『人生博覧会』

          ○


 君が常に気を付けておかなければならないことの一つは、いつどこで誰が君の頭の中を覗いているか分からないということである。例えば君が頭の中であの子を犯したり、あの子に犯されたりしているとき、その妄想は全部あの子に筒抜けかもしれない。だがまあ、その程度のことならなんていうことはない。嫌われてそれで終わりだ。問題は、君の思考を覗き見ている相手が何らかの権力と繋がっている場合だ。もちろん、相手だって馬鹿じゃないから、君が頭の中で革命を企てようがどうしようが、それだけで君を捕らえることはしない。だがしかし、君の思考は確実に他の人々の思考と共にビックデータとして蓄えられ、AIによって君たちの思考を管理するための最適解が計算される。月に浮かぶクレーターは君たちの頭の中を覗く「目」である。

 なぜここで、今更このような当然のことを述べなければならないかというと、つまりそれはこの物語に大きく関係してくるはずに多分おそらく違いないからである。行方不明の月はきっとどこかで君たちを見ている。君たちはパノプティコンに入れられた囚人のようにいつもいつも常に月の「目」を気にしながら生活をしなければならない。新月の夜はいつもそうだ。

 次に考えなければならないのは月の光についてである。月の光というのは言わずもがな一度死んだ光だ。死というものはとても優しいもので、どのような者であっても必ず受け入れてくれる。月の光というのはそのような寛容さを持っている。一方で、太陽のような生のエネルギーに満ちた光は人を選ぶ。しかし、これを以て月の方が優れているとするのは早計だろう。(もちろんこれは、太陽を支持するという意味ではない)ここで、月と太陽に関するある御伽噺を引用したい。


          ◆


『人生博覧会』作者不詳


 僕達は文字通り博物館の中で育った。そこには綺麗な日本刀や鮮やかな絵巻物なんかが展示されていて、僕達はそういったものを見ながら育ってきた。いつから博物館の中にいたのかは分からない。気が付いたときにはもうそこにいた。だから僕達は世界のことを博物館と呼んだ。僕達にとって博物館こそが全てだったから。博物館には何でもあった。使われずに捨てられた魚の形をした醤油さし、二頁で終わった誰かの日記、中身ごと捨てられたカプセルトイ………。そんながらくたさえあったし、地下室(「先生」は僕達がそこに行くことを禁止したが、僕達は冒険のつもりで何度か訪れた)には、顔の消えたセルロイド製の人形、血まみれのハラキリ刀、カニバリストに食べられたバラバラ死体、苦悩の梨で口を裂かれた魔女のミイラ……、そんなものさえ展示されていた。

 僕達はほとんどずっと日本刀や絵巻物が展示された部屋の中で過ごしてきた。僕達はそこを「教室」と呼んでいる。天井は濃紺の天鵞絨で覆われていて、薄暗い照明が一個ぶら下がっていた。天鵞絨は「空」、照明は「月」だ。そして、僕達が天鵞絨にくっつけた色とりどりのガラス片が「星」である。これらの名前は全部「先生」が教えてくれた。「先生」は目がグリグリと大きくて、複雑に入り組んだ輝く鼠色の体をしている。先生は優しいがいつも同じことしか言わない。口癖は「ようこそ、芙蓉博物館へ。当博物館ではあなたが生まれてから死ぬまでの期間、『人生博覧会』と題した企画展を催しております」だ。「先生」は展示品について色んなことを教えてくれた。博物館にあるもののことならなんでも知っている。僕達は「先生」に教えてもらいながら言葉や文字を覚えた。


「なあ巴旦杏、あの『空』の向こう側に行ってみたくないか」

 そう言ったのは僕の友達の木通だった。僕達はそれぞれ図鑑や辞書から気に入った言葉を選んで名前にしている。木通の艶々とした黒髪はとても美しい。

「僕だって『空』の向こう側があるなら見てみたいさ、だけど僕にはあれが博物館の果てだと思えるね」

 僕達がいる「教室」は博物館の最上階にあった。

「君はまだそんな迷信じみたことを言うのかい。君だって『星』を取り付けるとき、飛んで行ってあの『空』を触ったことがあるだろう。その時手はどうなった? 『空』を少し押しのけて向こう側へ沈んだだろ。それが向こう側がある何よりの証拠だよ」

