第5話 12月25日

「それじゃあね〜」


「秋原くん頑張って」


「うん、またのお越しをお待ちしております」


 店を出て行く二人が見えなくなるまで手を振った。


 白崎さんと東堂さんが帰った後、来店者は徐々に減り、7時には客が居なくなった。


「晴太くん、この後人が来なさそうだから先に片付けをしようと思うからモップ以外済ましておいて」


 そう告げると美智子さんはいつものようにナフキンをカウンターに置くと洗い終えた食器を棚に入れ始めた。


「分かりました」


 置かれたナフキンを手にするとカウンターとテーブルを拭いた。それからは暇な時間を彼女と話しながら待っていたが、8時まで人は誰1人来なかった。


「晴太くん、看板を裏返したら帰っていいよ。昨日は遅くまでここに居させてしまったから今日は早く帰って。モップは私がやっておくから」


「いや、でも・・・」


「人の好意は素直に受け取っておくべきよ」


「・・・そうですね、それでは先に上がらせてもらいます」

 

 入り口のドアにかけられた看板を裏返すと更衣室に向かった。



 着替えを終えると店に顔を出した。店内では美智子さんが1人で黙々とモップをかけていた。


「美智子さん、お先に失礼します」


「お疲れ、明日はしっかり休んでね」


「そうします」


 彼女に会釈して喫茶店を出た。



 外は今日も冷えている。マフラーと手袋が本当に外せない。


「さて、夕食はどうしようかな・・・」


 夕食のことを考えていると家に村上さんがいることを思い出した。彼女にこんなに遅くまでバイトがあるとは言っていない。今頃家でお腹を空かせているに違いない。


 俺は普段走って帰らない道を駆けた。



 マンションに着くとエレベーターに乗る。一緒に乗って来たスーツの男性がいたが、話をする事は当然なかった。


 男性は上の階の人らしく、俺が5階で降りても彼は出ることはなかった。


 自分の部屋の前に行くと鍵を刺す。鍵を回すとドアの解除音が聴こえる。ゆっくりとドアを開けると部屋の中から光が出て来る。足元には村上さんの履いていた黒いヒールが隅に置かれていて少し安心した。


 彼女のことは何も知らない。どこに住んでいるとか、どういう人とか。そんな知らない人を泊めたのだ。いくら仕事が忙しくなろうと頭の片隅にはものが盗まれるのではないか?荒らされるのではないかという考えがどうしても拭いきれなかった。


 廊下の電気は消えていたが、リビングだけは明かりが付いていた。


 廊下の電気を着けずにリビングに顔を出す。


「・・・ただいま」


 1人暮らしを始めてから初めてその言葉を口にする。リビングに行くとソファの上に布団が畳んで置かれている。朝開けて行ったカーテンも閉められてた。部屋は暖かく、ヒーターの機械音が聴こえてくる。しかし彼女の姿はなかった。


「お帰りなさい」


 声がして振り返ると貸したジュージ姿の彼女がキッチンに立っていた。


「ごめんなさい、冷蔵庫の物勝手に使っちゃって」


 彼女はキッチンで何かを作っているようで美味しそうな匂いがしてくる。


「もう少しかかるのでお風呂に行って来てください。お湯は張っておきました」


「・・・う、うん、ありがとう」


 予想もしていなかったので反応が遅れる。一度自室に入り、カバンを置くとキッチンで料理をしている彼女をチラッと見る。


 今まで俺以外が立つことのなかったキッチンに別の人が立っているのはとても新鮮でもあり、違和感もあった。


 見られていることに気付いた彼女と目が合う。俺は彼女から目を逸らすと風呂場に向かった。


 洗面所に行くと彼女が昨日着ていたスーツが畳んで置かれていた。その横には俺の服も。


 今朝洗濯機を回して行ったのを彼女が気付いて干してくれたのだろう。服は完全に乾いている。


 空になっている洗濯機に服を入れるとバスタオルを持って風呂に入った。



 風呂にはいつもより長く浸かった。昨日から色々あったけど、それを整理するための時間を取れていなかったから。彼女についての情報の整理、これからのこと。考えるべきことは多々あった。


