第15話 メロンソーダー

翌日、柴子との待ち合わせ前に新宿御苑へ向かった。

なんて清々しいいい天気だ。

広い御苑内をただひたすら歩いていると、外国人旅行者やレズカップル、ゲイカップルに、若夫婦に老夫婦、そして女装家さん達、あらゆるジャンルの人達とすれ違った。

場所が場所なだけに、そういった方々がいてもさほど驚きはしない。

なんせこの後、柴子と会うのだ。自分の中で女装家というジャンルは既に身近な存在になっていた。

端から端まで御苑内を歩き回っていたらいい時間になったので、柴子が待つジョナサンへ向かうことにした。

中に入ると柴子は直ぐに僕を見つけ、大きく手を振り存在を知らせてきた。

店員さんに「待ち合わせしてまして」と告げると、「どうぞ」と笑顔で通してくれた。座って待っている方々の目の前を通っていくのは少々気まずかったが、仕方がない。

柴子に近づけば近づくほど、緊張していた。柴子にではなく、周りの目にだ。

女装していない僕がこんなに冷や汗をかいているんだ、女装している柴子はさぞかしドキドキものなんだろうと、尊敬した。

席に着くなり、柴子にメニューを渡された。

「ねえ、これすっごい美味しそうじゃない?」

柴子は無邪気な顔で芋と栗の入ったパフェを指さし、すっかり心を奪われていた。

僕達はドリンクバー2つとデラックスオータムパフェとドリアを頼んだ。

ドリンクバーへ向かう柴子はとても堂々としていて腰に手を当て、メロンソーダーを勢いよくコップに流し込んでいた。僕はコーヒーマシーンの下にカップを置き、しばしの間、柴子を観察していた。柴子はストローを探しているらしくキョロキョロしながら口をとがらしている。見つからなかったのだろうか、柴子は席へ戻っていった。ぼくのコーヒーも出来上がり、派手に動くお尻の後を追った。

「じゃあ、乾杯~」

メロンソーダとコーヒーでいい年した男二人が乾杯すると、柴子は、いや、そういえばちゃんと名前があったっけ、胡桃ちゃんは話し始めた。

「私、今2丁目でこうやって変身してね、やっと解き放たれたって感じなの、もう、幸せなの」

確かに胡桃ちゃんは柴田君の時とは違って、明るく輝いている。オーラとか見えない自分でも何か感じ取れる様なものが確かにあった。

「聞きにくいんだけどさ、胡桃ちゃん、CGの女の人と結婚式したじゃん、その、相手は、恋愛対象は女性がいいの?つまり、レズビアンってことになるの?」

「う~ん。私もよくわからないんだけどね、あの時は、うん、あの子が好きだったわね。あのCGって、私が全部カスタマイズして作り上げた子なのね。顔、体形、性格、出身地、家族構成も性癖も全部。なんだろ?だから娘みたいな感覚でもあったかしらね」

「え?何それ?近親相姦じゃん」

「ま、そうなるわね。でもほら、CGだからできないし。安心して」

胡桃ちゃんは笑って緑の液体を力強く飲んだ。

この不気味な色をした液体と女装姿の胡桃ちゃん、プラスこの会話が恐ろしい程に調和していた。

「なんだろうね。理想の女性像を追っているのかな、私。いないなら自分でやっちゃえってなって」

「え?じゃあ、今僕の前に座っている胡桃ちゃんが、柴田君の理想の女性って事?」

「まあ、そうね」

ぼくは開いた口がふさがらなかった。

「だって、こんな女性いなくない?」

確かに探すのは難しそうだ。

レインボー色のスパンコールボディコンを着て、15センチ程ある赤いヒールにヒョウ柄のコート、そして金髪ロングヘアー。前髪は軽くウエーブがかかっていて、まるでベル薔薇のオスカルの様なのだ。こんな女性、そうはいない。

