第14話 告白
今日も電車のおじさんは僕を凝視してきた。さすがに気になったが、それでも僕はいつもの定位置に着いた。すると、あろうことかおじさんは立ち上がり、僕に声を掛けてきた。
「そのジャケット、どうした?」
「え、ジャケットですか?」
「ああ、そのジャケットと同じのを昔持っていた」
「いや、ちゃんと買ったんですよ。高円寺の古着屋で」
「そうか、すまんすまん。いや、つい、懐かしくて」
突然の事でびっくりはしたが、理由がわかって少し安堵した。
確かにこのジャケット、細めの紺のコーデュロイで胸ポケットには雄鶏らしい刺繍が小さくさりげなくあり、貝ボタンがアクセントになっている。大量生産されたような感じではない、どこかインテリな感じで、でも、いやらしくなくて、とても格好いいジャケットだ。
おじさんはゆっくり膝を曲げ、静かに座った。
僕は向きを変え、日課になったラインをキリコさんに送った。
土曜日の午後は用事が出来てしまったらしく、19時の待ち合わせとなった。
早めの夕ご飯を食べてから展望台に行くべきか、展望台に行ってから夕飯にするべきか迷うところだ。なんせ、展望台まで登るには予約が必要でざっくりした時間を決めなくてはいけない。キリコさんにどちらのコースがいいか聞いてみた。
すると、期待とは裏腹に夕飯なしでそのまま直行コースを選ばれた。
食べて来るそうな。そりゃないよと、ガッカリはしたけれど、夜景を味方につければきっと大丈夫と、自分を勇気づけた。
何とかこの日まで緊張を制御してやってきた。当日の緊張は仕方なし。大目に見るものとする。だって、自然現象だもの。みつを風に言うことで都合よく言い訳にできるのだ。
駅の改札を出るとバレエやクラッシックのポスターが目に入った。近くに大きなホールがあるようだ。
バレエは美しいと当たり前のように思っているが、果たしてそうなのだろうか?
と、ふと思った。
真っ直ぐに伸びたか細い脚は長年痛みを堪えてきた指先に支えられ、くるくると回ってみせる。僕には痛々しく見えてしまい美しさに浸る余裕がない。それに痩せすぎだ。少しくらいお肉がないと。女性はモデルに憧れて痩せたい,痩せたい言うけれど、お肉があった方がいいと真剣に思う。骨が出ていると当たって痛いし、それに何より肉を掴みたい。
刷り込み、思い込みによる美で女性は翻弄されてはいないだろうか?
人によって、国によって、時代によって美は千差万別。
15分程歩いて待ち合わせ場所に着いた僕は、頭の中でこれからの流れをシュミレーションしていた。
勇気とタイミングが手を結べば、告白も視野に考えている。
「こんばんは」
キリコさんは時間ちょうどに屈託のない笑顔でやって来た。やっぱり可愛い。
「こんばんは。では、行きますか」
生キリコに緊張をしている。
「はい」
展望台用のエレベーターまではエスカレーターを使った。左側の列に並ぶと僕が前でキリコさんが後ろに立った。話しかける為、後ろを振り向くと意外と至近距離にキリコさんがいてビビッてまた前を向いてしまった。ひとまず、一度上に着こう。
背を向けたままというのは良くないが、かといってあの至近距離で話すのも気まずかった。僕は、次のエスカレーターでは手すりに寄っかかる体勢になった。
これなら、少しはしゃべり易い。
「スカイツリーって634メートルもあるんだよね。」
唐突に言ってしまった。しかもみんな知っている様な事。恥辱で立ち直れそうにない。
「む・さ・しだよね」
「そそそ」
僕のつまらない発言をちゃんと拾ってくれるとは、なんて優しい人なんだ。
もうこの薄っぺらい会話、どっかへ飛んでけ~と願うばかり。これ以上広がらないように、別の話をしなくては。頭はフル回転でネタの引き出しを開けるも、整理整頓ができていなくて探すのに時間がかかる。
あたふたしている間に展望台直通エレベーターの乗り場に着いていた。予想通り、カップルや家族、外国人観光客で混み合っている。
列に並び順番を待つのだが、この時間がまるで永遠の様に長く感じる。
よく付き合いたてのカップルがディズニーランドには行かない方がいいというのは、アトラクションの待ち時間の過ごし方が酷だからだ。
今、正に似たような状況に陥っている。
