姚興14 淝水後の東晋
祖父母やその兄弟が
その孫をかばうことを容認した。
降りたことを理由に
自らも王位から降りようとしたが、
姚興はそれを認めなかった。
姚興のもとに亡命してくる。
彼らと姚興は東堂にて接見。
韋華に聞く。
「東晋が開かれて
ずいぶんと時間がたったが、
ここ最近のかの国の政情は
いかなるものか?」
韋華は答える。
「
君臨はしておりますが、
万機を統御だとはとても申せません。
宰輔や執政といった臣下から
好き勝手に政令が発されており、
その実権はもはやかれらのもの。
となれば下々の様子も
似たようなものであります。
刑罰は無駄に過酷でありながら、
その風紀が乱れきっております。
どこを緩めるかという基準が
全く当を得ておりません」
姚興はこの話に大いに喜び、
韋華を中書令に任命した。
興下書聽祖父母昆弟得相容隱。姚緒、姚碩德以興降號,固讓王爵,興弗許。京兆韋華、譙郡夏侯軌、始平龐眺等率襄陽流人一萬叛晉,奔於興。興引見東堂,謂華曰:「晉自南遷,承平已久,今政化風俗何如?」華曰:「晉主雖有南面之尊,無總禦之實,宰輔執政,政出多門,權去公家,遂成習俗,刑網峻急,風俗奢宕。自桓溫、謝安已後,未見寬猛之中。」興大悅,拜華中書令。
興は書を下し祖父母昆弟の相い容隱したるを得んことを聽す。姚緒、姚碩德は興の降號を以て王爵を固讓せど、興は許したる弗し。京兆の韋華、譙郡の夏侯軌、始平の龐眺らは襄陽の流人一萬を率い晉に叛き、興に奔ず。興は東堂にて引見し、華に謂いて曰く:「晉の南遷より平を承くること已に久しかれど、今の政化風俗は何如?」と。華は曰く:「晉主は南面の尊を有したると雖ど、總禦の實無く、宰輔や執政は多門に政出し、權は公家に去り、遂に習俗は成り、刑網は峻急にして風俗は奢宕たり。桓溫、謝安より已後、未だ寬猛の中を見ず」と。興は大いに悅び、華を中書令に拜す。
(晋書117-12_政事)
裏返せば、それだけ「後秦の統治が見事だった」ことになるわけですね。なおここで名が出てくる韋華はその後淮水支流域の城を守るようになり、姚興の死後姚泓の時代に突然南からやってきた天災「劉裕」に、真っ先に降伏します。ネタバレになるけど、もしかしたらその当時の後秦は「寬猛の中」を見なかったのかもしれないですね。
ちなみに冒頭の話は、我々の感覚から言えば「いや違反者をかばうとかアウトだろ」って話にもなるんですが、この辺りはこの時代の家族観からすると、あながちそうとも言い切れないところがあったりするみたいなのが悩ましいところ。ただ自分の解釈で合ってるのかはやや不安なので、どうなんだろうなぁ、とは考えておきたいところです。
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