道士見習いの夜が始まる

 懐かしい夢を見ていた気がする。それが何の夢だったかはもう思い出せない。夢を夢と自覚したと同時に、懐かしい感覚と一緒に甘いシャンプーの匂いが鼻をくすぐる。なんだろう、この幸せな感覚は――。


 ん?


 柔らかい。

 いい匂い。それが遠くへ行ってしまいそうで、俺は甘い匂いを抱きしめた……。




「ちょ、ちょっとーー、はなしてよ! バカ」



 バカ……俺のこと? いや、俺の名前はワンだ。バカってのは違うゾ。

 この柔らかさは、何だろう。俺の枕は籾殻もみがらだゾ。



「はなせーーエッチ!」

――ボコッ。



「……痛い……」


 重い瞼を見開いてみると、そこには天使がいた。

「天使ですか?」



「キョンシー、です」


 あ……ああ、そうだ、そうだった!! まずいぞ、今日はワン道士がキョンシーを迎える日だった。

 俺の頭は一瞬で覚醒した。そして、この状況を理解し真っ青になった。


「ユーユーさん……ご、ごめん、俺、何してんだろ」

「本当です。何してるんですか全く。早くはなしてください。苦しいんです」

 そうでした、俺が夢心地で抱いていたのは、ワン道士の孫娘のユーユーさんだった。それにしてもいい匂いだし、女の子の体ってこんなにふわっとしているんだなあ、なんて幸せに浸っていると、横からもう一発、けっこう痛いのを食らった。

「いってー!」

「何してんだ、カス。その汚い手をユーユーさんからはなして、さっさと服着ろ、ボケ!」

 そう言ったのは、俺と同じ道士見習いのラオだ。そしてたった今痛恨の一発を見舞ったのもコイツだった。

「今すぐ起きるよ!」

 俺は上半身を起こし、掛布をガバッと剥いだ……んだけど……。

「キャーーー!!!」

「あ、あ、ユーユーさん、すみません」


 俺、裸だった……。


「どうでもいいけど、なんで裸?」

 ニヤけながら突っ込む仲間のズールイ。

「えええと、……熱いから? かな」

「最低ですね」

 冷ややかなユーユーさんを見て、いい加減、寝ている間のこの脱ぎ癖をどうにかせねばと頭を抱える俺であった。




 そして今夜、出稼ぎ労働から故郷へ戻ってきたご遺体の一つは俺にとって特別な存在である。だから覚悟して、俺は臨まなくてはならない。






〜〜〜〜〜〜〜〜


?? キョンシーとは ??


 中国では、強い思いを残して死んだ人の魂は成仏できずに遺体に戻って蘇ることがある、という言い伝えがある。それがキョンシーである。

 キョンシーは生前の記憶をほとんどなくしており、強力な超能力で人々を襲う。

 遺体を生まれ故郷で埋葬しなかったり、供養を間違えたり、墓を粗末にするとキョンシー化してしまうとされる。また、特殊な例として、猫に死体を跨がれるとキョンシーになってしまう場合があるそう。これは、猫には魔力があるためとされており、葬式などでは猫を見張る番がいるほどだが詳細は不明である。

 また、道士と呼ばれる呪術士は、遺体に特殊な法術を施して人造キョンシーをつくることができる。道士は、この方法で遺体を故郷へ連れ帰る役目を担ったり、魂を成仏させる。

 また、キョンシーになると鋭い牙や爪が生え、屍毒しどくと呼ばれる毒素を含んだ牙や爪で傷つけられた人は、二十四時間以内に似たように爪や牙が伸び始め、放っておくとキョンシーになってしまう。


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