王永1  運命に抗う   

王永おうえい苻堅ふけんを大いに支えた、

あの王猛おうもうの息子である。

清談、学問を修め、苻堅には

扶風ふふう太守、つまり長安ちょうあんのど近所の

長官とされた。


出来のいい兄に対し、しかし弟の王皮おうひ

乱暴者、狼藉者だった。

375 年、王皮は散騎侍郎とされたが、

謀反を計画。しかしばれる。


ところでこの年は何かというと、

王猛が死んだ年である。

きっとクソ親父、さぞ息子から

ヘイト向けられてたんだろうなぁ。


一方の苻堅、捕らえられた王皮を見て、

なんと、赦免。ただし、追放処分とした。

追放先は北部の外れ。いまで言う北京ペキンの、

さらに北、となるだろうか。

合わせて王永も転属させ、幽州ゆうしゅう刺史とした。


弟を監視しろよ、ということか、

あるいは父の遺命

(絶対苻堅を南征させるなよ、的な)

を受けていた王永を煙たがったか。

まぁ、妄想の余地が大きくて素敵である。


新たな任地で、しかし王永は腐らない。

よく下の世代を撫育し、

そのため人々からの支持を大いに得た。


淝水ひすいで苻堅が惨敗すると、

慕容垂ぼようすい姚萇ようちょうらが次々に独立、

河北は一気にカオスとなる。

その中で王永、あくまで秦の将としての

志を明らかとした。


平州へいしゅう刺史の苻沖ふちゅうと力を合わせ、

幽州平州の兵力で慕容垂に向け、進軍。

一方の慕容垂は配下将の平規へいきを派遣。

迎撃に出させた。


王永も配下将の宋敞そうしょうを繰り出すが、

范陽はんようという場所で惨敗する。

ついには平規に、幽州の治所、

しょう城のすぐ南にまで迫られる。


たまらず王永、自らの後ろを固めていた

匈奴きょうど独狐どっこ部の劉庫仁りゅうこじんに救援を要請。

劉庫仁は妻の兄である公孫希こうそんきを派遣。

騎馬隊三千でもって救援させた。


救援を得た王永、見事にを平規を

打ち破るのだった。




王永,丞相猛子也。清修好學,堅以為扶風太守。其弟皮,凶險無行,建元十一年,為散騎侍郎。謀反事泄,堅以猛故,赦皮不殺,徙置朔方之北,而因以永為幽州刺史。永長於撫字,甚得人心。堅自淮南之敗,垂、萇繼叛亂者四起,而永意氣彌勵,與平州刺史苻沖率二州之眾以討慕容垂,垂遣其將平規迎擊,永遣昌黎太守宋敞逆戰於范陽,敞兵敗績,平規進據薊南。永求救于振威劉庫仁,庫仁遣其妻兄公孫希帥騎三千救之,大破平規於薊南。


王永は丞相の猛の子なり。修めて清く學を好み、堅は以て扶風太守と為す。其の弟の皮は凶險無行にして、建元十一年、散騎侍郎と為るも、謀反の事が泄れ、堅は猛の故したるを以て皮を赦し殺さず、徙し朔方の北に置き,因りて永を以て幽州刺史と為す。永は長ぜるに撫字し,甚だ人心を得る。堅の淮南の敗より、垂、萇は繼いで叛き亂者は四もに起ち、永が意氣は彌いよ勵にして、平州刺史の苻沖と二州の眾を率い以て慕容垂を討ち、垂は其の將の平規を遣りて迎擊す。永は昌黎太守の宋敞を遣わせ范陽にて逆戰せるも、敞が兵は敗績し、平規は進みて薊が南に據す。永は救を振威の劉庫仁に求まば、庫仁は其の妻の兄の公孫希を遣りて騎三千を帥い之を救わしめ、平規を薊の南にて大破す。


(十六国42-22_為人)




いやぁ……「なんで王永がそんな遠くに移されたの?」ってテーマは本当に美味しいですね……(じゅるり)


にしても淝水後の各地情勢が伺えるのは本当に楽しいです。劉庫仁とか、なかなか動き拾いづらいですしねー。

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