第5話 小岩
高円寺の古着屋でちょうどいいジャケットを買った。
柴田君の結婚式に出席するためだ。初めての結婚式が柴田君のだなんて想像もしていなかった。こんなこともあるもんだ、の正に一例だ。なるべく出費を抑えたかったし、どこかで柴田君の結婚式だしという事で中古ジャケットになった。
タンスの奥に眠っているシャツが何枚かあったのを思い出し、このジャケットに合うシャツはどれなのか、叩き起こすことにした。なければしぶしぶどこかで買いに行かなければならない。また余計な出費になってしまうが、こればっかりは仕方がない。
鏡の前で何パターンか着てみた。一番しっくりきたシャツ一枚に絞ると第一ボタンを留めたり外したり、又は第二ボタンまで外したりと、どうしたら格好良く見せられるかと試みた。ジャケットの両ポケットには親指だけを差し込んでみたり、両手を入れてみたりと、何パターンかポーズをきめた。指先に何かが触れ、取り出してみると、なにやら四つ折りにされた少し固めの紙だった。前の持ち主が忘れたのだろう。
ん?ということは何か?このジャケット、クリーニングに出していないってことか?
ん、ま、古着屋さんが服をいちいちクリーニングに出していたら潰れるわな。
状態は悪くないし、綺麗だし、無臭だし、紙一枚くらい、なんてこたぁない。
どうせ一日、いや、半日の事だ。
手にした紙を開いてみると、3つの駅と3人の名前が書かれていて、名前の上には✕○△があった。
上野 ✕のりこ
小岩 〇さゆり
上石神井 △まりこ
謎だ。
柴田君の結婚式なんかより俄然興味が沸いてきた。
ジャケットの持ち主は3股でもしていたのか?
✕○△は何を現しているのだ?体か?顔か?金か?
もしこれがB級映画だったら、主人公はこの3人の女性を探し見つけて、何故か殺し屋に狙われて、女性との情事を楽しんで、ラストでは主人公が秘密を暴きヒーローになるけど最後は女性に裏切られてしまうみたいな忙しいストーリーができるだろう。
しかし、現実の主人公は、女性達を探そうとする行動力も時間も金もない。
現実的なアクションといえばヒャッキンでお祝儀袋を買いに行く事くらいだ。
紙切れはポケットに戻され、一人ファッションショーは静かに終わった。
小説家になる淡い夢、いや掠れた夢を抱いたまま時は過ぎていく。
生活費は稼がなくてはいけないから働く。働くと疲れて休んでしまう。
焦りを感じるが気力がない。一文字でも書かなくては話にならないというのに怠け癖が邪魔をする。癖なんていう可愛いもんじゃ、もはや、ない。
書く気がしないのにいいものが書けるわけない、という言い訳は何度も何度も繰り返された。
本当は怖いのだ、自分に書く才能がない事を知るのが。知りたくないから逃げている。ただ、逃げてばかりいたら完成はしない。人に読んでもらうこともなく、自己満足で終わってしまう。
兎にも角にも、書いて、書き終えて、一つのものを完成させなくては意味がない。
それも良いものを。
自分の作った重圧に押しつぶされるのを感じながらも怠けている。
辛い。辛くておかしくなりそうだ。
表現者を見ると熱いものを感じて泣けてくる自分がいる。
自分のしたいことが何かと気づいていながら行動しないのは愚かだと思う自分がいるのだからもう、仕方がない。
数日後、柴田君からメールが来た。
結婚式は生中継で動画配信されるらしく一方的なお披露目となるそうだ。
わざわざどこかの式場へ出向かなくていいのだ。着慣れない正装や祝儀袋も用意しなくていいらしい。お祝儀は仮想通貨で送金を求められた。時代は目まぐるしい速さで動いている。
結婚式でいい出会いがあるんじゃないかと密かに期待していた僕には残念なお知らせであった。こんな事なら、わざわざジャケットや祝儀袋なんて買わなくても良かったのだ。
そういえば、あの紙。
上野ののりこに小岩のさゆり、上石神井のまりこ。みんな揃い揃って「り」がついている。やはり丸印のついていた、小岩のさゆりが怪しいとみた。
なんだか急に興味が沸騰してきた。
「そうだ、小岩へ行こう」
京都とはだいぶ違った文化だけれど、濃さでは負けていないだろう。
ディープな町、小岩。快速が止まらない駅。
都会への入り口には狛犬ならぬ、小岩や赤羽のような町が阿吽の呼吸で門番しているものだ。
駅からすぐの長―い商店街アーケードを歩くと、たくさんの店と飲食店が圧迫して来た。大分歩いたこところに「さゆり」と書かれたスナックらしい看板がぎりぎり壁にしがみついていた。いつ台風で吹き飛ばされてもおかしくないようなこの錆びれた看板になぜか哀愁というものを感じた。必死にしがみつくその様が自分に見えたのだ。
しがみついているものは何か?離したくないもの。譲れないもの。
そう、自分の理想だ。理想に必死にしがみついている。
理想は理想でしかないのに、自分を大きく見せるために労力を費やし、又は嘘をつく。そして落ち込む。情けないが、やめられない。
小岩の街をふらつきながら、自分が生み出した窮屈な生き方に嫌気がさした。
助けを求めるように本屋へ入ると、自己啓発本コーナーの前にいた。
『輝いて生きる方法』迷わずお買い上げ。
日が落ちて商店街のアーケードはライトアップされた。
僕はひとつだけ点滅しているライトを見つけてしまった。
切れてしまう前の最後の抵抗。
いや、執念か、頑張りか。もしくは注意喚起か?救助要請か?
いずれにせよ、輝いている。輝いている事は紛れもない事実。
それならば、どう輝くかが大事な部分。
自分はどんな風に輝きたいのか、ひとしきり、自問し続けた。
駅前では物産展が催しており、京都へ行ったら定番の八つ橋、おたべをお土産にする様に僕は小岩ならではの何かを探すことにした。
レトロな瓶に入った小岩産の馴染みのない炭酸水を見つけ、お土産にというほど遠出はしてないが、珍しさに買ってみた。
人生は炭酸で割って胡麻化したろ。
家路に着き、洗濯物を取り込んだ。
ストックしていたキャットフードをついに空ける日が来たのだ。
ぎこちなく小皿にご飯を盛っていると猫はベランダで大人しく僕を待っていた。
そっと差し出すと警戒しながらも勢いよく貪った。
僕は嬉しくなって、「またおいで」と心の中で呟いた。
すると、貪り中にもかかわらず、「にゃあお~」と奇跡的なタイミングで返事が返って来た。
こりゃ、また来るぞと、僕の顔はにやついた。
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