釈道安4 南征を諫む2  

苻堅ふけんに対し、釈道安しゃくどうあんは言う。


「陛下は天のみ心に応じて

 世を統べておられる。

 全国からの富は長安に集まり、

 この地にいながらにして全土を従え、

 今求めるべきは、無為の境地にて

 ぎょうしゅんにも比する隆盛を、天下に

 もたらすこと、ではありませぬか。


 にもかかわらず陛下は、百万もの兵で

 しょぼくれた土地を狙っておられる。


 そも、東南の地はせせこましく、

 土地は痩せ、苛烈なる気候。


 また、思い返してみられよ。

 舜やは出先で亡くなられた。

 秦の始皇帝しこうていの例を持ち出してもよい。


 これらから推察するに、

 この小坊主、陛下のお心には

 どうにも賛同致しかねる。


 苻融ふゆう様は頼れるご兄弟、

 石越せきえつ殿は重臣であらせられる。

 おふた方とてありえぬ、と

 申されたのであろう? ならば、

 ますます宜しくはございますまい。


 この小坊主の言葉は、

 どうにも軽く、浅くござる。

 なれば陛下のお心を動かせるとは

 毫にも思えぬのだが、陛下より

 厚く遇して下さった御恩を思えば、

 此度のご出征に対しては、

 言葉を尽くし、お止めしたくござる」


お前までそんなことを言うのか!

苻堅、言葉を返す。


「土地が足りぬだとか、

 民を治められぬとか、

 そのような話ではないのだ!


 朕が願うのは、天意を明らかとし、

 天下を大いなる流れのもとに帰すこと。


 大体、天子は折々に国内を

 巡遊するものであろう?


 確かに貴僧の仰る通り、

 古の聖王は出先で崩ぜられた!

 しかし、だからといって天子は

 巡遊をおやめになったであろうか!」


あぁ、だめだこいつ。

謎の使命感に取り憑かれていやがる。

ならば、と釈道安。代替案を挙げる。


「なれば、陛下。いざ出立されますれば、

 まずは洛陽らくようにて駐屯なさいませ。

 そこで万全の準備をなし、

 陛下の武威を、天下に知らしめるのです。


 そのうえで、建康けんこう

 檄文を発布なされませ。


 これでなおしん人が従わぬのであれば、

 初めて軍を起こす。

 それでも、遅くはござりますまい」


しかし苻堅、この提案にも従わず、

苻融に二十五万の精鋭を与え先鋒に、

自らは六十万の軍を率い、出立。


迎撃に出たのは、ご存知謝玄など。

わざわざ先鋒軍に合流までし、

八公山はちこうさんの西で、開戦。

結果はご存知のとおりである。


ズタボロの前秦軍を、

東晋軍は百キロメートルあまり追撃。

その道すがらでは、

死者が折り重なるような有様だった。


混乱の中、苻融は落馬。

首を切り落とされた。


苻堅はひとりなんとか逃れたものの、

皆から諌められた通りの結果を招き、

涙した、と言われている。




安對曰:「陛下應天御世,有八州之富。居中土而制四海,宜棲神無為,與堯舜比隆。今欲以百萬之師,求厥田下下之上。且東南區地,地卑氣厲,昔舜禹遊而不反,秦皇適而不歸,以貧道觀之,非愚心所同也。平陽公懿戚,石越重臣,並謂不可,猶尚見拒。貧道輕淺,言必不允,既荷厚遇,故盡丹誠耳。」堅曰:「非為地不廣,民不足治也,將簡天心,明大運所在耳。順時巡狩,亦著前典,若如來言,則帝王無省方之文乎?」安曰:「若鑾駕必動,可先幸洛陽,枕威蓄銳,傳檄江南,如其不服,伐之未晚。」堅不從,遣平陽公融等精銳二十五萬為前鋒,堅躬率步騎六十萬。到頃,晉遣征虜將軍謝石、徐州刺史謝玄拒之。堅前軍大潰於八公山西,晉軍逐北三十餘里,死者相枕。融馬倒殞首。堅單騎而遁,如所諫焉。


安は對えて曰く:「陛下が應天の御世、八州の富を有し、中土に居し四海を制し、宜しく棲神無為なるべきこと、,堯舜と隆を比さん。今、欲百萬の師を以て下下の上の厥田を求む。且つ東南は區地にして、地は卑しく氣は厲にして、昔、舜禹は遊びて反らず、秦皇は適し歸らず。貧道は之を觀たるを以て、愚心に同じき所非ざりたるなり。平陽公は懿戚、石越は重臣にして、並べて不可を謂いたらば、猶おも尚お拒を見たらん。貧道は輕淺にして言は必ずや允ならざれど、既に厚遇を荷わば、故に丹誠を盡したるのみ」と。堅は曰く:「地の廣からざるに、民の治むるに足らざるが為に非ず。將に天心に簡わば、大運の所在は明らかなるのみ。時に順い巡狩し、亦た前典に著き、若し來言の如くせば、則ち帝王も省方の文無かりたるや?」と。安は曰く:「若し鑾駕必動せば、先に洛陽に幸いすべし、枕威蓄銳し、江南に檄を傳え、如し其れ服さざらば、之を伐ちても未だ晚からず」と。堅は從わず、平陽公の融ら精銳二十五萬を遣りて前鋒と為さしめ、堅は躬ら步騎六十萬を率う。頃に到り、晉は征虜將軍の謝石、徐州刺史の謝玄を遣りて之を拒ましむ。堅が前軍は八公山が西にて大潰し、晉軍は北三十餘里を逐い、死者は相い枕す。融が馬は倒れ首を殞ず。堅は單騎にて遁れ、諫ぜらる所に如りたる。


(高僧伝5-4_規箴)



なんかなー、淝水が気持ち悪いくらい苻堅の個人的資質に帰されてる感じがあって、どうにも信じきれないんだよなー。そんなきれいな物語が史実にあってたまるかよ、って。いやあるのかもしれないですけど。


とにかく、諫言たちが結果からの逆引きにしか見えないんですよね。反証がない以上受け入れるしかないわけですが……うーん、なんか据わりが良すぎていやだよなぁ、淝水ひすい周りって。

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