第16話 再会3

翌日の夜、胡桃ちゃんからお誘いメール、というか、営業メールが送られてきた。

「孝ちゃ~ん、閑古鳥が鳴いてますぅ~。遊びに来て~」

 平日の夜に外で飲むことは滅多にない。次の日の仕事を考えるとどうも腰が重くなるものだ。

 ただ、今回は自分の中で、だからこそ行ってみようと思った。早起きをして知った、習慣という枠。そこからはみ出た時に見える世界がある事を知ったからだ。

 今から向かう事を伝え、住所を送ってもらうことにした。

そして、二丁目の一隅に「愛の巣」はあった。

 6席程しかないこの狭いスペースの真ん中に胡桃ちゃんはいた。

「来てくれてありがとう~」

 よく見ると、奥には一人女装の方がカウンターで潰れていた。

「ここ、ここ座って」

 一番真ん中の、胡桃ちゃんの目の前の席だ。

「それにしても狭いね~」

「でしょ~。狭すぎてさ、お客さんが多い時は立ち飲み屋になるんだから~」

「へぇ~」

「鏡月のライチ味、美味しいわよ、どう?」

「あ、じゃあ、そうする」

「ロック?なんかで割る?」

「炭酸割にして」

「は~い」

 胡桃ちゃんがお酒を作っている間、僕はまじまじと店内を見渡した。

 卑猥な置物が堂々と置いてあったり、卑猥な下着がぶら下がっていたり。

とにかく目が忙しくなる、R18指定の店だった。

「胡桃ね、名前変えたの~。狂った実と書いて狂実にしたよ!こっちの方が面白くな~い?」

「狂った実・・・・・・」

満面の笑みで新しい名刺を差し出され、僕は加工修正バッチリの写真に目がくぎ付けになった。

 入店して10分しない内に女装のお客さんが入って来た。

 人口密度が急に高くなり、圧迫感を感じざるを得なかった。心なしか、室温も上がった。

 暇だから来たというのに、もう満席。奥に詰めなければ皆さんが入れないので、僕は奥のおじさん、いや、お姉さんの隣の席へ移動した。

 さっきまで潰れて寝ていたその方が、奇妙な動きで起きだした。目の前のグラスを持ち、

残りの酒を一気に飲み干すと、「狂実、もう一杯」と荒々しく、そして苦い顔で言い放った。

すると、すかさず誰かが、「八名信夫かよ」の突っ込みが飛んできた。

八名信夫という名前かどうかは知らなかったが、きっとあの人の事で、あのCMだとみんなが合点し大きな笑いが起きた。張本人はいじられている事が嬉しいのか、満面の笑みが飛び出した。