 僕達は背中の翼を使って「空」まで飛ぶことができた。

「それは……」

 僕は言葉に詰まった。

「なあ巴旦杏、あの『空』を取り去ってみないか?」

 僕は木通の言葉に驚いた。「先生」は博物館にあるものを壊してはいけないといつも言っているし、そもそも「空」を取り去るなんて大それたことができるとは思えなかった。そんなことはいつだったか本で読んだ「神様」のすることだ。それに、みんながいつも大切にしている「空」を取ってしまうなんて考えただけでも恐ろしい。僕達にとっていつも僕達を包み込んでくれている「空」は、僕らを照らしてくれる「月」と並んで大切なものなのだ。

「だめだよ、そんなこと」

「だめなことなんてあるものか。おれ達にはなんだってできるだろ」

 最近の木通にはもはや自分は子供ではないという自負があるからなのか、よくこんな無茶を言い出すのだ。

「分かった、『空』まで飛ぶだけだよ」

「よかったよ、君が臆病者じゃなくて」

 彼は臆病というものを嫌い、強さや勇敢さを尊ぶ癖があった。僕にはそれが疎ましく感じられた。

「それで、どうやって『空』を取り除くんだい」

 木通の無鉄砲な性格から言って、そんなことは何も考えていないだろうと、僕は高を括っていた。だから、僕の質問に答えられなくなったところで木通を責めて、彼にバカなことをやめさせるつもりだった。しかし、彼の答えは予想に反して、彼の考えが計画と言えるほどには練られたものであることを感じさせるものだった。

「繻子の奴から聞いたんだよ、『空』まで飛んで行って壁際まで行くと『空』と壁をつなぐ金具があるって」

「それがどうかしたの?」

「お前、ほんと鈍感だな。それを外せば『空』も取れるってことだよ。その螺子とちょうど合うドライバーも見つけた」

 僕もその金具は見た事があるが、その金具は壁と「空」をしっかりとつなぎとめていて、とても離れるようには思えなかった。

「巴旦杏、君は『空』に対して信仰心みたいなものを持っているんだろ。だから、『空』が取れるなんてこと思いつかないんだ。そんな信仰は捨てちまえよ。この博物館は狭すぎる。おれは外が見たい」

「分かったよ、君を手伝うよ。でも、君はここまで一人でこのことを考えてたんだろ。なのになんで計画の直前になって僕を誘うんだい」

「そりゃ、向こう側へ出ていくのに一人じゃ寂しいじゃないか」

 木通は照れたように笑って言った。


 僕等は木通の言った金具の所まで飛んできた。

「『先生』に見つかったら、きっと僕等叱られてしまうね」

「『先生』なんてバカ言うなよ。お前らはいつまであれを『先生』呼ばわりするつもりだ? あんなのただのロボットじゃないか」

「ロボット?先生がロボットだなんてそんな馬鹿な話あるものか」

 木通は「またこれだよ」とでも言いたげな表情を浮かべながら、何も言わずに螺子をドライバーでくるくると回し始めた。金具はずらりと隙間なく並んでいて、向こう側が見えるようになるまでには何個螺子を外せばいいのか分からない。

「これかなり硬いな」

 下からは「教室」にいるみんなが僕等を不思議そうに見上げていた。

「お、ようやく一個螺子が外れたぞ」

 木通は嬉しそうに言った。既に何か達成したかのような声だ。

「一つの金具だけでも四つも螺子があるじゃないか、金具一つ外すのだってまだまだだよ」

「うるさいなあ、少し黙っとけよ」

 僕は少し安心した。この分だと、「空」の向こう側には行くことができたとしても、「空」自体を取り去ることはできそうになかったからだ。できたとしても相当な時間がかかる。彼の目的は「空」の向こう側を見る事なのだから、わざわざそんな面倒なことはしないだろう。

「ねえ木通、向こう側に行ってどうするつもりなんだい」

「旅に出る」

 彼は螺子をくるくると回しながらぼそりと答えた。彼らしい答えだなと思った。外の世界がどんなかも分からないし、そもそも「空」の向こう側には何もないかもしれない。なのに彼は向こう側を見たがり、外に出ようとしている。

