第14話 12月30日

 日野さんの接客は日に日に良くなり、今では自分で考えて行動するようになった。


 その働きっぷりには美智子さんも関心を向けていた。


 そんな日々も過ぎて行き、いよいよ今年最後の営業を終えようとしていた。


「人、少なかったですね」


 カウンターに座っている日野さんがそう呟く。


 それを聞いて、キッチンに立っている美智子さんが言葉を返す。


「この時期はこんなものよ。孫が帰って来ているとかで家にいる人も多いからね。実家に帰る人もいるから。・・・そういえば、晴太くんは正月も帰らないの?」


 美智子さんは日野さんの横に座って、ただ話を聞いていた俺に話題を振った。


「そのつもりですが・・・」


「じゃあ正月は1人で過ごすの?」


「そうですね」


「そっか、私と同じか・・・」


「美智子さんこそ、実家に帰らないんですか?」


「家は、ちょっとね」


 そう言って目だけ左に向けた。多分実家に帰ったら、夏子さんや幸江さんのように「彼氏はどう?」とか、「孫はいつかな〜?」とか言われるのだろう。


 彼女が言葉を濁した意味がなんとなく分かると、自然と苦笑が出た。


 現在6時になろうとしている喫茶店内には、俺たち3人しかいない。入り口の扉を最後に開けてから1時間以上が経っている。人が入って来る気配は・・・残念ながらない。


「今日は早いけど、このへんで終わろっか」


「いいんですか?閉店まであと1時間はありますよ」


「いいの、自営業店主の特権を使うから」


 そう言うと彼女はキッチンを出ると店の入り口の方に歩いて行く。そんな彼女を俺たちはただ後ろから見ていた。


 玄関を開け、かけられた看板を裏返すと店内に戻って来た。


「それじゃあ2人とも、掃除するよ」


 店としてやって良いことなのかわからないが、ここの店長がしたことなので、俺たちはそれに従うしかない。


 日野さんもなんとなく俺と同じようなことを思ったようで、困惑とした顔が出ていた。


「掃除しよっか」


「そう、ですね」


 俺たちは席を立つと掃除道具の入ったロッカーに向かった。




掃除を素早く終えた俺はいつもは帰れない時間に玄関のドアノブを握った。


「ただいま」


「お帰りなさい、今日は早かったですね」


 帰宅して玄関を開けると、いつものように村上さんがリビングから顔を出した。


「今日だけね」


「そうなんですね。すみません、夕飯はまだ出来ていなくて。先にお風呂に入ってください。その間に作りますので」


「わかった」


 一度自分の部屋に行き、鞄から弁当箱だけ取り出す。それを持ってキッチンに向かった。



 キッチンでは村上さんがカレーを温めていた。まな板の上には程よい揚げ加減の衣が付いたものが均等に切られている。


「ご馳走さま」


 弁当箱を流しに置きながら彼女に感謝を込めて伝える。彼女はそれを聴くといつも笑顔を見せる。


 流しに置き終えると言われたように風呂場に向かった。




「ふぅ〜」


 暖かいお湯の入った浴槽に入ると自然と声が漏れる。風呂は決して大きいわけではない。足を全部伸ばせる実家の風呂とは違い、足を少し抱えるようにしないと入れない。それでもお湯に浸かると落ち着くのは日本人だからだろうか。


 何気なく、湯気で曇った天井を見上げる。


 村上さんと出会ってから明日で一週間が経つ。初めは色々と慣れない点があって、悩まされることもあった。でも今は心地が良い。家に帰れば誰かいる。話せる人がいる。それだけで少し嬉しくなる。それが彼女だからなのかどうかはわかならい。