4人のお客さんを相手に狂実ちゃんは余裕のない感じで、僕は一人ほっとかれてしまっていた。

 隣のおじさん、いや、お姉さん?が嘗め回すように見てきたので、

「お名前、聞かせてもらってもいいですか?」

「俺か?」

「俺って」

「あっ、いけね!私の~名前は~百合子です♪」

「百合子さんですか。初めまして、僕は孝造です」

「孝造。いい名前ね~」

 相当酔っているのだろう、吐息が酒臭い。

 僕の横顔をまじまじと見た百合子さんが急に背筋を伸ばし、目を丸くした。

「君、いつも電車で会うよな?」

「え?な、何ですか?」

「ほら、いつも俺の横に立って。ほれ、ジャケット。同じジャケット持ってるって一回話したことあんべよ」

あんべよって

「なぁ。そうだよな」

 そういって、百合子さんは被っていた茶髪のセミロングを躊躇せず取っ払った。

「あ~」

 みんなが僕の声に振り返り、百合子さんの頭部に視線が集まる次第になってしまった。

「ちょっと~何やってんの~」

「早く隠して隠して!」

狂実ちゃんは面白がって百合子さんの頭部の上で10本の指を素早く動かし、ぼかしを急遽作っていた。

「きゃあ~大事件発生~」

と言いながらも顔は明らかに楽しんでいる。

 百合子さんもまたいじられてる事に悦びを感じ、なかなかウイッグを戻さない。

「いいや、もう今日はこれでいく~」

 というわけで、ピンクのヒョウ柄ワンピースにおじさん頭、何ともアンバランスな格好に落ち着いてしまった。

 4人と狂実ちゃんはまた別の話で盛り上がり、僕は百合子さんと話す流れとなった。

「あのジャケット、本当に気に入ってたのよ~」

「あ、そうだ、あのジャケットに、紙切れが入ってて、のりこ、さゆり、まりこって名前と〇△×が書いてあって、あと、上野、小岩、上石神井とかって」

「俺のだわ、じゃあ」

百合子さんは真顔で遠くを見つめた。

「なんか気になっちゃって、小岩とか行っちゃいましたよ。で、『さゆり』っていうお店。スナックなのかな?見つけて。でももうやってませんでしたけどね」

「潰れたのか」

更に遠くを見つめ、唇がギュッと固く閉まった。

僕は空いたグラスを胡桃ちゃんに見せ、もう一杯お代りする事にした。

「は~い、どうぞ♪」という、気の抜ける波長音が急に現れ、百合子さんはハッとした様子で遠くから戻ってきた。

「実はね、うん、そう、探してたのよ。元妻ちゃんを。娘の名前でいつかお店を開きたいって言ってたの。結局娘になんて名前つけたか知らないんだけどね。あの人だったらなんてつけるかな~って考えて、考えて。でね、思い出したのよ。因みに私、B面の時は下の名前、龍一って名前なんだけど、で、元妻ちゃんが百合子って名前でね」

「だから百合子?」

「そうそう。お互い「り」が共通して名前に入ってるから子供にも「り」を入れた名前がいいねって盛り上がった事があってね。それで「り」のつく名前を考えたのよ。」

「だからか」

「そうそう」

「え、でも、あの地名はなんで?」

「二人の思い出の場所ってやつかな。出会いは上野だったでしょ、で、私が小岩に当時住んでて、よく遊びに来るようになって、いつの間にか半同棲みたいになってね、だけど、狭いから引っ越そうってなって。あの人の実家がある上石神井で同棲することになったってわけなのよ」

「他の場所は考えなかったんですか?」

「あの人は思い出とか凄い大事にしてたからね、他の場所はありえないわよ」

「すごいですね」

「何が?」

「いや」

「でも、なんで上野がのりこで小岩がさゆりって決まってるんです?」

「なんとなく」

「え?適当?」

「なんとなく、上野だったらのりこって名前でスナックしそうかな~って。イマジネーションってやつ?使ってみたわけよ」

「ただの決めつけじゃないですか?」

「あ、でも、小岩のさゆりはさ、昔よく一緒に行ってたスナックがあったからなんだ」

「同じ名前のお店、小岩に出す訳ないじゃないですか!」

「あ、それも、そうだな」

「上石神井のまりこはなんでですか?」

「百合子のお母さんの名前がまりこだから」

「いやいやいやいや、自分の娘におばあちゃんになる人の名前つけないでしょ?」

「そうか?」

「そうですよ」

「海外だと、まあ、ある事よ」  

「そうなんですか?」

「私、画家を目指しててね、若い頃。ここは日本なのにね、馬鹿でしょ?どうしてもヨーロッパに行って武者修行したくって。本物の絵も見に行きたかったしね。お金貯めて、さあ行ってくるぞって時に、あの人の妊娠がわかったの。でも航空券も買っちゃっててね。行くの辞めてそばにいようか悩んでたら、行って来なさいって言われて。やりたいことはしてきなさいって」

「すごい理解のある方ですね」

「じゃあ、行って直ぐ帰って来るから待っててよ、な~んて軽く言っちゃってね。最初の頃は文通してたのよ、写真も送ってくれてね。お腹が少しずつ大きくなっていくのを見るのが嬉しかった~。そうそう、私がデザインした絵があってね、それを百合子はすごい気に入って、お腹に入れ墨入れたのよ。」