「ほら、一個金具が外れたぜ。ちょっと向こう側覗けるかな」

 彼が喜んでいる一方で僕は下を見て、どうやら僕らの状況はよくない方向へ転んでいることを知った。

「木通、『先生』が来たよ!」

「嘘だろ、この時間はあのロボットどっかで片づけでもしてるはずだろ。ロボットに止められるのはまずいな」

「博物館の破壊行為はお止めください。ただちに止めない場合は規則第十条に則り私が強制的に止めさせます」

 下にいるみんながざわめきだした。第十条が適応されるのは相当重大な規則違反に対してだけだ。これを聞いてみんなは僕等が何をしようとしているのか何となく気が付き始めたようだ。

「木通、速く!」

「分かってるよ、でも人が通れるまでにはまだまだ金具を外さないと」

「私に従う意思がないと判断しました。規則第十条を発動します」

 そう言うと「先生」は壁をよじ登り始めた。

「もう一個外れた!」

「貸して」

 僕は外した金具を木通から受け取って「先生」に投げつけた。しかし、「先生」は金具が当たっても気にも留めずに壁を登り続ける。

「そいつにそんな手通用しないよ、バカか」

「うるさいな、しないよりはマシだろ」

 僕等は半ばパニック状態に陥っていた。

「あいつ、どんどん登ってくるぞ」

 木通がそう言った矢先、僕の翼が「先生」の手に掴まれた。

 ブチ。

 はっきりと音を立てて僕の翼がちぎれた。

 木通の翼がちぎられるのもほとんど同時だった。

 僕等は「空」から落ちた。落ちる時、木通が掴んでいた天鵞絨が破けて、とても、とても、明るい光が「教室」に差した。


僕は翼をもぎり取られた背中の痛みに耐えながら、「先生」から逃げて地下室まで来た。「先生」は「ご成人おめでとうございます」と言って木通を連れて行ってしまった。僕達はある程度の年齢まで育つと「教室」を出ていくことになっていた。「成人」というのはそのことだ。「先生」は必ずそう言ってから連れて行く。十四の木通はまだ「成人」には早かった。「教室」を出て行った人達が何処へ行くのか僕達は知らない。「教室」を去ることについて僕達は分からないからこその漠然とした不安を抱きつつも、分からないからこその漠然とした希望も抱いていた。しかし、第十条によって翼をもがれた木通が「教室」を去ることになるということは、どうも希望的な観測の方はハズレらしいように思われる。きっと、「教室」のみんなも同じことを考え不安になっているはずだ。

僕は木通を助けるために博物館を歩き回ることにした。もちろん、「先生」に見つからないように。それにしても、確かに普段から「先生」は僕達がいけないことをすると怒ったりもした、しかし今回のようなことは初めてだ。僕は神聖な「空」を取り去るのを手伝ったことを後悔し始めていた。きっと、「空」は翼をもがれるのに値する程重要なものだったのだ。そんな考えで僕の頭はいっぱいになりそうだったが、今は自分の身の方が大事だ。僕は身を潜めながら階段を上って一階へ出た。

一階の展示室の隅っこで初めて見る展示品を見つけた。この博物館にある展示品のことならほとんどのものを把握しているつもりだ。だが、たまにこうして新しく展示品が増えていることがある。その展示品は小さなガラスケースの中に入れられ、「使い終わった後放置された単三電池」と札が付けられていた。

「おい、巴旦杏だろ」

 木通の声が聞こえた。

「ここだよ、ここ」

 僕はこの博物館のとんでもない秘密に気が付いてしまった。木通はこの単三電池に変えられてしまったのだ。

「木通なんだね、今助けてあげるから」

 僕は部屋の隅に置かれていた消火器を手に取りガラスケースに思い切りぶつけた。サイレンが鳴った。

「おい、危ねえな。ガラスが当たったらどうするんだよ」

「文句言うなよ」

 僕は単三電池に変えられてしまった木通を手に取り逃げ出した。この博物館の中にいたのでは「先生」から逃げられるはずもない。博物館を出ることを僕は決めた。本の中では色々な世界が描かれていた。僕達はそれをファンタジーのように思っていたが、破けた天鵞絨の隙間から見えたあの眩しい光を見て外にも世界はあるのだと確信した。きっとあそこから向こう側へ行ける。

