第13話 雨傘

今日も1日無事に仕事が終わった。

駅に向かう途中でポツポツと秋雨が降り出した。

昼頃から雲行きは怪しかったが、天気予報は特に何も言っていなかった。

電車に乗った頃には雨がひどくなっていて、どこかで傘を買わなくてはいけないレベルだと判断した。

改札を抜けると、人が群がっている場所があって、みんな手には傘を持っていた。

近づいてみると、傘が横並びに置かれていて「所有者不明の時効になった傘です。お使いになりましたら、またこちらへお戻し下さい」という紙があった。

なんと親切な。

僕はたくさんの背中と背中の間の隙間からズボッと腕を入れ、掴み、引っこ抜いた。

運良くなのか、運悪くなのか、手にした傘は立派な花柄の、白金マダムがいかにも使っていそうな傘であった。

Diorかと思って恐縮したが、よく見ると、Dの上にちょこんと小さなDが乗っていて、要はBiorと書かれていたのだ。ビニール傘で良かったのにまさかのブランド傘の、バッタもん。そりゃあ、ブランド傘なら落とし物センターに問い合わせがいくはず。Biorの傘だから、ここにある訳だ。同じ傘なのに、切ない。なんだかこのBior傘に同情してしまう。雨に濡れた子犬の様な感じだろうか。

いや、待て。雨に濡れるのは当たり前。傘なんだから。

元に戻して別の傘に変えようと振り返ると、もうそこには傘も人だかりもなくなっていた。

仕方なく僕はその派手な傘を差して家に帰る事にした。

道中は音楽を聴きながら歩いていたが、アスファルトの地面に落ちる雨のしずくが芸術的に美しく、へッドフォンを外したくなった。

雨の匂いは扇情的で、どこかノスタルジックでもあった。

婦人傘の影響なのか、感受性がえらい豊かになっている自分がいた。

家に着くと直ぐにベランダへ行った。親子猫は無事か?

窓をゆっくり開け、キャットハウスを覗き込むと、里芋みたいのが大小2つくっついて眠っていた。

良かった。

空になったお椀をいっぱいにしてそっと置くと、匂いで気付いたのだろうか、親子は目をゆっくり開け、同時に大きなあくびをした。超絶可愛いく、心は鷲掴み。

お前達の食い扶持なんぞ心配いらないぜよ!

僕は風が入ってこないように家にあった段ボールで簡単な壁を作り、それから余っていたタオルを恐る恐る背中に掛けてやった。

これからもっと寒くなっていく事を考えると、何か頑丈な材料でハウスを作ってあげないといけない。うんうん。

僕は一先ず夕飯と猫達のご飯を買いにスーパーへ行くことにした。うっかりBiorの傘をまた差して行きそうになって一瞬焦ってしまった。

お惣菜売り場で20%引きのシールが付いた秋刀魚を籠に入れた。

少しくらい季節感を感じて生きたいものだ。大根おろしまで用意するのはさすがに面倒くさい。大根を買っても使いきれないし、すりおろし器を買わなきゃいけないし。僕は大根サラダで間に合わせることにした。胃の中に入れば同じ事。

秋刀魚の腸は昔から食べれなかった。親はこの黒くエグイ部分を「体にいい」と言って喜んで食べていたが、内心、親の事を化け物の様に見ていた。

いくら体に良いと言われても、ストレスを感じて食べなきゃいけないのなら、それは精神に悪いと幼心に思っていた。


キリコさんとの蜜月は続いてる。

週ごとに、いや、日ごとに僕達は親しくなっている。

会話の中でお互い未だにスカイツリーに登った事がないと昨夜わかった。

これはチャンスと受け取り、早速スカイツリーに誘ってみることにした。

夜景を見て、食事をして、さぞかしロマンティックなデートになるだろうと、心はホッピングしていた。

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