 やらなければならないことを整理し終えると少し頭の中がスッキリしたような気がする。



 濡れた髪を拭きながら洗面所を出るとテーブルにオムライスを2つ置いて待っている村上さんが座って待っていた。


「出来ましたので食べてください」


「夕飯ありがとう」


「いえ、これぐらいはしないと」


 俺は彼女の向かいに座るとオムライスに目を向けながら合掌した。


「いただきます」


 オムライスは綺麗な黄色をしている。テーブルの中央に置かれたケチャップで星を書くとスプーンで掬って口に入れる。


 彼女はオムライスを噛んでいる俺の方をじっと見てくる。見られているととても食べづらい。


「どうですか?」


 彼女に感想を聞かれ素直に答えた。


「うん、とても美味しいよ」


 そう言いながら二口目を掬って口に入れる。


「良かったです。家では料理をしないのでどうかと思ったのですが」


 俺の感想を聞いて胸をなでおろすと彼女もスプーンを手に取った。


「いただきます」


 彼女も夕食を取り始めたところで風呂場で考えていた本題に入ることにした。


「村上さん、明日何か予定ある?」


「予定ですか?」


「うん、明日出掛けようと思って」


「・・・私と、ですか?」


 彼女は手を止めて首を傾げる。


「他に誰かいる?」


 聞くと彼女は首を左右に振った。


「明日、最低限村上さんの物を揃えようと思っているんだ」


「私の物?」


 首を傾げた彼女はすぐに何かに思い至ったようで声を上げる。


「いえ、そこまでしてもらわなくても今のままで十分ですから」


 両手を振りながら遠慮する彼女。そんな彼女に言葉を返す。


「布団も寝巻きも出かける服もないのに?言いづらいけど下着だって1セットじゃ困るでしょ?ずっと同じ格好でいるの?」


「それは・・・」


 彼女は黙り込んでしまった。彼女が1日や2日しか居ないのならそれでもいいと思う。その場合は俺が引き下がるだろう。


 でも彼女はこれから何日ここにいることになるか分からない。1週間?1ヶ月?もしかしたらそれ以上長くなることだってあるだろう。


 俺は彼女が就職するまではここに居てもいいと昨日言ったつもりだ。もちろん就職してすぐはお金もないのでここにいることになる。


 どちらにせよ彼女の日用品は必要になるのは明白である。


「これからどれぐらい一緒に暮らすかわからないけど、絶対に必要になるのもだからさ。買って置いて損はないと思う」


「・・・そう、ですね」


 彼女もちゃんとこれからのことを考えたらしく、賛成の意思を見せた。


「それじゃあ、今からいるものを書き出しますか」


 食事中だが俺は席を立つと自室に入り、メモとボールペンを持って戻った。


 オムライスを少しよけて紙をテーブルに置く。


「まず、下着と寝巻きはいるよね。あと布団一式。これはかかせない」


 彼女は走らせているボールペンと紙を見ている。俺が次から次へと必要になりそうな物を上げていく。


「食器もいるね、お茶碗とかないし。出かける服も買わないとね、出かける度にスーツって訳にもいかないから。それと・・・」


「あ、あの・・・」


 おおよそ大切な物を言い終えると彼女はようやく声を上げた。


「私もお金出します!少ししかありませんが・・・」


「どれぐらいあるの?」


 あまり期待をせずに聞いた。


「3万ちょっと」


「意外とあったんだ」


 そんなに持っていないと思っていた俺はそう返してしまった。


「はい、帰りの新幹線代ともしものときのお金を少し」


「うーん・・・それは取っておいて。お金は俺が全部出すからいいよ」


「でも・・・」


「もし俺がいないときにお金が必要になったら困るでしょ?そのときのために残しておいた方がいいと思うんだ」


「・・・わかりました」


「あ、それと」


 俺はテーブルに置いていたスマホを手に取る。


「携帯ある?」


「はい、確かカバンの中に」


 そうい言うとソファの横に立てかけていたカバンから柄のないシンプルなカバーに入ったスマホを取り出した。


 しかし彼女はそのスマホを操作せず、テーブルの上に置いた。


「ごめんなさい、充電がないみたいです」


「そっか、なら貸して」


 彼女から手渡しでスマホを受け取る。それを持ってスマホの充電をするところを見る。スマホは俺と同じリンゴマークの会社の機種らしく、差し込み口が全く一緒だった。


「よかった、機種は一緒だな」


 そのスマホを持ったままテレビ台の横に伸びている充電ケーブルに差し込んだ。


「充電しておくから明日には溜まっていると思う」


「ありがとうございます」


「それじゃあ残りを食べてお風呂に行っておいで。風呂掃除は・・・」


「私がやります。最後なので」


「じゃあお願い」


「それと・・・」


 再びスプーンを持ってオムライスを掬うと彼女が口を開いた。


「布団、ありがとうございました」


 最初何を言っているのかと思ったが、ソファの上に畳まれた布団2枚遠見て思い出した。今朝起きてから村上さんのかけていた羽毛布団の上にもう1枚布団をかけて行ったことを。


「いいよ、今日も両方かけて寝て。今日はより寒いらしいから」


「ありがとうございます」


 今日は厚手のジャンバーでも来て寝よう、俺は今夜自分が温まって寝れる方法を考えながら彼女の作ってくれたオムライスの最後の一口を口に入れた。

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