花火大会ではここまで緊張はしていなかったのに、何故か?これは単に私が告白を企んでいるからではないだろうか、と察した。ならば、告白は辞めにして、もっとリラックスして楽しめないだろうかと考え直すことにした。
今夜でなくても、きっとチャンスはいつでもある。
展望台に辿り着くと、その眺望に圧倒された。夜という事もあって、町はギラギラに光っていた。一際目立っていたのは、やっぱり東京タワーの赤だった。
この夜景にさぞかしキリコさんも感動しているだろうと顔を覗くと、どうも浮かない顔。もしかして、高所恐怖症だったのか?花火大会の時を思い出させた。
「キリコさん、大丈夫?怖い?」
「電気、すごい使ってるな~って思って」
「で、電気?」
「上から見るとすっごいわかるね」
「う、うん」
夜景を見たらロマンティックという方程式がキリコさんには通用しなかった。
これからの電気供給について真剣に考えているのか、渋い表情をしている。
確かに今日本は原発問題を抱えているし、エネルギー問題は世界共通の悩みの種だ。
もう一度キリコさんの顔を覗くと、先ほどよりさらに曇った顔になっていた。
もうキリコさんが環境省の人にしか見えない。
こんな状況で告白など、上手くいくはずがなかったと胸をなで下した。
僕達はぐるりと一周し、そのまた上の展望デッキには行かず、そそくさと地上へ戻る事にした。
あっという間のスカイツリーであった。
外に出て改めてスカイツリーを眺めると、首が痛くなるほどにやっぱり高かった。
「キリコさん、時間は大丈夫?」
「うん」
「もし良かったらちょっと飲んでいかない?」
断られる覚悟で誘ってみた。
「うん、いいよ」
予想に反していたので嬉しさ倍増。
「じゃあ、どっか飲めるとこ探そう!」
僕は分かり易いくらい生き生きし始めた。
スカイツリー周辺には昔ながらのディープな飲み屋が存在している。一見、入りにくいが、入ってしまえば、そこは下町人情が溢れていて、美味しく楽しくお酒が飲める。
一軒の飲み屋から、夫婦が顔を赤くしながら腕組みをして出てきた。
男の人が店の人に向かって「また来るよ~」とお決まりのセリフを投げかけていたのを見て、ここだと思った。
「どうかな?」
「うん、いいね」
僕たちは夫婦と入れ違いでお店の中に入った。長いカウンターテーブルと3席ほどのテーブルがある、ちょうどいい広さだった。
店内には常連さんと、外国人観光客がいて、席はカウンターしか空いていなかった。
さっきの夫婦が座っていた席であろう机を女将さんが片付けながら、「こちら、どうぞ~」と、素早く机を拭き、僕達を招き入れてくれた。
「スカイツリー登って来たの~?」
「はい」
「私は怖くて登れないわ~」
「高かったです」
「いや~ん。怖い怖い」と、言いながらすかさず暖かいおしぼりを出してくれた。
手書きのメニューの中から、僕は生ビールを、きりこさんは梅酒ソーダ割りを頼んだ。今日初めて一緒に感動したものは、スカイツリーの眺望ではなく、このお通しに出てきた、ジューシーなだし巻き卵であった。
他愛もない話にお酒が進み、3杯目を飲み干しそうな頃、深呼吸をしたキリコさんが口を開いた。
「実はね」
「うん」
「私、よくわからないんだ」
「ん?」
「自分の性が」
「え?」
「私、男性が好きなのか、女性が好きなのか、どっちも好きなのか、どっちも好きじゃないのか」
「え?」
酔っているせいもあり、言葉を理解するのに時間がかかってしまう。
「なんかね、私、自分の性別がないみたいな、そんな感じなの」
「うん、うん、今頑張って理解しようとしてるからね、もうちょっと待ってね」
「ありがとう」
「続けて、続けて」
「初めはね、私、自分が女性なのがすごく嫌だったの。なんで女性なんだろう?って。子宮もおっぱいも、本気でいらないって思ってた。誰かにあげてもいいって。女性を象徴するものは全部いらなかったの」
「いらない?」
「うん、いらない。だってね、あると違和感っていうか、不自然に思ったから」
グラスを手にし、残っていた梅酒を一気に空にした。
「私、こんな感覚で大丈夫かな?って悩んでね、そうだ、尼さんになろうって思って剃髪したこともあるの。クラシックの『カノン』流しながら。一人でね」
「えー」
「女は髪が命っていうなら、髪もいらないって思ったの」
「うん」
「でもね、尼さんにはなれなかった、結局。だってね、逃げになる気がしたの。その世界に行けば、救われるかもしれないって思っちゃってたからさ。それって頼ってるじゃない?」
