第369話 カイン・ハーダル

「内密な話がある」


 数年前までハーダル伯爵家を継ぐ予定だった長男のカイン・ハーダルがそのような言葉を執事から伝えられたのは、ベリア皇女とミフィアがそれぞれの客間に戻って、しばらくしてのことであった。

 その言葉にこれから始まる戦争の作戦会議を期待していた。

 20代前半のカインにとって戦争は武勲を挙げ、自身の名を広める好機だと言う認識だったのだが……。


「お前は、将来ベリア様の下で私の跡を継いで家宰になる事が決まった」


 父であるハーダル伯爵から伝えられたのは、戦争の準備ではなく、将来の自分が歩むレールの説明であった。


「どういうことです?

 私はマウントホーク領に移り住むものと聞いていましたが!」

「そう声を荒げるな。

 お前の望んだように我々は先んじて、アイリーン派閥に与するミンパニア男爵領に攻め入る。

 そこでしばらく篭城を行い、ベリア様がお連れする予定のゼファート軍と合流し、更に帝都方面へ進軍する方針となるだろう。

 その功績からベリア様に与えられる巫爵家の家宰職を私が拝命し、それをお前が引き継ぐのだ」


 期待を外された不機嫌が声に乗ってしまったカインだったが、結果的に勘違いした父親から詳しい情報を得ることに繋がった。


「だから何故そのようなことに!」

「戦場で功績を挙げると言うことは、そういうことなのだよ。

 功績を挙げたなら、主君はそれに見合う褒美を与えねばならず、臣下はその褒美を受け取らねばならない。

 今回はベリア様の元での家宰職だからな。

 サザーラント帝国を離脱して平民になる我々が、侯爵に匹敵する権威を与えられるわけだ。

 素晴らしい褒美だろう?」

「……」


 年不相応な幼い憧れを父に知られていた気恥ずかしさと、それを利用する腹黒い発言に対する反発で、上手い言葉が見付からないカインを置き去り、


「滞りなく家宰職を引き継げるような調整も為されるだろう。

 自分はこの戦いで素晴らしい功績を挙げることが約束されているのだと喜んだらどうだ?」


 更に皮肉るハーダル伯爵。

 しかし、


「カインは、今年で22だったか?

 私もそのくらいの歳の時は父親に反発したものだ。

 これでも国軍に在籍していた時は部隊運用能力を褒められていたからな。

 家督は弟に譲って軍人として身を立てる気でいたくらいだ。

 だが、結局家督を継いだのは私だった」

「……何が言いたいんです?」


 急に口調を和らげたハーダル伯爵に、警戒を募らせたカイン。


「父から言われたのだ。

 長子として、もっとも多くの益を得ていた癖に、家督を放棄する気か?

 不遇な扱いを受けた弟に押し付けるのか? とな。

 だから、私は爵位を継いだ。

 ……若いお前が武勇で身を馳せたい気持ちは分かるが、その武勇も伯爵家が私財を出して、呼び寄せた教師からもたらされたものだと思い出して欲しい」

「……だから厄介な家宰職を継ぐようにと?」

「そうは言わないがな。

 ただ、我が家から家宰を出さなくてはならない。

 そうしなければ、お前がこれまで育つのに投資してくれたハーダル領の民が苦しい思いをするだろう」


 正面切って命じないものの、罪悪感を煽っての泣き落とし。

 どちらが質の悪い話かは置いておくとして……。


「何故、こんなことに?」

「……ミンパニア領から発せられた軍と開戦したからだ。

 掃討はさせているが、アイリーン派閥に我が家が敵対した情報はすぐに伝わるだろう。

 ベリア皇女を内密に匿った第三者では通じなくなったのだ」


 ミルガーナ帝の拠点を攻めあぐねているアイリーン派閥にとって、ハーダル伯爵家の謀反は不満の捌け口として、有り難い口実になるのは間違いなく。

 であれば、領地が荒らされる前に打って出て敵の勢力圏で戦い、サザーラント帝国の中枢軍と言う大軍に抗うために、ハーダル家も新しく大きな傘の下に入る必要が出てきた。


「……まさかそこまで見越して?」

「……分からん。

 とにかく、我々は明後日には軍を率いてミンパニア領に攻め込む。

 ベリア様は、ミフィア様が身柄を護送される手筈だ」

「……分かりました」


 もはや、個人ではどうにも出来ない流れの中にいると認識したカインは、身の振り方を考えることにする。

 しかし、


「ただ、皇女殿下の身柄をと言うのは?」

「……そのままの意味だ。

 我々が必要としているのは、本物のベリア様自身とその血筋であって、その意思は問題ではない。

 もちろん積極的に民衆に働き掛けて下されば有り難いが、最悪は安全の為にゼファート様の近辺にて護衛されることにもなるのではないか?」

「……」


 遠回しに子供を生むだけの道具にされる可能性もあると告げられたカイン。

 同時にそれは自身に降り掛かる可能性もあると理解して、血の気が引くのを感じるのだった。

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