第29話 1月5日
「秋原さん遅いな〜」
昨日と同じ時間になると言っていたので、帰ってすぐに食べられるようにテーブルにカレーを並べた。スプーンにお茶は入れてないけどコップの準備は出来ている。
時間は10時半になろうとしている。そろそろ帰って来てもおかしくない時間なのに、一向に彼が返って来る様子はない。
少し心配になり、テレビの上に置いていたスマホを手にする。
ロックを解除し、LINEを起動する。数分前に送ったメッセージには既読はついていない。彼はあれからスマホを見ていないのだろうか?
自分の送ったメッセージの下にさらに言葉を足す。
(もう少しかかりますか?)
送り終えた後、画面をずっと見ていても仕方ないので画面を消した。テレビを点けていない部屋にはヒーターが熱風を出す音だけが響いていた。
それから30分が過ぎた。時計の針は11時を指している。彼がこれほど遅くなったことはない。
再びスマホを起動し、LINEを開く。
私が送ったメッセージには未だに既読がついていない。
私は嫌な予感がした。なんの根拠もないけれど、こういう予測は当たっていることが多い。そう思うと急に胸が苦しくなってきた。
私は彼とのトーク履歴の上にある電話のボタンを押した。
彼と電話で話すのはこれが初めてで緊張するが、今はそれどころではない。
「どうかした?」と私の心配をよそに、いつもと変わらない彼の声が聞こえて来ることを祈った。
しかし電話はコールの音を鳴らし続けるだけ。彼の声は私の耳に届かない。
コールを鳴らし続けながらこれからのことを考える。
だけど私は何も思いつかなかった。私は彼の身近な人物とは会っているのに、彼らの居場所や電話を知らない。バイト先だって喫茶店ということだけでどこにあるのかわからない。
私はどうすることも出来なかった。今すぐここを飛び出して探しに行きたいけど、探す当てがない。町中を探すには余りにも広過ぎる。
電話のコールを続けているとピンポンとチャイムがなった。
「こんな遅くに?」
私は電話のコールを止め、ゆっくりと玄関に歩いて行く。
もしかしたら彼かも知れない。そう思う気持ちが込み上げて来る。
「鍵をなくしちゃって」ということなら遅くなったことや、インターホンを鳴らした理由が繋がる。
しかしその考えは薄いとすぐに思った。もしそうならLINEには気付くだろうし、長々と鳴らしたコールには出てくれるだろう。
私は廊下から玄関までの電気を付けず、声や足音を忍ばせる。
玄関までたどり着くと扉に設けられたドアスコープを覗き込む。
レンズの向こうには玄関前に立っている男性が目に入った。黒いサングラスに同じく黒い服。
その男性はもう一度インターホンを鳴らす。
私はレンズを覗きながら応答をしない。
鳴らしても反応がないとわかった男性は露骨に溜息を吐いた。
「はぁ・・・お嬢、いるんでしょ」
男性は私に聴こえる声でそう言った。しかし私は何も反応をしなかった。してしまえば家に連れ返される。
「わかっているんですよ、出て来て下さい」
男性は何度も扉に向かって声をかける。
「お嬢、お嬢・・・はぁ」
扉を叩きながら呼びかける男性だったが、いくら呼んでも反応がないので溜息を吐いた。
彼は叩くのをやめ、扉から少し離れた。
「秋原晴太」
私はその名前を聞いた途端、居留守をしていたことすら忘れ勢いよく扉を開けていた。
「彼に何をしたの!」
私が扉を開けることを見越していた男性は、姿を現した私を見て、驚くことなくサングラスを外した。
「お久しぶりですお嬢。健康そうで何よりです」
片目に切り傷があり、目を開くことの出来ない彼は笑顔を見せた。安心した、とでも言うような顔だった。
しかしそんなことはどうでもいい。私が今知りたいのは秋原さんのことだけ。
男性の挨拶など無視いて追求する。
「彼に何をしたのか言いなさい、
睨み付けながら問う。
「そんなに睨まないで下さいお嬢。彼は無事ですよ、まだ・・・」
「まだ・・・って」
「彼を乗せた車は今頃高速を走っていると思いますよ」
「どこに連れて行ったの」
彼は少し間を開けて口を開いた。
「ボスのもとです」
「お父さんの・・・そう」
私は彼に背を向ける。
「ちょっと待ってて、今準備してくる」
「お話が早くて助かります」
彼を玄関に放置したまま扉を閉める。
いつかこうなるのではないか、父から急に連絡が来なくなった頃からそう思っていた。
彼に迷惑をかけられない、そう思う一方で彼の優しさに甘えている自分がいた。
そのせいで無関係なはずの彼を私の私情に巻き込んでしまった。
だからこれは私の責任。私がどうにかしないといけない問題。お父さんの目的はあくまで私。私が戻れば彼に危害を加えることはないはず。
彼が買ってくれた服を手に取る。
父に会うのは正直怖い。何が起こるか想像も出来ない。私の話をしっかり聞いてくれるかも知れないし、そうでないかも知れない。
気持ちが重くなり、足が竦む。
「秋原さん、私にほんの少しの勇気を下さい」
手に持っている服を抱く。彼の匂いや暖かさなどは当然ない。それでも彼と過ごした思い出がこの服にはある。暖かく、楽しかった思い出。
戻ったらそんな時間はなくなってしまうだろう。
それでも私は行かないといけない。だった2週間ぐらいの時間だったけど、私の大切な人のために。
私は抱いていた服に着替えると、電気を消し、鍵をかけずに部屋を出た。
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