第7話 ルノアール2
ルノアールには一か月に二回になった。
ごっこは改め、真面目にコーヒーと絨毯を味わい、メモしておいた小さなアイディアを読み返し、構想を練っている。頭の中で練っては書き留め、練っては書き留める。リズムが生まれると、アイディアが湧き出て来て、どんどん楽しくなってくる。
きっとリズムというのは、何事においても大事なのだろう。
リズムを壊してしまえば、杵は頭部を強打し、和やかな雰囲気は一気に大事件となる。「ん~やちまったな~」とどこからか声が聞こえてくるに違いない。
頭を休める為、温くなったコーヒーを啜る。ついでに周りを見渡すと、いかにもな大人達が席を埋めている。相変わらずの安定感だ。
遠くの席に、親子ほど年が離れた男女が座っていた。親子なのかもしれないが、パパかもしれない。言葉がややこしい。要するに、金銭が絡んだ関係かもしれない。
勝手知ったるルノアールでは珍しくない光景だ。
後ろの席には6人組の中年男女、どうやら、音楽サークルの集まりの様で、あーだこーだ、冗談を交えながら楽曲の演奏について熱心に語り合っていた。
今日は適度な雑音が集中力をキープさせてくれた。
十分に重くなった腰を上げ、トイレマークを探すと、先程の親子風男女の席のすぐ横で見つけたので、ついでに様子を伺いに行こうではないかと企んだ。
一枚の写真がテーブルの真ん中に置かれていて、男女共々、視線は写真にあった。
ただよらぬ雰囲気に尿意が一瞬止まった気がした。僕はもう一度前を通る時に、写真をこっそり覗けないだろうかと考えながら用を足した。
二人の視線は下を向いたままで、写真はまだテーブルの上にある様だった。
チラッと覗き込むと、妊婦女性の写真であった。
ほうほう。訳アリ100%。
席に戻り、ずうずうしくも二人の様子をメモにした。
・親子ほど離れた男女が妊婦写真を眺める。
・男はおそらく年金生活。
・平日昼間
・神妙な雰囲気。
・トイレ横の席。
「トイレ横の席」はどうでもいい情報だと思い、書いて速攻、黒く塗り潰した。
動いた事で集中力が切れてしまった模様。メモもとったし、今日はこれでもういいだろう。
この甘さが、継続力のなさが、プロと素人の違いなのだろうと察し、一度上げた腰を静かに下ろした。しかし、下したとて、所詮、素人は素人。切れてしまったモチベーションはなかなか復活せず、冷めたコーヒーと残っていたお冷を飲み干す事くらいしかできなかった。
トボトボ歩きで会計へ向かい、いつもの590円を支払った。
こんな時は音楽の力を借りようではないか。イヤホンからロックのエネルギーを注入し、どうにか元気を取り戻した。そして、単純な僕の体はノリノリで駅に向かった。
千円のチャージを済ませると、忘れた頃にやってくる柴田君からのメールを受け取った。ついに結婚式の中継日が決まったらしい。
それは兎も角、柴田君の結婚相手、まだ存じてませんけど。柴田君はサプライズだと言って一度も会わせてくれなかった。写真すら送ってもくれなかった。柴田君と結婚を決めた女性に興味があったが、焦らずとも時期にわかると思い、そこまで気には留めなかった。
結婚式は三日後の夜8時。8時だよ、全員集合ってわけだ。覚えやすくて助かる。
メールにはURLが添付してあって、ちゃっかりご祝儀の送金先も表示。
出席の意思確認などはされない。興味のある者だけが、結婚式に参加(アクセス)する。律儀に引き出物もあるらしい。
結婚かぁ。
未確認儀式。未確認契約。未確認脅迫だ。
キリコさんとはラインを通して距離を縮めている。俗一般的な体調確認をしたり、最近見た映画や好きな音楽の話をしている。家のベランダに来る美人猫の写メも送った。キリコさんからは路傍の花の写メが送られてくる。正直、なんと返していいかわからず、べたに「綺麗だね。」と返している。それから、不味くできた料理の写メも送ってくる。これもなんと返していいかわからず、べたに「美味しそうだよ」と返すが「いや、マズイ」と返ってくる。「卵を入れないほうが良かった」「茹で過ぎた」「ごま油を使えば良かった」などの反省文が決まって送られてくる。
失敗を分析し、次に繋げようとする、向上心の高い人だと感心した。
「今度キリコさんの手料理、食べたいな」と、調子に乗って送ってしまった事があったが、既読スルー。何事もなかったように別の話題に切り替わっていて、また名の知れない花の写メが送られてくるのだった。
ラインを通して彼女の事がじんわりとわかってきているような、気がした。
よく「恋に落ちる」と耳にする。
当たり前の様に浸透している表現だが、どうも納得がいかない。
落ちれば怪我をするし、びっくりするし、怖い思いもする。落ちるって大抵は嫌なことだし、できれば避けたい事だと思う。落ちてドキドキっていうのはなんだか不自然だ。
恋はもっと自然なものだと思うのだ。知らない間に恋しているもので、どこから、いつから本当に恋していたのかなんてわからないものだと思うし、わからなくていいものだと思う。
だから恋に落ちるなんて、大多数に支持され、いつの間にか真実かのようにもてはやされた言葉、嘘くさい言葉、安っぽい言葉を僕は使いたくない。
ただただ、考えてしまう。思い出してしまう。目で追ってしまう。
送られてきたメールを何度も何度も読み返す。送ったメールが既読になったかチェックしてしまう。
そういうものだ。
もうそれは恋している証。
そう、僕はキリコさんに恋をしている。
今朝のネットニュースで普通の主婦が名のある賞を受賞した事を知った。
先の見えない夢を追いかけている者がふと立ち止まると、焦りと不安でおかしくなるもの。しかし、そうなった時にこの方の様な存在が希望になる。
ちょっと待てよ、主婦を舐めてはいかんぜよ。
主婦といえども、学生時代は文学部で立派な勉強をされたお方かもしれない。
主婦という、安心ワードに油断は大敵だ。
僕は学歴も経歴もないが情熱と自分自身を持っていれば、夢に近づけると、夢を叶えられると、そう、信じている。
というより、信じさせて下さい。まだ信じる力がある内に。
生命の息吹を感じるこの季節、僕は情熱と希望と淡い恋心で満開であった。
生きているって素晴らしい、そんな気分だ。
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