僕も少し温くなったビールを飲み干した。
「キリコさんは強いね」
「強い?」
「うん、強いと思うよ。自分と向き合うって大変だもん。真剣に向き合う人なんてそんなにいないと思う。みんな、やっぱり逃げたいよ。考えない方が楽だしね」
「考えざるを得なかったんだよ。違和感がすごくてさ」
「多分その違和感に気づけない人も多いと思うんだよ、鈍感になっちゃって」
「そうかな?」
「うん、わからないけど」
「男性がいれば、やっぱり私は女性じゃない、どうしたって。女性って事は、男性の性対象者でしょ?一般的には」
「うん」
「それがもの凄く嫌でね。男性の事がすごく嫌いになって、というか、気持ち悪い人達になってって。怖くなっちゃって。電車で隣に男性が座っただけでも動悸がして、その度に席を変えてた時期もあったの」
「そこまで?」
僕はキリコさんの隣に座ってて大丈夫なのだろうかと、狼狽した。
「今は大丈夫だよ。時間をかけて、治療も受けて、恐怖心は徐々に薄まっていったよ、でも、それ以上の気持ちには絶対になれないんじゃないかなって思ってる」
「じゃあ、僕との関係って?」
ついポロリと出てしまった。
「友達?」
「友達なのか」
「友達以上の、男女の関係にはなれないよ。人間と人間の付き合いっていう感覚」
「そっか」
僕の体は突として重くなった。
「でも、男性とこんなに仲良くなったのは孝造君が初めてだよ。孝造君には何でも話せるの。すごく不思議な感じ。たまにね、女性みたいな気持ちになることもあるんだよ。こう、なんていうか、孝造君いいな~って。くっつきたくなっちゃうなって」
「くっついてくれればいいじゃない」
つい本音が出てしまった。
「でも、自分の気持ちに責任負えないから。一時の感情に流されて、孝造君に迷惑かけたくないしさ」
「迷惑じゃないよ~」
僕は完全に酔っているようだ。
「わかってないから、そう言うんだよ。私の好きっていう感覚はね、人間として好きって事なんだよね、そこに性は存在しないの。そこをちゃんと理解してもらわないと」
「でも、好きって思ってもらえて嬉しいよ。そこに性が無くてもさ」
「そうなの?」
「うん、そりゃそうだよ。だってキリコさんのこと好きだもん」
バナナの皮なんぞ食べいないのに。
「あ、ありがとう。」
キリコさんは空のグラスを手に取り、溶けた氷水を啜った。
「いつか、私の事、言っておかなきゃって思ってたの。孝造君には」
「うん。話してくれて、ありがとう」
「お酒の力、借りちゃった」
「こういう時の為にお酒ってあるんだよ!」
「そっか!」
人間が人間を、性を無視して好意を持てるというのは、純粋で素晴らしいものだ、とむしろ思った。
確かに、僕はキリコさんに対していやらしい目で見ているし、あわよくばお付き合いしたいとも思っている。初めは何を言っているんだ?って言葉をなぞるだけで一杯一杯だったけど、なんとなく、やんわりと、わかるような気になったり、ならなかったり。まだ十分には理解できていないのかもしれないけれど、兎にも角にも、話が聞けて良かったと素直に思った。
「もしキリコさんが嫌じゃなかったら、また飲もうよ。人間同士の仲としてさ」
「うん、もちろん」
「良かった」
「ありがとう」
「え?なんで?」
「態度変えずに、話聞いてくれたから」
「そりゃ、そうでしょ」
「ありがとう」
そう言うと、キリコさんは下を向いて鼻をすすった。
「孝造君に出会えて、良かった」
「え?」
「ありがとう」
3回のありがとうに、キリコさんのこれまでの心の葛藤や苦しみを、ほんの少し感じ取れた気がした。
そして、このありがとうは、一筋の光は、僕の心の奥の暗い部分に差し込み、安らぎを与えてくれた。
僕達はそれからまたお酒を飲み、笑い泣き、閉店時間まで一緒に夜を共にした。
久しぶりの楽しいお酒であった。
終電電車に乗り、いつもの窓越し会釈を交わすと、僕はずっとキリコさんを離さず小さくなるまで見つめていた。
愛おしい人がいるという事は幸せな事だと、しみじみ思った。例え自分の思いが叶わなかったとしても。
僕は心の中に新しいファイルを作り、キリコさんを大事に大事に移し入れた
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