第6話 日常⑤

 フォレンリース歴史会館には様々な品々が展示されている。

 昔の風景を再現したジオラマや、価値ある骨董品を多く並べる棚や、古代人の作り出した手製の道具や石の硬貨から、歴史的偉人の着用した衣類や使用していた日用品まで、かつての流行品など様々だ。

 数千年前の世界では人同士の争いもあったらしく、その時に使用された武器や防具も飾られていた。

 館内には落ち着いた空気が漂っていて、訪れていた人の多くは高年代の大人たちだ。若者にはあまり馴染みにくい空間かもしれないけど、俺は慣れてしまっている。


(ん? フェリカ?)


 ふと後ろ振り返ったら、ついてきていたはずの少女がいなかったので、戻って探すことにした。少し戻ったところにあった広間で彼女を発見すると、どうやら館内の展示品を見ていたようだ。


(以外だな、こういったモノに興味があったのか……)


 骨董品を適当に見ていたフェリカは、不意にキョロキョロと首を振り辺りを見渡いていた。そして俺と目が合うと、彼女は早足でこちらに向かってくる。


「す、すみません先輩……つい」

「いいさ、もう少しゆっくり見ていてもいいだぞ」

「いえ、また後でいいです。今日は先輩に誘われてきたので、先にそちらの用事から」

「……わかった。じゃあ、こっちだ」


 俺は歴史会館のある場所へとフェリカを導いていく。廊下を通り、休憩所を過ぎ、階段を下り、地下へ地下へと降りていく。

 そうして辿り着いたのは、薄暗い空間の大広間だ。ぼんやりと明かりがつけられて遺跡のような雰囲気を醸し出している。

 ちなみにフォレンリースの照明は全て“吸明液”という特殊な液体を使用している。この液体は、昼間に日光を浴びせると光を吸収し、暗がりに持ち込めば、その時間の分だけ明かりを放つ代物だ。この性質を利用して、容器に液体を入れておくと、日常的に照明具として扱える。説明する必要もないこの世界の一般常識だけど。


「君を連れて来たかった場所はここなんだ……」


 広大な空間のわりに、周囲には数人程度が立っているだけだったり、中央のソファーに座っているだけだったりで、あるモノをただ眺め続けていた。


「あの、先輩ここって、もしかして……」


 広間を見て、恐る恐るフェリカが訊いてきた。


「予想通り。ここは“唯一無二にして絶対永遠の最敗北者”その歴史が綴られている間さ……」


 そう言って、俺が先に広間へと足を進めて行くと、怯える彼女も意を決して、後についてきてくれた。

 広間に入って、まず目にするモノは正面にある壁一面の大壁画だろう。俺が良く知っているあの壁画が設置されている。その前には祭壇があり、蝋燭や黒い花束が置かれ、大きな杯の賽銭入れは溢れかえっていた。

 球状の天井は、真っ黒に塗りつぶされており、不気味な象形文字や奇怪な陣が彫られている。壁には数千年前の暗い暗い景色と、人々が争い倒れている絵が描かれて、あまり気分のいいモノではないのは確かだ。


「(あの~~、先輩、恋のお相手を教えてくれるんじゃなかったんですか? こんなところに何の用です……縁起が悪いので近づきたくないんですけど……)」


 ヒソヒソとフェリカが俺に話しかけてくる。


「俺の意中の相手ならそこにいる」

「(えっ……どこに、辺りには高齢の方しか…………あっ! 陰でお祈りしている暗い顔の、でも綺麗な女性が見えました。 ――あの人の事ですね?)」

「――違うさ」


 俺は祭壇の前まで移動していくとと、大壁画を見上げてフェリカに告げることにした。


「この人が俺が恋に焦がれているお相手さ……」


 紹介したのは大壁画に描かれた一人の少女、人生の最後を笑顔で迎えた少女。


「名前はヴァラレイス・アイタン」


 その名を面と向かってフェリカへと告げると、彼女の可愛らしい表情は強張りを見せた。


「…………………………」


 絶句、困惑、疑心、不安、そいういった感情が混ざりあって言葉が出て来てくれないらしい。ただ茫然とこちらを見ているだけだ。


(うん、レレヤの恋人ギターことロザリーとはレベルが違うよな。俺に比べたら、あれはまだ可愛い方だ)


「…………せ、先輩? 私、どう反応したらいいか、わからないんですけど……冗談はやめてほしいです……」


 固くなった表情を無理やり動かしてフェリカは言った。


「冗談じゃない、この人が俺の心を射止めたのは本当だ」

「で、でも、この壁画の方は……」

「――実在しないかもしれない、したとしてもこの世にはもういない人だ……それは分かっているよ」

「そ、そんな人をどうしてです……?」

「さぁ……けれど好きになってしまったのだから仕方がない。数年前にここに来たときに一目惚れをしたんだ」

「せ、先輩? 大丈夫ですか? こ、これただの壁画ですよ……?」

「ああ、ヴァラレイス・アイタンさんを描いた壁画だ。理解はしているさ……」

「……………………いえいえ――わかってないですって、それ以前にこの方は凄く縁起が悪いですし……好意的になってはダメって世界的に暗黙の了解があるのを先輩だって知っていますよね」

「……もちろん知ってるさ、知ってるうえで君に俺の気持ちを告白したんだ。言っただろ、次は俺が気持ちを伝える番だって……これが俺の嘘偽りのない君とは付き合えない理由なんだ」

「……………………」


 力説を聞くとフェリカは押し黙ってしまい、しゅんと俯いてしまった。


(それでも言う。諦めてもらう。また、いつも通りの関係に戻るために……だから)


「だからさ、フェリカ……俺には恋心を向けない方がいい」


 優しさからのセリフのつもりが、もしかしたら冷たく聞こえてしまったかもしれない。


「…………かえります」


 下を向いたままのフェリカがポツリと呟いた。


「……事故に気をつけて帰るんだよ」


 それを聞いた少女は踵を返して、大壁画の広間から出ていった。


(これで……諦めてはくれるだろうけど、普段の関係に戻るには時間が掛かりそうかな。でも、きっとまた二人で笑い合おう)


 俺はフェリカが立ち去る姿を見送ると、背後にある大壁画に向き直り、財布から硬貨を一枚取り出して、溢れかえった賽銭の大杯にまた一つ積み上げた。


(不幸と不運の全てを肩代わりしてくれるヴァラレイス・アイタンさん。どうか僕らの蟠りが円満に解決できるように……底の底からお見守りください)


 子供の頃は信じていなかった話を、今の俺は信じることにしていた。

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