第8話 日常⑦

「きっとその人の元へ行くことが出来て、俺のことを天国で見守ってくれていると信じたくなったんです」

「そうか……」

「ゴダルセッキさん……ヴァラレイスは全ての負と敗を代わりに背負ってくれたはずなのに、俺の両親は命を落としてしまったのは……なぜでしょうか……?」

「親子だな。やはり君も信じているか、この古き文の伝え、古文伝を……」

「昔は信じていませんでした。けど、父さんたちが亡くなってからは、きっと彼女が事故に遭わせてしまった代わりに天国に導いてくれて、俺のことを見守ってくれていると信じたくなったんです」

「そうか……」


 ゴダルセッキさんは顎に手を当て、少し考えているようだったが、やがて口を切り出す。


「私が思うに、ご両親はヴァラレイス・アイタンに深く関わりすぎたのではないだろうか……」

「関わりすぎ……それは、歴史家の立場が父さんにはありましたから……」

「――それだ、歴史家のグラル氏がヴァラレイスという存在に関わりすぎたことで、負々敗々の因果が、彼を全世界にとって何か不都合な存在と認識し、ヴァラレイスの肩代わりの力で――」

「――彼女はそんな存在ではないと思います」


 はっきりと否定した。それ以上は聞きたくなかったから。


「……すまない、少々話が過ぎたな」

「いえ、聞いたのは俺ですから……非ならこちらにも……」


 ゴダルセッキさんはソファーに腰を下ろした。


「……どうも、ここにいると沈んだ話題になってしまうようだ。これも少女が近くにいるように感じるせいかもしれないな。ははは」

「……かも、しれないですね……(……彼女が、俺の父さんと母さんを事故に追いやったわけがない……あんな幸せそうな顔をする彼女が……)」


 大壁画の少女は相変わらず、綺麗な笑顔を浮かべていた。


「――では、俺はそろそろ帰ります」


 俺はソファーから腰を上げる。


「そうか、ではなホロッ――ゴホッゴホ! ゲオホ、ゴホ!」


 突然、ゴダルセッキさんが咳込んだ。


「――だ、大丈夫ですか!?」

「んぅ……あ、ああ、心配はいらない。おそらく日頃の疲れが出たのだろう。長老たちとの議論は、案外くたびれるものでな」

「そうですか。あまりひどいようでしたら、診療所にでも来てください」

「ああ、そうしよう……ではな。ホロム君」


 俺はその場で軽くお辞儀をし、広間を出ようと歩き出したところ、ふと気になったことがあったので本人に聞いてみることにした。


「ところで、ゴダルセッキさんはどうしてここに訪れたんですか?」

「……なぁに、小さな不幸を肩代わりして貰えるように祈りに来ただけだ」


(そうか、この人も……俺と同じように少女に願うのか)


 他に用もなくなったので俺は、そのまま大広間から出ていき、そして歴史会館から立ち去った。

 仕事帰りの人、寄り道する学生、子供連れの主婦の行きかう大通りを一人スタスタと歩いて考え事にふける。


(フィーリスは迷わず帰れたかな……いや、馬車を利用すれば帰れなくなることはないか……俺も、ここから自宅までは結構かかるからなぁ……)


 夕暮れに染まっている帰路は、道の両側に青い葉を茂らせる街路樹がある。木の一本一本に螺旋状に巻きつけた導線があり、備えつけられた豆粒大の照明具“吸明液”が、イルミネーションの役を果たすべくぼんやりと灯っている。


(家に着くのは夜中になりそうだな……夕飯は外で取ろう。あっ、そうだ、せっかく外にいるんだ、あそこで食事をしよう)


 上を向きながら歩いていると、ふと視界にフォレンリースの時計塔が入り込んで、そういう考えになった。


(……どこかで持ち帰えられるタイプの食品を購入すればいいかな)


 俺は時計塔に到達するまで、付近を歩き回らながら、手ごろな飲食店を探していた。

 いくつかの店は見つけても、好みの商品が中々見つからなかったので難儀した。


(今日は、身体の血肉になりそうなものがいいんだよなぁ……)


 そこで、スポーツ帰りの学生たちが集まっている移動式の屋台が目に留まった。


(ポテトスティックにソーセージかぁ……よし、ここのものを購入しよう)


 俺は屋台の列に並んで順番を待ち、店員に目的の物を注文し、夕食を手に入れると、時計塔の方向へ向かうことにする。

 けれど、俺は途中で足を止めた。


(……この重苦しい壁は、立ち入り禁止区域の壁か……?)


