釈道安6 臨終
どうか弥勒菩薩が説法しているという、
一応天界と言う事だが、
ここに生まれ変わるのは、輪廻からの
解脱と言う扱いでいいのだろうか?
ともあれ 385 年の 1 月 27 日、
ふらりと貧相な僧侶が現れた。
寺にやってき、泊めてくれ、という。
とは言え、寺はそう広くない。
そこで彼を講堂に通し、
泊めることにした。
その夜、寺院管理人が
宿直していたところ、
この僧が何やら窓から
出入りしているではないか。
管理人、慌てて釈道安に報告。
すると釈道安も慌てて飛び起き、
かれの元に挨拶に向かう。
そして、来訪の意図を尋ねた。
かれは言う。
「そなたのために来たのだよ」
弥勒菩薩の使い、ということか。
だが釈道安、釈然としない。
「い、いえ、しかしながら、
愚僧は解脱するには、
あまりにも罪深い行いを
なしてきたよう思うのです」
いや、じゃあなんで弥勒菩薩の元に
行かせてくれって祈ってんだよ。
おっとうっかり☆
ともあれ、かれは答える。
「そなたに解脱の資格は十分にある。
だが、改めて聖僧を
沐浴させねばならん。
そうすれば、願いは果たされよう」
そう言うと、沐浴の方法を具体的に語る。
釈道安、生まれ変わる時に
どこを目指せばよいのかを問う。
すると彼は北西の空を、手でぱっと払う。
すると、ぱかっと雲が割れ、
その向こうに兜率天の景色が現れる。
この夕方、数十人の僧が、
同じ景色を目撃した、と言っている。
えっそれなんて同調ry
その後釈道安が
沐浴のための道具を揃えていると
見慣れぬ子どもが数十人の供を連れ、
寺にやってき、沐浴を開始した。
その子供こそが、
かれの言う「聖僧」だったのである。
同年2月8日、釈道安、いきなり言う。
「わし、死ぬわ」
この日の儀式が一通り済んだところで、
釈道安、ぽっくり逝った。
城內の五級寺に葬られた。
安每與弟子法遇等,於彌勒前立誓,願生兜率。後至秦建元二十一年正月二十七日,忽有異僧,形甚庸陋。來寺寄宿。寺房既窄,處之講堂。時維那直殿,夜見此僧從窗隙出入,遽以白安,安驚起禮訊,問其來意。答云:「相為而來。」安曰:「自惟罪深,詎可度脫。」彼答云:「甚可度耳,然須更浴聖僧,情願必果。」具示浴法。安請問來生所之處,彼乃以手虛撥天之西北,即見雲開,備睹兜率妙勝之報。爾夕大眾數十人悉皆同見。安後營浴具,見有非常小兒,伴侶數十,來入寺戲。須臾就浴,果是聖應也。至其年二月八日,忽告眾曰:「吾當去矣。」是日齋畢,無疾而卒,葬城內五級寺中。是歲晉太元十年也。
安は弟子の法遇らと彌勒が前にて誓を立ちたる每、兜率に生まるを願う。後に秦の建元二十一年正月二十七日に至り、忽と異僧の形の甚だ庸陋なる有り、寺に來たりて寄宿す。寺房は既に窄く、之を講堂に處す。時に維那の殿に直せるに、夜に此の僧の窗隙より出入せるを見、遽て以て安に白さば、安は驚き起きて禮訊し、其の來たる意を問う。答えて云えらく:「相い為に來たれり」と。安は曰く:「自ら惟うに罪深からば、詎んぞ度脫すべからんか?」と。彼は答えて云えらく:「甚だ度したるべきのみ。然れど更ごもに聖僧を浴したるを須む。情願は必ずや果たされん」と。具さに浴法を示す。安は來生に之處せる所を問わんと請わば、彼は乃ち手を以て天の西北を虛撥し、即ち雲の開けたるを見、兜率の妙勝の報を備睹す。爾の夕、大眾數十人が悉く皆な同じきを見る。安の後に浴具を營みたるに、非常なる小兒有りて數十の侶の伴い、寺に來入し戲れたるを見る。須臾にして浴に就かば、果して是れ聖應なり。其の年の二月八日に至り、忽として眾に告げて曰く:「吾れ、當に去りたらん」と。是の日の齋を畢うるに、疾無くして卒す、城內の五級寺中に葬らる。是の歲、晉の太元十年なり。
(高僧伝5-6_衰亡)
釈道安レベルの僧が白を黒と言ったら、そりゃ多くの人々が黒と言わざるを得ないでしょうねえ、とかいやらしいことは思ってしまうのでした。何と言うか高僧伝って志怪小説と見分けがつかない現象がちょくちょくおきますね。
ここで釈道安の生涯は終わったけど、お話はもうちっとだけ続くんじゃ!
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