「上がろう」


 体に着いた水をポタポタと下に落しながら風呂場を出た。




 タオルで髪を拭きながらリビングに行くと、すでに小さいテーブルの上に食事が並べられ、いつもの場所に彼女が座っていた。


「ごめん、待たせたね」


「いえ、お構いなく」


 彼女の向かい側に座りながら言葉を交わす。


「「いただきます」」


 声を合わせて合掌し、スプーンを持ったと同時に電話のコール音が部屋中に鳴り響いた。その音に俺たちの手が止まる。



 鳴っているのが自分の携帯ではないかと思ったが、俺の携帯は自分のバッグに入れたままにしていた。そのバッグは今は自分の部屋にある。


 携帯のコール音はそれよりもかなり近くで鳴っている。考えられる可能性は一つしかなかった。


 彼女は後ろにあるテレビ台の上に置いていたスマホに手を伸ばす。彼女は画面をしばらく眺めると首を傾げた。その様子から相手は彼女の父親ではないことがわかった。


「すみません、食事中に」


「いいよ、気にしないで」


 彼女はスマホを手に軽く頭を下げると玄関の方に向かった。


 彼女の姿が見えなくなると再びスプーンを手にした。すると今度は違うところから携帯が鳴る音が聴こえてきた。


 彼女は今電話をしているので、当然俺の携帯が鳴っているのだろう。


 スプーンを置くと部屋に入り、鞄からスマホを取り出す。画面に表示された相手は母親だった。俺は電話に出るため画面をタッチした。


「もしもし」


「もしもし、晴太?久しぶり、元気だった?」


「元気だよ」


 久しぶりに聞く母親の声に懐かしさを感じる。前にこうして電話で話したのはいつだっただろうか?それすら思い出せない。


「電話して来てどうかした?」


「どうかしたって、あんたがクリスマスを過ぎても帰って来ないし、電話すらしてこないからどうかなって思って。正月がどうするの?」


「正月か・・・」


 去年は今日ぐらいに実家に帰って数日を向こうで過ごした。帰れば親戚に多く会うし、まだ学生なのでお年玉もまだ貰える。従兄弟たちに振り回される数日を過ごすのも別に嫌いではない。


 ただ、今年は去年とは違う。今は村上さんがいる。彼女を一人置いて帰るのは不安だし、だからといって一緒に連れて行くとややこしくなるに違いない。


「今年は帰らないかな」


「どうして?・・・あ!彼女でも出来たの、それなら連れて来ていいよ。交通費は私が二人分出してあげるから」


「彼女いないし、好きな人も今はいないよ」


 一人でテンションが上がっていく母親に、ため息混じりに答える。


「そう?出来たら報告してね。それじゃあお父さんには帰らないって行っておくね」


「うん」


「それじゃあおやすみ」


「おやすみ」


「正月にまた電話するね」


 そう言い残すと母親の方から切れた。


 通話の終わったスマホを耳から離す。画面にはいつもの見慣れたロック画面が映っている。スマホをベットの枕元に投げると部屋を出た。



 リビングに戻ると彼女の姿はなかった。まだ電話をしているようで、少し遠くから彼女の声が聞こえて来る。


「はい・・・はい、わかりました。・・・はい、失礼します」


 電話を終えたようで彼女が歩いて来る音が聴こえる。その足取りはリビングに近くごとに速くなる。


 さっき座っていた場所に腰を下ろそうとすると、リビングに戻って来た彼女が声を上げた。


「秋原さん!」


 急に名前を呼ばれて体を中途半端なところで止める。


 俺が彼女の方を向くと、彼女は嬉しそうな笑顔を浮かべていた。その顔を見て、彼女がなにをこれから言おうとしているのか想像がついた。


「もしかして・・・」


「はい、会社の内定決まりました!」


 その言葉を聞いた途端、まるで自分のことのように嬉しさが込み上げて来た。


「おめでとう」


「ありがとうございます」


 彼女はそっと自分の胸に手を当てた。


「これで実家を継がなくて済む」


 彼女は何かをぼそりと呟いたが、離れたところにいる俺の耳には届かなかった。


「それじゃあ、明日はご馳走を用意しないといけないね。最近買い物に行ってないからちょうどいいや。明日買い物行くよ、いい?」


「あ、はい」


「村上さん、何か食べたい物ある?」


「食べたい物ですか?」


「そう、食べたい物」


 彼女はリビングの入り口で立ったまま、腕を組んで考え始めた。


「刺身・・・ですかね」


「刺身か、なら明日買って帰ろう」


「ありがとうございます」


 彼女は頭を下げた。


「いいよ、俺がお祝いしたいだけだから。それより早く食べよう、カレーはすっかり冷めてしまったかもしれないけど」


「そう、ですね。温めて直します」


 彼女はテーブルに近付くと自分のカレーと俺のカレーを持ってキッチンに向かった。

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