさか、俺がしたあの壁画の間での告白も原因になっていたりするのか? だとしたら……)」


「それでも、まだ彼女はマシな方なんだけどね……」

「どういう意味ですか……? フェリカが意識を失っているのにマシって……」


 声に少し力が入ってしまう。


「……ああ、すまない。けど、この流行している奇病には、もう一つ関連してることがあるみたいなんだ。さっき、僕は母親に聞いただろう? 何かおかしな行動は取ったりしなかったか、と……」

「……はい、聞いていました」

「実は、外で起きている多発トラブルと、この奇病は何か関係してるんじゃないかと、僕は睨んでいるんだ」

「――!? トラブルと奇病が関係しているですって? 事件を起こいている人たちと衰弱していくフェリカに何の関係が……」

「まだ可能性の話だよ。けど、発生時期がほとんど同じだ。偶然とは思えない」

「それはそうですが、だとしたらトラブルを起こす人たちを診察しないと……」

「診察を試みようとしても、暴れられて手の打ちようがないだろうね。何か衝動を鎮める薬剤でもあればいいが、今の医療の技術はそこまで進歩していないんだ」

「…………進歩」

「うん、数千年間、軽い病気だけしかなかったこの世界だ。あまり、医療の技術を必要とされてなかったからね……だからその皺寄せがここに出てきたと言うか……」

「……数千年間の皺寄せ……」

「……こうなると、あの有名なヴァラレイスの古文伝は、やはり単なるおとぎ話だったのかもしれない」

「そんなことありません!」

「ホロム君……?」


俺が声を大にして発言するので、ティエル先生は驚いていたが、構わず言葉を紡いでいく。


「――存在したはずです。現に数千年間の歴史の有り様がそれを証明しています。彼女はただ一人、地獄の底に落ちていくことで、この世界から永遠に人類の負と敗は無くしてくれました。自分以外の全ての人の幸せを願っての行動だったはずだ。それを……!」

「少し落ち着くんだ。ホロム君……」


流石に熱が入りすぎると見た先生は、俺を宥めてくれた。


「――!? あっ……すみません(何を口走っているんだ俺は、先生の方が現実的できっと正しいはずなのに……)」


 俺は先生たちの邪魔にならないようにと、近くの椅子に腰掛けることにした。

そのとき――


「――ティエル先生!」


 看護婦が呼んだのはフェリカの容体に変化があったからだ。

 俺も先生と同じように彼女の様子を伺ってみる。


「フェリカさん……フェリカさん? 聞こえますか? フェリカさん……ここは診療所ですよ。返事は出来ますか?」


「うぅ~~~~、うううっ、うっぐう~~」


 ただ苦しそうな表情で呻くだけのフェリカが、


「うぅ~~、せ、んぱい……せん……ぱい」


「――――!?」


 フェリカが誰を呼んでいるかわかってしまった。それは俺だ。


「わた、し、しんじてる……また、いっしょに、いられるって……」


 弱々しいその言葉を聞いた。


「だから、きらいに、ならないで……」


 閉ざされたままの瞳からは哀しみの涙が零れ落ち、開く口からは気分の悪そうな唾が垂れていき、そしてまた意識を深く沈めていった。


「フェリカさーん? フェリカさーん? 聞こえますかー? ――先生!」


 看護婦が反応を示さない患者に戸惑う。


「大丈夫、息はしているよ。……今起きたことと、現状できることをお母さんに説明しよう。呼んできてくれるかい……」

「はい」


 看護婦さんが診察室から出ていく。


「ホロム君も動けるのなら今のうちに帰りなさい。僕の見たところ君の精神もだいぶ疲れているようだよ」

「……はい……そうします。ティエル先生……先ほどは失礼しました」

「気にしてないよ。うんうん…………きっと、こんな事態はヴァラレイスさんが肩代わりしてくれる。だから、それまでの辛抱なんだよね。それが言いたかったんだろう?」

「……はい。では、先生フェリカのこと頼みます」


 診察室から出ていくと、看護婦さんに連れられたフェリカの母親とすれ違い。廊下を通ってそのまま待合室から診療所の外へ出て、自宅への帰路を辿っていく。


「キャーーーーーーー」


(……な、なんだ? いま、聞いたこともないような音が……人の声なのか?)


道行く先で女性の……悲鳴というモノが耳の内側まで突き刺してきた。異様な不安を抱いたけど、気になってそちらへ向かうことにした。


「は、離してくれーー! 俺に触らないでくれーー! お前らーー俺を捕まえて何をするつもりだーー!」


人だかりをかき分けて進むと、ある男が数人の警備隊に取り押さえられていて、そのままどこかへ連れて行かれるところを目にした。そして先ほどの悲鳴を上げた女性はというと……洋服店だろうか? 店内の荒れ果てた様を見て、泣き崩れてしまい、周囲の人々に慰められていた。


(な、何があったんだろう……)


その問いに答えるかのように、傍にいた二人の主婦がヒソヒソと話を始めた。


「どうしたの? あの奥さんどうして泣いているの?」

「また例の事件よ。ほらっトラブルが多発してるっていう……急に男が押しかけて、店内で滅茶苦茶に暴れまわったらしいの」

「それホント? どうしてそんなことになったの?」

「わからないけど、俺にはこんな服に合わないんだーー! だからもっと違うものを作ってくれぇーー! って叫んでいたらしいわ」

「それで、あんなにキレイなお洋服がビリビリに引き裂かれてしまったの? まぁ怖い」


主婦たちは涙を流していく女性を見守り続け、周りの人たちも悲しそうにしている被害者を助け起こしたりする。


(この区域でも、トラブルが発生し始めたのか。いったい、この世界はどうなってしまったんだ……)


恐ろしい事態を目の当たりにして、安心に身を沈めたい気分になった俺は、早々に自宅へと帰っていく。


(早く、いつもの日常に戻ってくれないかなぁ……)

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