第134話 とある辺境伯家の悩み

「…それでことは上手く行かなかったのか?」

「……申し訳御座いません」


 とある辺境伯家の執務室で中年の男が叱責を受けている。

 中年の男もそれを叱責する部屋の主にも、明らかに焦りの表情が浮かんでいる。


「あの成り上がり者に出来て、伝統ある我が辺境伯家が出来ないはずがないだろうが!

 ましてやこっちの狙いは『小鬼森林』だぞ?

 規模も小さく、現れるのもゴブリンだけだろうが!」

「しかし、あの『小鬼森林』のゴブリンはただのゴブリンではありません。

 多くの上位種に率いられた連中は優れた戦術を駆使する強敵。

 こちらも陣地を構築しての持久戦を想定せねば…」


 中年の男は、軍人として自分が考える最良の策を献策するが、政治家である若き辺境伯には通じない。


「出来るわけないだろうが!

 『小鬼森林』はあの成り上がりの土地だぞ!

 そんなことをすれば、こちらが疲弊させた領域を掠め取られるだけだ!」


 元より他国である以上、取り締まる権利は成り上がりのマウントホークにある後は都合の良いタイミングを見計らうだけで良い。

 そう考える黒髪の辺境伯は、この期になってもユーリスの実力を見誤っている。

 彼らには何時でも解放出来る森なのだから、陣地構築を始めた時点で、騎兵による略奪の対象だろう。


「しかし…」

「強襲戦で決着を着けろ。

 そのために我がガーター家の精兵6千を預けているのだ!」


 そういってジング・ガーター辺境伯は息を吐き出す。

 勝てる戦を献策するのも軍人なら、主の願いを叶えるのも軍人である。

 そう考えたガーター辺境伯家の従士長は、御意と一言発して、退席する。





「それで閣下は納得してくださったんですか?」


 執務室のある階から降りてきた従士長を出迎えたのは、副官のそんな言葉だった。


「いや、あくまでも強襲的な奪取を望まれておられる…」


 答える従士長の声に張りはない。

 辺境伯軍の消耗を考えれば無謀でしかないと言うのが、軍上層部の共通の思いだから、それを辺境伯に理解させれなかったことが残念だった。


「やはり無理でしたか。

 辺境伯様は軍事に疎かったですしね…」

「うむ。

 辺境伯と言う地位に置いて、軍事行動に対する理解力は必須なのだがな…」


 国境を守るにしろ、他国へ攻めいるにしろ、その先陣を務めるのが辺境伯軍だ。

 にもかかわらず軍事を下に見る彼は軍人達の失望を買っていた。


「お前には精兵6千を預けていると叱責されたよ」

「何ですかそれは!

 総兵力6千は正しいですが、その大半は馬にも乗れない徴集兵ですよ?

 陣を敷いての持久戦ならともかく、強襲では連れていくことすら出来ないのに!」


 あまりに勝手な言い分に腹を立てる副官。

 対して従士長は諦め気味だ。


「徴集兵だろうが、専業兵士だろうが数字の上では同じ1人だからな。

 ましてや、辺境伯様は一般の農民が馬に乗れないことも理解していないのではないか?」


 武術の才覚が皆無の自分が出来るのだから馬に乗れるのは当然と思っているかもしれなかった。

 そもそも一般的な農民は乗馬訓練など受けていないのだが…。


「…大前提なのですが、今回の軍事行動は本当に必要な物だったのですか?

 いきなりの通達で隊長が相談した雰囲気もありませんでしたし、ましてや向かう先は他国の魔物の領域ですよ?

 多くの者が辺境伯様に不安を覚えています」

「うむ。

 戦略としては正しい。

 隣のマウントホーク辺境伯は難易度が非常に高い『狼王の平原』を解放した傑物だ。

 領地も広大で、10年もすればガーター辺境伯領が並び立つのも困難な大貴族となる。

 その時にあの『小鬼森林』を解放されれば、多少不利な条約でも飲まざるをえないだろう。

 対して、今我々の手で解放すれば『小鬼森林』の所有権がこちらに移り、向こうの新領都の喉元に刃を突き付ける形になる。

 そうなればこちら優位の条約を結ぶのも容易い」

「……遅くなれば遅くなるほど不利になるのですね?」

「ああ、今は領地開発に忙しいマウントホークも時間と共に周辺に目が向くのは確実だ。

 ……残念ながら戦略家としては優秀なのだよ」


 あれで戦術家としての才覚があれば、武術の才など気にする必要もないほどの軍略家となったのだが。

 と言う本音はあえて口にしない。


「軍部は持久戦を進言しましたよね?」

「当然だ。

 強襲戦が出来る者等辺境伯軍の中でも50人程度だぞ?

 しかも育てるのに10年は掛かる。

 どれ程の損害か……」


 嘆き続ける従士長は今後のガーター辺境伯家の未来を思っている皆の共通する思いだった。

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