第7話 日常⑥
フェリカが立ち去った後のこと。
薄暗い広間でソファーに腰掛けていた俺は、しばらく壁画の少女を見つめていた。いつの間にやら他の人たちもいなくなり、俺一人だけがその空間を独占していた。
けれど、背後から足音がコツコツと鳴るのを耳にして、誰かが広間に入って来たのだと気が付いた。
(もしかしてフェリカか? やっぱり帰らずに歴史会館を見て行くことにしたのかな?)
そう思って、すぐそこまで近づいてきた足音の発生源が誰なのかを確認すると、
「やぁ、こんにちはホロム・ターケン君」
知り合いのお偉いおじさんだった。
「なんだ、ゴダルセッキさんでしたか……はぁ……」
「あからさまになんだね? 人の顔を見てため息とは、そんなに若いオナゴの方がいいかね……わからなくもないが、私はこれでもフォレンリース国の議員だぞ。そのような態度は感心しないな」
「すみません。ちょっとした悩みがあって、確かに失礼でしたね……」
「まぁ、弁えてくれるのなら構わない」
ソファーに腰を下ろし、俺の隣に座ったのは短い茶髪のゴダルセッキさん。
フォレンリース国の中央区域の“国会樹治塔”の若き上役さんだ。若きといっても四十代半ばの男性だが、日頃から様々な政策に取り掛かっている。
重苦しい装束に身を包んだ姿は議員らしさを引き立たせ、人目も無いので普段は堅い表情も緩くなっているようだった。
「……悩みがあるのなら私が聞こうか? こう見えても相談事には幾たびか力になったことがある」
「いえ、自分で解決したいことなので……」
「そうか、それもいいだろう。大いに悩め若者よ……」
そこで、一息の間があって少し気まずかった。
「そういえば、学業はどうかな……? いや、グラルの息子だ、さして問題はないだろう……そいえば、どこぞで働いているのだったか?」
「はい、ティエルさんの診療所で、お手伝い程度の簡単な仕事をさせてもらっています」
「……う~~む、国から出されている支給金では足りぬか?」
「いえ、将来のために今の内から出来る限り貯金をしておこうかと思ったんです」
「そうか、まぁ確かにその方が良いだろうな。感心した頑張りたまえよ……」
そうして、また静かになって気まずい空気が漂う。
「……父と母を欠いて寂しくはないかね」
「ええ、もう慣れました……一人で生活する分には……」
「強がらずともよい。私としてもグラル・ターケン氏の不在には寂しさを感じている。あれほど行動的な歴史家を失ってしまったのは、国としても忍びない」
広間に僅かな沈黙が訪れる。
「そういえば、当時は余裕がなくて聞いていませんでしたが……」
ふと浮かんだ話題を、口にするのを少し躊躇って、
「父さんはどうやって亡くなったんですか?」
「……詳しくは知らないが、グラル氏は遠い遠い国へ赴いて、大きな事故に遭い命を落としたと聞いている」
「……そうですか。どこの国で父さんは……」
「それは教えられんよ。君の母上、ミリチ氏のようにこの国から飛び出して行方不明になられても困る。我々としても場所を明かしてしまったのは失敗だったと思っているのだよ」
(母さんか……)
あの日を……母さんと最後に会ったあの日を、最低限の荷物をまとめて家を飛び出したあの日を……微かに俺は覚えている。
⦅ホロムお母さんね、今からお父さん探してくるから。あの人はきっと生きてるわ。だって、私たちの世界はヴァラレイスさんが不幸を肩代わりしているから、誰も理不尽な運命が起きないようになっているはずだもの。すぐ見つけて帰ってくる。その時はまた新しい記念日にでもして、ご馳走を振る舞ってあげるわ。じゃあホロム、行ってくるから、いい子で待っていてね⦆
そう言って母さんは家を飛び出して二度とは帰ってこなかった。
(父さんが生きているなんて話を、鵜呑みにしなければ、母さんまで失わずに済んだのに……俺というやつは……)
「賢いホロムなら、わかってくれるだろうね。この国から不用意に出てしまう恐ろしさを……」
「ヴァラレイスの肩代わりが働かなくなるから……ですか?」
「そういうことだ」
ゴダルセッキさんはソファーから腰を上げて、大壁画に描かれた少女に目をやった。
「唯一無二の永遠なる最敗北者・ヴァラレイス・アイタン……数千年も昔、その時代の全人類は度重なる大不幸と大不運に絶望し、失望し、怨望した。人同士の争いは絶えず、疫病は浸食し続け、災害が際限なく繰り返されていた。そんな醜悪で残酷で悲惨な世界の中、人々はただ一人の少女に、過去・現在・未来の、世界・人類・運命の、全てを含めた負敗の因果を永遠に押し付け続けることにした。人道から外れた大儀式を幾重にも実行し、最後には少女だけを理不尽に非難し、深淵へと追いやった。だが、その後すぐに全ての問題が収束へと向かった。人々は手を取り合い、病の脅威は薄まって、天地の荒れも静まった。そのどれもが、数千年から今日に至るまで再度、発生することはない。それはこれから先の未来でも絶対に揺らぐことはないのだろう……」
大壁画を見物するのをやめたゴダルセッキさんは、広間をウロウロと歩きながら語っている。
「……そういう、誰もが負けることのない世界のはずだったのに、ホロム君は父と母を亡くしてしまった。実に残念なことだ……」
(……そう、この古い話は、俺の父さんと母さんが不慮の事故にあったことで、迷信になってしまった。けれど、俺は……この少女が居た、という事実の方を信じたい)
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