 しかし、翼がなくなってしまった今では天鵞絨まで飛んでいくこともできない。それに、「教室」に行けば「先生」もいるかもしれない。だけど、「先生」も僕が「教室」に戻ってくるなんて考えないのではないだろうか。今頃、博物館中を探し回っているはずだ。迷ったが僕は「教室」に戻ることに決めた。単三電池になってしまった木通を見せて説得すれば、みんなも一緒に博物館から逃げてくれるかもしれない。

 博物館には階段は三か所ある。耳を澄まして「先生」の足音が聞こえたら別の階段に移動すればいい。博物館にいるのは僕達と先生だけだ。「教室」は五階だ。動きやすいように、単三電池になった木通をポケットに入れた。

 一階で足音がした。恐らく、「先生」がサイレンの音を聞きつけて僕が壊したガラスケースの所へ駆けつけたのだろう。今の内にと、「先生」がいるのとは逆の階段から一気に五階まで上った。

 「教室」まで行くとみんなは「成人」した木通の話をしていた。

「巴旦杏! 君も『成人』したんじゃないのか!」

 僕を真っ先に見つけ、驚いた様子でいるのは金具のことを木通に教えた繻子だ。

「いや、僕は逃げたんだよ。それより話を聞いてくれないか」

「それより巴旦杏、あれはどういうことだ」

 僕の言葉をさえぎって、破れた天鵞絨を指さしながら怒ったように言ったのは薄荷だった。

「木通と一緒に『空』の向こう側に行こうとしたんだよ。そしたら『先生』の逆鱗に触れた」

「お前、なんでそんなこと」

 薄荷は僕に殴りかかろうとしたところを繻子に抑えられた。

「最初に言い出したのは木通だ。でも、今は僕も出て行こうと思ってるよ。これを見たまえ」

 僕は単三電池になった木通をみんなに見せた。

「なんだこれ、ただの電池じゃないか」

 繻子は呆れたように言った。

「いや、違う。これは木通なんだ。『先生』にこんな姿に変えられてしまったんだよ」

「馬鹿言うな頭がおかしくなったのか?」

 繻子がそう言うのも無理はないことだと思う。「成人」した後の姿がこれだなんて誰も信じたくない。

「この電池は展示されていたんだ。木通は僕を呼んだんだよ。ほら木通、みんなにも声を聴かせてやりなよ。そうすればみんなきっと信じるさ」

 だけども単三電池は何も言わなかった。

「君、気は確かかい?」

 怒っていた薄荷も呆れてしまって怒りを忘れていた。

「僕達は博物館の外へ逃げないといけないんだ。展示品を見ろ、あれは全部僕達の先輩だよ。木通は今は喋らないけど、さっきは喋ったんだ。本当だよ」

「博物館の外だって? 君は本気で言ってるのかい。そんなものあるはずないだろ。本に毒されたか。あれは全部虚構だよ」

 信心深い薄荷が言った。

「でも、君だって見えてるだろ、破れた天鵞絨から漏れてる眩しい光が。君は『空』に触れることだってできるのに、なぜそんなにまで『空』を神聖視するんだい」

「『空』はあの光から僕達を守ってくれていたに違いないよ」

「そうだね薄荷、君の言う通りかもしれない。君はここに残ればいい。でも僕はここから出ていくよ。もうここにいるわけにはいかないからね。だけど、僕にはもう翼はないから、君達に手伝ってほしいんだ」

「巴旦杏、それくらいなら僕が『空』まで運んであげよう」

 そう言ったのは繻子の方だった。薄荷は相変わらず納得がいかない様子だ。今までずっと信じて来たものを今更疑うなんていうことはできないのかもしれない。

「ありがとう、『先生』が来ないうちにお願いできるかな」

「いいよ、ほら」

 繻子はそう言うとかがんで僕を持ち上げた。

 「空」までたどり着くと、僕は人ひとり通れるくらいまで天鵞絨を破った。

「最初から、こうすればよかったんだ。木通も『空』に対する信仰心が少し残ってたんだろうね」

 僕は繻子に礼を言い、みんなに別れを告げると「空」の上までよじ登っていった。「空」の上にはガラス張りの天井があった。僕はガラスを殴って割った。手が血まみれだ。天井から博物館の外に出るとそこには目が潰れてしまいそうなほどに眩しい外の世界が広がっていた。

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