「だからね、自分を鏡で見てうっとりするの」

視線をずらした先には胡桃ちゃんの口紅がべっとりついた空いたグラスがあった。

「おかずは自分だからね!」

僕は口に含んでいたコーヒーを吹き出しそうになった。

注文を受けたウェイトレスとは別の男性ウェイトレスが到着した。何も聞かずに僕にドリア、胡桃ちゃんにパフェを置いて行った。

「いや~美味しそう~。やっぱ芋と栗は外せないわよね~」

本当に女性らしい事を言うな~と感心してしまった。

「胡桃ね、今通ってる女装バーがあるんだけど、そこのママさんが体調崩しちゃって。もしかしたら胡桃がママになるかもしれないの」

「すごいじゃん」

「そしたらさ、一度遊びに来てよ!」

「営業?これ」

「違くて~。普通に誘ってるだけ~」

「いろんなジェンダーの人が来るから、面白いわよ!」

僕は熱いドリアを冷ましながらキリコさんの事が頭に浮かんだ。

「性別が自分でわからない人、とかっているの、かな?」

胡桃ちゃんならもしかしたら詳しい事を知っているのではないかと期待と不安を混ぜてサラリと聞いてみた。

「え、いるよ~。今多くなってきてるかもね~」

「そうなんだ」

冷まし忘れて入れたドリアが熱かった。

「動物だって性別がないのいるじゃない?ミミズとかナメクジとか?だから別におかしくはないと思うんだよね、そういう人間がいたってさ」

「そっか」

「なんで?何?孝ちゃん、クエッションなの?」

「いやいや、自分は女性が好きだし、男だよ」

「何?じゃあ、知り合いにいるの?」

胡桃ちゃんは、時折肋を掻く癖がある。

それがチンパンジーにそっくりで、笑いを堪えるのに困る。

知り合いにいるわけ?と聞かれてキリコさんの顔が頭に浮かぶものの、この猿化とした胡桃ちゃんはインパクトが強くて、お陰で悲壮的な思いには至らなくて済んだ。

「まあ」

「じゃあ、2丁目連れてきてあげなよ~。一人で悩んでるより仲間といた方が絶対気が楽だって~」

「うん、じゃあ今度誘ってみるよ」

「常識なんかに縛られてたら、世界小っちゃくなっちゃうよ~」

「うん」

「自分の事なんて、意外とわからないもんなんだから。もしかしたら、孝ちゃんだって男性が好きになる事もあるかもしれないよ?ないと思ってたらないままだけどさ、こう、脳みそをフリーにしてみたらね、案外そっちの方が自分らしくいれたりとかね。わからないよ~人生って」

「胡桃ちゃんが言うと物凄く説得力のある言葉だね」

「そうよ~。だって女装始めたの今年だよ。結婚式したのは、えっと夏だから2か月前くらい?それで来週から2丁目のママになっちゃうんだから」

「わからないね~」

「でも、今すっごく楽しいわよ~」

「うん、それは見ていて感じる」

「流されればいいのよ~。変に軸みたいの持ってたらポキってさ、折れちゃうんだから」

「なるほど」

「そういう人一杯見てきたしね~。順応性が大事よ。柳よ、柳」

底にたまった溶けたアイスをスプーンで何度も何度も掬い取っている胡桃ちゃんを不覚にも可愛らしく思ってしまった。

「なんか甘いの食べたらさ、しょっぱいの食べたくなってきちゃった」

メニューに手を伸ばし、大盛りポテトに熱視線を送っていた。

「孝ちゃんも摘まんで、一緒に食べよ」

「う、うん」

「飲み物取ってこよ~っと。あ、ポテト頼んどいて~」

胡桃ちゃんは空いたグラスを持って、ドリンクバーへ向かった。

僕は複雑だった。昨日のキリコさんの告白を一度は納得、理解したつもりであったが、改めてそういった世界が実際にあって、そこで生き生きとしている人達がいるとするならば、キリコさんの進む道というか、救いの道は2丁目であって、僕の隣ではないと痛感せざるを得なかったからだ。

