第10話 12月27日

 太陽がある程度登った朝、テーブルに置かれた弁当をいつも持って行くショルダーバッグに入れて玄関に向かう。


 玄関に座って靴を履いているとキッチンにいた村上さんが歩いて来た。


「弁当ありがとうね」


「いえ、私の仕事ですから」


 今朝、いつもと同じ時間に起きると彼女は昨日買った寝巻き姿でキッチンに立っていた。何をしているのか聞くと俺の弁当を作っていると答えた。


 どんなおかずを作っているのか気になったが、それはお昼の楽しみに取って置きたくて聞いたりはしなかった。


 靴を履き終えると立ち上がって玄関のドアノブを握る。


「行ってきます」


「行ってらっしゃい」


 彼女はバイトに行く俺に手を軽く振った。彼女に見送られながら1日ぶりのバイト先に向かった。



 いつものように裏口から店に入ると目の前の階段から降りてきた美智子さんと鉢合わせた。彼女はいつもの作業着に着替えている。


「晴太くんおはよう。日野さんももう時期来ると思うからいろいろ教えてあげてね」


「わかりました」


 返事をすると普段俺しか開けない扉がガチャッと音を立てて開いた。


「お、おはようございます」


 振り向くと開いたドアの向こうで手提げバックを両手に持ち、茶色の長い髪を下に垂らしながら頭を下げている女の子がいた。


 頭を上げた女の子と目が合う。スラっと細い体。肩を少し過ぎたぐらいまで伸びた茶色の髪。柔らかそうな白い肌にパッチリと開いた大きな目。この付近に住み始めて2年が経とうとしているが、ここまで顔の整った同級生は見たことがなかった。


 俺と女の子が目を合わせていると1階に降りてきた美智子さんが俺の横を抜けて女の子の前に立つ。そしてそのままターンして俺の方に向いた。


「晴太くん、この子が新人の日野ひの琴音ことねちゃん。で・・・」


 美智子さんは今度は日野さんの方を向いた。


「この人が秋原晴太くん。わからないことがあったら彼に聞いたら多分全部答えてくれるから。彼を頼ってね」


 全部俺に押し付けているような発言をする美智子さんがそれぞれの紹介を終えると日野さんは頭を再び下げた。


「よろしくお願いします」


「よろしく」


 こうして初めてバイトの後輩を持つことになった。




 お互いの挨拶を済ませた後、俺は更衣室に向かった。彼女も着替えるために更衣室に向かう。


 更衣室のドアノブを握ってようやく俺は違和感を覚えた。


「ねぇ、美智子さん」


「どうかした?」


 後ろを着いてきた美智子さんは首を傾げる。


「この店の更衣室ってここだよね?」


「そうだけど?今更どうしたの?」


「じゃあ、日野さんの更衣室は?」


「ここだけど?」


 日野さんは俺たちの会話を聴きながら何の会話をしているのだろう?と不思議そうな顔で首を傾げている。


 多分日野さんはこの更衣室の中を見ていないのだろう。


 俺は彼女に中を見せるようにドアを開ける。部屋の中はロッカーが3つだけ。仕切りもカーテンも何もない。部屋も狭く、人が1人両手を広げるだけで壁とロッカーに手が着いてしまう。


 着替えるだけなら何も問題はない。しかし・・・。


「俺と日野さんは同時には着替えられないんですね」


「うん、そうなるかな」


 日野さんも部屋の中を見て、会話の内容が理解出来たらしく美智子さんの方を向く。


「え!?そうなんですか?」


「そうなんだよね。そこで!」


 美智子さんはいつに間にか持っていた小さい木の板を胸の前に出した。それは店の入り口にかけられている物とよく似ていた。


「これをドアに掛けておくから、使用中は文字の書いてある方を表に、終わったら何もない方を表にして使って」


 彼女なりに考えたのだろう。異性同士の俺たちが同じ更衣室をうまく使うにはどうしたらいいか。本当は更衣室をもう1つ作ればいいのだろうが、その部屋を作るための空き部屋がない。彼女の家に入れば別だが。


「分かりました」


 彼女の提案を日野さんは承諾した。彼女がいいのであれば俺は拒否をする理由はない。


「わかりました」


「ごめんね、琴音ちゃんには更衣室のことと服のことで話があるから先に晴太くんが使ってくれる?」


「了解です」


 美智子さんから木の板を受け取るとすでに作られていたフックに紐を掛けて中に入った。


 ロッカーを開けるといつもの作業着に着替える。私服と鞄を自分のロッカーに入れると素早く部屋を出た。



 更衣室を出ると美智子さんと日野さんが部屋の前で待っていた。部屋を出ると入れ替わるように美智子さんたちも入って行く。部屋に入ってドアを閉める直前に美智子さんが振り向いた。


「晴太くん、少し遅れると思うから先に準備しててもらえる?」


「わかりました」


 返事をするとガチャッと音を立ててドアが閉まった。




 店内に入って準備をしていると奥の方から美智子さんが出て来た。その後ろには日野さんもいる。


 日野さんは体を左右に振りながら作業着を見ている。俺とは少し違うようで黒いズボンに白いカッターシャツ、腰にはエプロンが巻かれている。


 喫茶店の店員をイメージするときによく想像される服に身を包んだ彼女は、テーブルを拭いている俺のもとにやって来た。


「よろしくお願いします」


「よろしく、それじゃあ・・・まず開店前の掃除から教える」


 美智子さんに先に何を教えたらいいか聞こうとしたが、肝心の彼女は店内から姿を消していた。


 仕方がないのでささっとテーブルを拭くとモップのある場所ややり方を教えることにした。


「じゃあ着いて来て」


 カウンターの上に拭き終えたナフキンを置いて奥に入る。


 入ってすぐ横にロッカーがある。その扉を開けて中を見せる。中にはモップとちりとり、帚が入っている。


「まず最初にナフキンでさっきみたいにテーブルとカウンターを拭く。次にモップを使って店の入り口から奥の方にゴミを集める」


 いつもしていることを淡々と説明していく。そんな俺の目を見ながら真剣に理解しようとしているのが彼女から伝わって来る。


「集めたゴミは帚とちりとりで集めてそこのごみ箱に捨てる」


 ロッカーの横に設けられたゴミ箱を指差して開店前の準備の説明を終えた。


「店を閉める時も同じことをするから覚えておいて」


「わかりました」


 彼女のやる気に満ちた返事をした。俺も最初はこんな感じだったんだろうなと思いながら店内に戻った。

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