第11話 秋

今朝も同じ電車にあのおじさんはいた。今日もせっせと前に座る人をささっと描いている。

おじさんの隣には立派な体躯をした、いかつい強面の中年男性がその盛り上がった腕の筋肉を内側にしまい、ちっちゃくなりながら座っていた。手には小さく見えるスマホを持ち、愛犬のトイプードルの写真を眺めている。時折、その太い指で画面を撫でる姿はとてつもなく微笑ましかった。

そして、僕はほっこりした気分のままキリコさんにいつもの朝メールをした。


街路樹が色づき初め、羽織ものが欠かせない今日この頃、僕は本屋へ偵察に行った。

売れ行きのいい本は一番目立つところに置かれ、店員のおススメメッセージなんかも添えられている。今話題の本を手に取り、いつものプロフィールチェックに入った。

名前に写真、出身校。やはり、有名大学か。ちっ。

そして本を閉じ、元の場所へ返す。

僕のコンプレックスが引き出される瞬間だ。見なきゃいいのに見る。

自分はマゾなのか?いや、マゾというより、ただのちっちゃい人間だ。


僕が買った、「輝いて生きる」の著者はネットで批判を受けていた。

何故かというと、彼女はもともとお金持ちのいいとこの娘で、書いてある事は金持ちの戯言のように受け取られてしまったからだ。すでに輝いていた人がさらに輝く為にはどうするか?という内容だったのだ。僕はそんなものに金を払ってしまった事が悔しくて、自分の弱さを憎んだ。そして、そそくさと売りに行った。まだ綺麗な本だというのに、たったの30円。セカンドレイプの様であった。

プロフィール欄を見ると情報が少ない人も中にはいる。自分が本を出すなら是非そうしたい。シャイな感じと、引けらさない感じが実にカッコいい。

ただ、僕の場合は載せる情報がないだけだが、そんなこと読者にはわからない。はず。

 本屋の中をぐるっと一周してみると、なんと、運よく好きな作家の読書会ポスターが本棚の側面にさりげなく貼ってあったのを見つけた。

ちょうどその日は祝日で仕事は休み。行きたい。こんなチャンスは二度とない。

僕はその場で載っていた電話番号に問い合わせてみた。メモしている間ももったない。

売り切れになっていないか不安だったが、滑り込みセーフ。

わずかに数席残っていたので有難く、そして迷わず申し込んだ。整理券は来た人順に配られるそうな。

僕は一安心して電話を切ると、一部始終見ていたおばちゃん店員さんに笑顔のⅤサインを頂いた。

本屋にはネットでは味わえない発見や驚き、出会いがある。

いつか自分の本が並ぶことをリアルに想像することも出来る。

僕にとって本屋は特別な、神聖な場所なのだ。

読書会準備として、その作家の本を本棚の奥から引っ張り出して読み返してみた。

やっぱり面白い。やっぱり好きだ。

 無色の時間が文字を通す事で色がついて流れていくのを感じた。

 僕もこんな風になりたいと、子供の様に思った。


読書会当日、新宿の高層ビルの一室に足を運んだ。小説家を目指しているであろう大学生や大人達が目をギラギラに輝かせ先生のお出ましを待っている。

僕はただならぬ異様な雰囲気に怖気づいていた。

そ~っと腰を低くして入って来た先生を客席は大きな拍手で歓迎する。

司会の人が注意事項を説明している間、先生は喉を潤したり、メモ帳や資料などをゆっくり音を立てないようにと取り出し、準備に余念がない様子であった。

簡単な挨拶が終わり、少し間が空き、緊張感が走ると開口一番、「簡単には小説家にはなれないぞ」と、見事に首を差してきた。

優しさで言っているのか、畑を荒らされない為の防衛心で言っているのか、真意はわからない。

しかし皮肉にも小説家になるためのハウツー本は売れているし、こうして目の前には何か少しでもヒントが得られるのではないかと狙っているハイエナのような作家志望者達が大勢いる。

さらば青春の輝き。チーン。

僕は先生の言葉が突き刺さるわけでもなく、ただただ右耳から左耳へと通り過ぎて行った。この時代に本が売れることは稀。有名人の本なら兎も角、無名の小説が売れるには相当な才能かコネ、もしくは知名度がなければいけない。

そんな事は知っている。有名作家であっても本を売るために苦労している時代だ。

残酷な話だが、現実は早めに知っておいた方がいい。

彼らは苦い顔をした後、それでも僕になら!と奮い立たせ、また健気に前を向いた。

読書会は先生の話術と人柄のおかげで和やかに楽しく終わった。

最初に入って来た時より表情が柔和になり、どことなく、先生の顔は母性にあふれた、如来像の様になって見えた。

サインをねだるような間などは一切与えられず、司会者によって先生はしごくあっさりと帰されてしまったが、猫背の後ろ姿からは暖かいエールの言葉が聞こえたような気がした。

二時間丸々、こんなにも集中したのはいつぶりだろうか?

ニート時代、2時間サスペンスを見過ぎて出演者を見ただけで犯人を当ててしまうという特技を得てしまった。もうそれ以降、見ていない。

借りてきたDVDの映画も、一時停止をしてトイレへ行ったり、飲み物を取りに行ったりと、座りっぱなしで見ることはほとんどない。

何かに集中するという事は、気持ちのいいものだ。満足感と達成感がついてくる。

心地のいい疲労に浸かっていると、部屋には誰もいなくなっていた。

ふと新宿御苑が頭に浮かび、ビルのジャングルから木々のオアシスへと移動する事にした。

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