失恋といえば失恋なわけだ。いや、立派な失恋だ。複雑なケースだからと言い訳をして自分の傷をカモフラージュしているが、失恋だ。

僕は叶わない恋をしていたのだ。

冷めたドリアを口に運び、大して噛まずに飲み込んだ。

また緑の液体を並々一杯に入れて胡桃ちゃんが戻って来た。

「ねえ、孝ちゃんは彼女いないの?」

「昨日振られたばっかだよ」

「え、そうだったの?ごめ~ん。だから今日はなんか元気なかったのね」

「そう見えた?」

「うん」

「そっか」

「まあ、仕方ないよ!次、次!女なんていくらでもいるんだから!なんなら紹介しよっか?女装してる男なんだけど~」

胡桃ちゃんは携帯の中に入っている女装仲間の写真を見せてきた。

「この子なんて、超クオリティー高くない?」

確かに可愛かった。本当の女性より女性らしく、綺麗な人だった。

「私もまだまだよね~。頑張らなくっちゃ!」

そう、頑張らなくちゃいけない事は人それぞれあるものだ。今、自分が頑張らなくてはいけない事とは何か?知っているが故に胸に突き刺さる。

ウェイトレスが注文を聞きに来た。

「山盛りポテト下さ~い」

「はい。かしこまりました」

「ここね、女装家さん達がよく使う店なのよ。だから、ウェイトレスさん、もう慣れっ子なのよ、私達に。」

「だからか」

「他の店だと嫌な顔、あからさまにするからね~」

 僕はそんな人がいるのかと無性に腹が立った。腹が立って怖い顔になっていないか心配になった僕は、空いたカップを持って席を立った。

 コーヒーのボタンを押し、しばし店内を見渡すと、確かに女装している人が胡桃ちゃん以外に何人かいた。席へ戻ると熱々ポテトをハフハフしながら食べる胡桃ちゃんを見て、怒りは自然と消えていた。

「孝ちゃんも食べない?美味しいよ」

「早いね、ポテト来るの」

「ねっ」

「ありがとう。上手そう」

熱いポテトを二人で食べ終えると、胡桃ちゃんはお店へ僕は家路に帰った。

 

 一人になって、空虚感に苛まれていた。

そして、ようやく言葉になった。

ここ最近はルノアールに行っていない。

書くことへの情熱が段々なくなってきている事を見て見ぬふりしていたが、もう限界だ。夢に夢を見ていた事を恥じるようになってからというもの、楽しくない日々を過ごしている。何かに向かっている時は努力をする、行動する。けれど、向かうものがないと動きがなくなって、少しずつ澱んで、沈んでいって、不安になっていく。

気付いたのだ。

努力とは自分にとっての存在意義だったと。

例え叶わなくても、叶う為にどれだけ考えたかが大事だったのだ。

それは他人が採点するのではなく、自分が採点する、自己採点方式なのだ。

胡麻化す事もできるが、胡麻化したとて、自分は嬉しくない。スパッと竹を割った様に諦めるなら清々しいのだが、ただ目を背け、臆病になって、終いの果てには人を妬んだり、もしくは拗ねてみたりでは最低最悪だ。

努力をしない事は、努力をするより精神的にしんどい事を体感してしまった。


家に着き、窓を開け、里芋達を確認すると、そのまま開けっぱなしにしておいた。

僕はその間、姿を消す為風呂に入りに行った。

風呂から出ると、窓から風が入って寒いのなんの。つま先立ちで走って窓を閉めに行く。

猫たちはというと、家の中ってのはキャットハウスより広くて楽しいの~てな感じでウロウロと探検していた。

暖房をつけると、猫達はちょうどいい場所を見つけ陣取り、また里芋に戻っていった。

著名な作家達は猫と一緒に暮らしている事が多い。講演会を聞きに行ったあの作家もそうだ。

それも沢山と。

猫と暮らすという事は、こう、アイディアを産出してくれる守り神と暮らす様なものなのかもしれない。思い込みでも何でもいい、里芋達がいることで精神は安定する。安定していれば、心にゆとりが出来て、やる気にも繋がる。

兎角、人はやる気のスイッチ場所を探しているものだ。

スイッチは一番見つかりにくい場所に隠されえているという事なのだろう。

僕は初めて里芋達と同じ部屋で夜を共にした。

猫は朝が早いなんて知らなかった僕は、三時半に起こされた。

にゃあにゃあにゃあにゃあ、実に五月蠅い。

この広いキャットハウスから出たいんだと訴えかけてくるので、窓を細く開けると、勢いよく二人は飛び出ていった。

布団に潜り込み、膝を曲げ縮こまる。何度か再眠にチャレンジするものの、完全に脳は起きてしまった模様。仕方なく膝を伸ばして起き上がる。

熱いコーヒーを入れ、腰を下ろすと、早朝の静寂さに神秘的な力を感じた。

頭が妙にすっきりしている。

僕は一人、人目を気にせず、書いた。書くために書いた。ひたすら書いてみた。

人間の集中力は長くは続かないが、長くなくとも集中はできる。その間に一気に攻め込む。脳みそが休憩を要求し始めた頃、あの子達が帰って来た。

このタイミングを利用して、お椀にご飯を盛ると、満足そうに食らいついた。

 早起きは三文の徳を現在進行形で体験している。

時間があるからいつもは取らない朝食を取ってみた。そして、トイレに行って大をした。それから早めに家を出て、早めの電車に乗った。時間が違うというだけでこんなにも景色が変わって見えるとは知らなかった。電車の中もどこかキリっとしている。

ほうほう。

ふむふむ。

ただ、この日は仕事中眠くて、家へ帰ると早めの就寝となった。

もちろん、猫達と一緒に。

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