姚興13 洛陽陥落
398年、
同年、姚興は
南臺、武庫、朝堂を建てる。
また西宮を立て、門に
翌年7月、
晉将の
また
8月には北魏から
六万の騎兵を率いて出発するも、
到着よりも前に洛陽は陥落した。
10月のことだ。
辛恭靖は捕まり長安に連行された。
洛陽を守って立派に戦った将に、
姚興、直々に接見する。
辛恭靖、姚興に拝礼する気がない。
姚興は言う。
「朕はそなたに対
任せたいと思うのだが、どうだ?」
それを聞き、辛恭靖はキレる。
「殺せ! お国のための霊となろう、
誰が羌賊なぞに仕えようかよ!」
姚興は怒り、辛恭靖を幽閉した。
とは言え、
姚興のもとに人質を差し出し、
降伏を願い出てきた。
姚興は叔父の
都督
皇初五年、興長水校尉姚珍奔西秦。是年、興建南臺、武庫、朝堂於長安。又立西宮、名宮門曰黃龍門。弘始元年秋七月、遣齊公崇、鎮東將軍楊佛嵩、寇洛陽。晉河南太守、隴西辛恭靖嬰城自守。雍州刺史楊佺期請救於魏。八月、魏太祖遣太尉穆崇、將六萬騎救之。冬十月、辛恭靖固守洛陽百餘日、魏救未至、崇等遂拔洛陽。恭靖被執送至長安、見興不拜。興謂恭靖曰:「朕將任卿以東南之事、可乎?」靖厲色曰:「吾寜為國家鬼、不為羌賊臣!」興怒囚之別室。自淮南已北諸城多送任請降。乃以東平公紹為都督山東諸軍事、豫州牧、鎮洛陽。
皇初五年、興の長水校尉の姚珍は西秦に奔る。是の年、興は南臺、武庫、朝堂を長安に建つ。又た西宮を立て、宮門を名して黃龍門と曰う。弘始元年秋七月、齊公の崇、鎮東將軍の楊佛嵩を遣わせ、洛陽を寇ぜしむ。晉の河南太守の隴西の辛恭靖は嬰城自守す。雍州刺史の楊佺期は救を魏に請う。八月、魏の太祖は太尉の穆崇を遣わせ、六萬騎を將い之を救わしめんとす。冬十月、辛恭靖は洛陽を百餘日固守せど、魏が救の未だ至らざるに、崇らは遂に洛陽を拔く。恭靖は執を被り送られ長安に至り、興に見ゆるも拜さず。興は恭靖に謂いて曰く:「朕は將に卿を以て東南の事を任ぜんとせん、可なるか?」と。靖は色を厲して曰く:「吾れ、寜ろ國家が鬼為らん、羌賊が臣為らず!」と。興は怒りて之を別室に囚ず。淮南より已北の諸城の多きは任を送じ降を請う。乃ち東平公の紹を以て都督山東諸軍事、豫州牧と為し、洛陽に鎮ぜしむ。
(十六国56-2_政事)
辛恭靖がやたらとかっこいい。ちなみに今調べたら晋書忠義伝にいた。そうすると今は下手に突っ込んで調べない方がよさそうですが、
それにしても、姚紹につけている官位が面白いです。都督山東諸軍事、豫州牧。旧来の位置関係から言えば洛陽はいわゆる
一つはいわゆる僑州。天下国家は
もう一つは「お前敵の領土分捕れよ、そしたらお前そこのボスってことにしてやるから」的なもの。
姚興がどこまで東に出る意思を持っていたのか、いまのところよくわかんないんですよね。ひとまず洛陽までは抑えたかったのか、それともあくまで橋頭保だったのか。あるいはどちらも、的な感じなのかなー。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます