第13話 12月27日
「それでその後は?」
美智子さんがカウンターに頬杖を突きながら続きを聞いてくる。
「そのあとは帰りましたよ。文化祭もほとんど見終わってましたし、用事も済みましたから」
「そうじゃなくて」
「じゃなくて?」
「その女の子とは?」
「女の子とですか?何もありませんが」
そう言うと彼女は露骨に溜息をついた。
「何を期待していたんですか?」
「漫画やドラマのような展開」
彼女は目の前のキッチンに顔を向けて再び溜息をついた。
「展開なんて何も起きませんよ。そもそもお互いに名前も知らないのに」
「でも友達の好きな人のクラスメイトなんでしょ?聞く機会はいくらでもあったんじゃない?」
そう言われればそうだと思うしかない。確かに鈴木さんと同じクラスにいたのだから、拓海に聞いて貰えばいくらでも知ることが出来た。
「今更聞く気にはなりませんよ」
「勿体無いね」
「そうですか?」
「そうよ、クリーニング代はいいからメアド教えてとか、LINE交換しよとか言えば良かったのに」
「俺、そこまでチャラチャラしてませんよ」
彼女が入れてくれたコーヒーを飲み切ると食器を流しに持って行く。
「食事終わりました」
会話がちょうど終わったところで奥から日野さんが店に戻って来た。美智子さんも席を立って背伸びをする。
「琴音ちゃん、接客はもう大丈夫そう?」
天井目掛けて伸ばした手を下ろすと日野さんの方を向いた。
「はい、機械の使い方もわかりましたから、多分大丈夫だと思います」
「そっか、なら午後からはテーブルの方にも行ってくれる?トレーを運ぶのは一つずつでいいから」
「わかりました」
会話がひと段落したところで出入り口の扉が開く。開く扉からは木が軋む音が聞こえて来る。
「美智子ちゃん、こんにちは」
そう言って1人の女性が入って来た。その後ろからも、もう1人女性の姿が見える。
「来たよ〜」
常連の夏子さんと幸江さんが一緒に来店した。
「いらっしゃいませ、夏子さん、幸江さん」
カウンター前に立っていた美智子さんは2人に挨拶しながらキッチンに向かった。
「晴太くんもこんにちは」
俺の方を見た幸江さんが俺に笑顔を見せた。
「お久しぶりです、幸江さん」
俺も久しぶりに会った幸江さんに笑顔を返す。すると俺と挨拶を交わす幸江さんの服を夏子さんが軽く引っ張った。
「幸江さん、幸江さん」
「どうしたの?」
幸江さんは服を引っ張る夏子さんの視線の先を見る。その先には日野さんがいた。
「まぁ、新しいバイトの子?」
「今日から入ってもらったの」
美智子さんは2人が注文をする前からコーヒーの準備をしながら答えた。
「お名前聞いてもいいかしら?」
夏子さんが優しい笑顔で日野さんに尋ねる。日野さんは両手を前で組んだ。
「日野琴音です」
「琴音ちゃん、いい響きね。私もそんな名前にして欲しかったわ」
「今時の子は可愛い名前が多くていいわよね」
2人は日野さんの名前から話題を広げながらカウンターに着いた。
「美智子ちゃんいつものお願い」
「もう出来てるよ」
2人が席に着くと美智子さんはコーヒーの入ったカップをカウンターに置いた。
「ごゆっくり」
「いつもありがとう。それで幸江さん、実は昨日ね・・・」
2人と少し離れたところに立っていると日野さんが横にやって来た。
「秋原さん、あのお2人は・・・」
「かなり前からの常連さんらしい。俺もバイトを始めて半年だからどれぐらい前かまではよくわからないけど」
「秋原さんって半年前にここのバイト始めたんですか?てっきり一年以上しているものだと思ってました」
「なんでそう思ったの?」
「仕事にすごく慣れている雰囲気がありましたし、常連さんたちとも仲良くお話しされていたので」
「半年も経てば日野さんも同じようになってると思うよ」
「そうですかね?」
「多分」
日野さんと後ろで話していると幸江さんたちがこちらを見て笑顔を浮かべていた。
「青春ね」
「私もあの頃に戻りたいわ」
二人がいつも頼むケーキをカウンターに置きながら美智子さんが話に入った。
「私だって戻れるなら戻りたいな〜」
「美智子ちゃんはまだまだでしょ?それより早く男捕まえないと・・・」
「もう、その話は前にもしたよ」
話題が俺たちから逸れると入り口の扉が開いて次のお客が入って来た。
「いらっしゃいませ」
午後3時を過ぎるとお客の数が増す。
「琴音ちゃん、このトレーを1番に。残りを晴太くんお願い」
「「わかりました」」
二人揃って返事をすると日野さんは1番テーブルに。残った二つのトレーを俺が4、6番に運ぶことになった。
前を見ながら横目で日野さんの様子を捉える。彼女はトレーを両手で持ってお年寄りの夫婦のもとに向かっていた。
「お待たせしました、コーヒー2つにショートケーキ二つです」
午前中にした通りに接客をこなす彼女を見て、安心しながら自分の持っているトレーを運んだ。
「お待たせしました。カプチーノ、エスプレッソ、モンブランにガトーショコラです」
3番テーブルに座っていた女の子2人の前に注文の品とレシートを置くと6番テーブルに向かった。
日が暮れると人の数もまばらになってきた。満席状態だった数時間前が嘘のようだと半年やってきた今でも思う。
「人全然居なくなるんですね」
日野さんも同じように思ったようで声を漏らす。
「まぁ、ここは名店でもメジャーな店でもないからね。この付近ではプチ有名な美味しいコーヒーの飲めるお店ってぐらい。むしろ今日みたいに満席になる方が珍しいよ」
「そうなんですか?てっきりいつもの光景なのかと」
「いつもこれだったら従業員をもう1人増やしてもいいですよね?」
キッチンで食器を洗いながら、会話を聴いているであろう美智子さんに問う。彼女はこちらを向かず会話に入った。
「晴太くんが私に楽をさせろって言ってきてる!?」
「そんなこと一言も言ってないです。もう1人欲しいぐらい手がまわらなくなりますね、って言いたかっただけです」
「わかってるよ・・・でもそうね、いつもこれぐらいなら考えるかな?キッチンにも人が欲しくなりそうだしね」
食器を洗い終えて美智子さんは手に付いた水をタオルで拭くと、ようやく体をこちらに向けた。
「さて、初日も残り1時間だよ、頑張って琴音ちゃん」
「はい」
日野さんが元気よく返事をしている間に次のお客が扉を開けて入って来た。
「いらっしゃいませ!」
俺はすぐにその人達のもとの向かった。
日が沈み、店内からは完全に人がいなくなった夜8時半。掃除もささっと終えて今日が初日の日野さんは先に帰らせた。
更衣室で着替えを終えた俺は店内に顔を出す。
店内ではキッチンのところだけ電気をつけて、食器を棚に戻していた美智子さんがいた。彼女も今日の片付けが終わったようで腕で額を擦った。
「美智子さんお疲れ様です」
「晴太くん、お疲れ様」
挨拶だけ終えると店の裏口から外に出た。
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