「お腹にですか?」

「普通背中に入れると思うじゃない?そしたら、それじゃあ自分で見えないからって言ってお腹に入れちゃったのよ。だから、お腹が大きくなると、絵も若干広がっていくのよ。芸術的だったわ~。龍一の龍に百合子の百合の花をモチーフにしてね。こう、ちょうど龍が百合に巻き付いてる感じでね、でもって、百合の雄しべが龍のお腹あたりから突き出すような位置にあって、もう、勃起してるみたいなの、龍が。知ってる?百合の雄しべ。もう、丸出しなのよ!エッロいんだから~」

「知らないですよ」

「今度見てみなさい」

「はい」

「でさ、一か月で日本に帰るはずだったんだけどね、楽しくなってきちゃってね。しかもほら、一人で心寂しいじゃない?体が浮ついちゃって、浮ついちゃって。しかも東洋人が珍しいのか、モテちゃうもんだからさ」

「お金はどうしてたんですか?」

「私の絵を気にってくれた人がいてね、ダンディなおじ様。頼まれて何枚か描いたりしたわよ。そのうち、絵よりも私を気に入っちゃって!僕のヌードを描いてくれって何十時間も部屋で監禁されたわよ」

「えっ?」

「いろんなポーズをしてくるのよ。しまいには勃起姿を描いて欲しいっていうもんだから、私、口動かしたり、筆を動かしたりって、もう、大変。二刀流で頑張ったわよ」

「何してるんすか」

「ねぇ、エロ絵描師になっちゃたのよ」

「どれ位むこうにはいたんですか?」

「そうね、10年?」

「長っ!直ぐ帰るって言ったじゃないですか!」

「外務省に友達がいるって言って就労ビザ、すぐに出してくれちゃって」

「その間、文通は?」

「してなかったのよ~」

「最後の手紙にはぺちゃんこになったおなかの写真が入ってただけだった」

「・・・・・・」

「それでも、帰る気にならなくてね、放蕩三昧よ。最低でしょ?」

「最低ですね、あっ、すみません」

「そうなのよ。後悔してる。日本に帰って来て、同棲してたアパートへ行ってみたけどもう壊されちゃってて、幸せそうな庭付き一軒家が建っててね。で、それから探し始めたわけよ、あの人を。あのジャケット着ながらね。で、お金が尽きてきたから古着屋でジャケット売ってさ。海外のい~生地使ったやつだから、思ったより高く売れたわよ」

「妻ちゃんって事は結婚してるんですよね?なんか戸籍とか調べたら名前もわかるんじゃないんですか?」

「いや、それがさ、結婚してなかったのよ。未婚の子供として産んだみたい」

「みたいって」

「だけど、俺としては妻って思ってたからね」

「いやいや、百合子さん、大事な時にほったらかして、掘ってたでしょうが」

「上手い事言うね~」

「で、今もその娘さんを探してるんですか?」

「そりゃね、会いたいからね」

「勝手ですね」

「勝手なんだよ、俺はいつだって。だから子供もできたんだ」

「会ってどうするんですか?」

「絵を描きたい、娘の絵を」

「また勝手な。娘さんの気持ち考えた事あります?」

「勝手なのはわかってる。け、ど、も、会いたいのよ。生まれた年はわかるけど、月日まではわからないのよね。今年で32歳かな。お腹の膨れ方が女の子だって助産婦さんに言われたって、手紙に書いてあったから、女の子だと思うわ。ヒントはね、いろいろあるのよ。なんとなくピンときた娘がいたら声かけて名前と年、聞いて歩いてるの、私。ナンパに間違えられて、よく逃げられちゃうんだけどね。必死でお願いしてお茶してもらった事もあったわよ、すっごくゆりこに似てたから。結局違ってたんだけどね、もし娘がいたらこんな感じかってなって、感極まったわ~」