 暗がりだったのでなかなか気付くことができなかったのだが、道の左側に高く分厚い壁がどこまでも続いている。俺は壁に沿って歩みを進めていると、壁の内側に続く大きな門に行きついた。


「ん? 学生か? こんばんは……」


 警備服を着た大柄の男性が、一人で門の前に立っていた。彼の見た目から俺の年齢の倍ぐらいありそうだと推測してみる。


「こ、こんばんは……あの~~ここはもしかして、禁止区域ですか?」


 気軽に警備員に話しかけてみる。暗がりで禁止区域の近くを歩いていようが。それだけで怪しまれることなんて、この国ではないんだから。


「ん? ああ、そうだよ……わかってるとは思うけど、この先には一部の人しか入れないからね」

「はい、それはもちろん。けれど、質問してもいいですか?」

「ん? 学生の好奇心かな? まぁ、僕に答えられることならいいけど、何だい……?」

「この立ち入り禁止区域には、一切の草花や木々もなく、延々と黒い土があるんですよね?」


 入り口は厳重に閉ざされ、“立ち入り禁止”と書かれた張り紙や立て札がいくつもあるが、その奥を窺うことは出来ない。


「ああ、僕は入ったことないけど、そう聞いてるよ」

「立ち入り禁止なのは、たしか例の古文伝の少女に関わる場所だから、でしたか?」

「そうそう、皆もよく知るあの不吉な少女と縁のある場所だから入ることは禁じられているんだ……」

「つまりその~~この中には黒い土の景色の他にも、何かあるってことですよね?」

「うん、そうらしいよ。僕は中に入れていないから見てないけど、詰め所にいる同僚は、それを見たって言っていたな……」

「何があったんですか?」

「確か、深い大きな穴があるって、その穴はヴァラレイスのにいる地獄の底と通じているらしいんだとか……」

「ヴァラレイスにのいる場所に通じている穴……?」


 そこで俺が沈黙したのは、その話を頭に入れるのに少し時間を必要としたから。


「ああ、怖がらせてしまったかな……大丈夫、たぶん単なる脅し文句か何かだよ。皆を不吉な場所に近寄らせないためのね」

「そ、そうでしょうね……教えてくれてありがとうございました」

「ああ、夜道には気を付けて帰りなよ学生君」


 意外と親切だった警備員と、別れの挨拶をして、再び時計塔へと足を運ばせた。


(禁止区域にはヴァラレイスのいる地獄の底に通じている大穴がある……か。いけないことだとわかっていても興味はあるなぁ……けど、入れない場所なら諦めるしかない……ああ~~また一つ、叶いそうにもない夢が増えてしまった……どうやら、そうとう厳しい恋の大穴に、俺は落ちてしまっているようだ)


 時計塔の上層に到達した頃には、夕陽も完全に地平線の彼方へ沈み、フォレンリース共和国に夜暗が満ちていた。高い時計塔から一望できる景色は、やはり至る所にある街路樹の照明具があって、街中を色鮮やかな光で飾りつけている。

 俺は夜景を楽しみながら、エネルギーの補給に夢中だった。傍には、下の階で購入しておいた、お気に入りのハーブティーを置いている。


(……ふぅ、平和だな)


 高い時計塔からでも、人々が楽しいそうに友と笑い、嬉しそうに街を歩き続ける様子がわかる。


(数千年前とはいえ、この世界で人々が争い、疫病でたくさんの人が苦しみ、天地が荒ぶっていたなんて想像できない。けど、それは実際に起きていて、一人の少女が全てを背負って地獄の底へと落ちていった。この平和を保ち続けるために、今もずっと負々敗々の因果と戦い続けているヴァラレイス・アイタン。この光景を作り出した彼女のどこが不幸・不運・不吉の象徴なんだ。彼女ほど、この世界を好いている人は絶対にいない。それこそ唯一無二にして絶対永遠だ。皆わかっていないよな、父さん。彼女はこの世界に終わらない幸せを齎してくれたのにさ……)


 二、三、ポテトスティックを口に運び、喉に通しやすいよう噛み潰す。


(平和を満喫しながら、夜景を楽しみ食事を取る、何の文句もないほど有意義だ。最高だ)


 ハーブティーを口に含み、味わって喉に通した。とても強い幸福感に満たされた。


(両親が居なくなっても前を向けた。後輩を幻滅させてもまだ関係は取り戻せる。そう思えるのは、彼女が全ての人の代わりに不幸に身を落としたから、もうそれ以上の不幸はないと教えてくれるから。それを知る限り俺たちは幸せで居続けられるんだ)


 夜空にヴァラレイスの幻影を見た気がした。場の空気と彼女への心酔からだろうか、おかしい人と思われても、心の中は誰にも知られないから気にしない。


(……ありがとうヴァラレイス・アイタン。君の望み通り俺たち人類はこれから先もずっと、絶対永遠の最勝利者で居続けてみせるよ)


 ――数多の星々に見とれていたそのとき、

 ――ドォッガーーーーン!!!!

 ――街の一部分が爆発した。黒煙をモクモクと上げる。


(…………は?)


 そこからの俺は、爆発の行く末とそれを目にして大騒ぎする人たちを、ただ茫然と見物しているだけだった。

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