「いつか会えるといいですね」

「ありがとう」

百合子さんからフワッと一瞬、父親の匂いを感じた。

「狂実ちゃ~ん、この方の、僕に付けといて~」

「え、いいですよ~」

「私の話、真剣に聞いてくれたからさ、嬉しくなっちゃった。言わなくてもいい事、一杯しゃべっちゃったけど~」

「あ、いえいえ」

「ありがとうね」

 百合子さんは僕に手を差し出し、ギュッと固く力を入れ、僕の目をじっと見た。酔いはすっかり冷めた様で、しっかりとした足取りで静かに帰って行った。

 時間もいい時間だし、そろそろ帰ろうかと思い席を立つと、聞いた事のある伴奏が流れてきた。

一人が席を立ち、マイク片手にスタンバイをしている。大きな深呼吸に、咳払い。

くるぞ、くるぞ。

「あぁ~果てしない」

上手い。歌唱力に圧倒されていると、隣にいたブーツのお姉さんが、

「元プロだからね。武道館に立った事だってあるんだから、この人」

「え~」

「今じゃ、面影ないけど~」

「でも、化粧はしてたよね、前から。ビジュアル系だったから」と、すかさず胡桃ちゃんが情報提供。

「昼はテレアポしてさ、今でもバンド組んで細々と続けてるのよ。じゃなきゃ、いつまでもあんな高音キープできないわよ~」

「この人はね、昔お笑い芸人してたのよ~。昔一世風靡した番組にも出てたしね~」

「栄枯盛衰よ」

そういったのは、ミニスカートに網タイツを合わせたお姉さんであった。

「今は番組の脚本書いたりしてるんでしょ?」

ここでも狂実ちゃんは情報提供をする。

「そう。あと、介護のドライバーもしてますよ。空いた時間に少しでも稼げればって思って。母がそこに通ってるんです。僕、イヤ、私、一人っ子なんで、面倒見るって言ったら自分じゃないですか。随分迷惑もかけてきましたしね」

「偉いわねぇ~」

「母はこの世で一人ですし」

「なんか泣けてくるぅ~」

そう言うと、胡桃ちゃんは本当に目を潤ませていた。

歌い終わったその方は、レモンサワーを飲む前から爽快な顔をし、一気に飲み干した。

僕は掛けていたコートを取り、羽織り始めると、それに気づいた水色ワンピースのお姉さんが「え~帰っちゃうの~お兄さん?じゃあ、最後に一曲みんなで歌いましょうよ~」と言い、お決まり事の様にカラオケに曲が送られた。

『We are the world』であった。

知らない内にパート分けがされていて、流暢な英語でみんながマイクを回し歌っている。英語が得意ではないし、マイクが来ても僕は歌えない。どうしよう、と内心困惑していた。サビに入ると、隣のお姉さんがマイクを手に持ったまま先っぽだけを向けてきた。

ここなら歌える!

「ウイ アーザワー、ウイ あーザチルドレン~」

すっとマイクを戻し、手にしていた方が続きを歌われた。

なんて、配慮だろうか?僕の心を察してくれていたのか。

マイクはまた端に行き、サビに近づくとこちらへ戻って来るというシステムになっている様だ。モノマネをする人もいた。今日が初めましてなのに、僕は奇妙な一体感に浸ることが出来た。エンドレスに続いたサビが終わる頃には、感無量だった。

みんなの無尽蔵なエネルギーはどこから来るのだろうか?感心すると同時にカッコよく思えた。

狂実ちゃんに目で挨拶を済ませ、僕は満足感で店を出た。

扉を閉めると好事家達の甲高い笑い声は遮断され、簡素なモノクロ世界に引き戻された感覚になった。

電車に乗る頃、胡桃ちゃんからのラインに気が付いた。

「今日は来てくれてありがとう。今度またゆっくり二人でご飯行こう」

「楽しかったよ、又行くね」

これがただの社交辞令ではない事を僕は確信していた。

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