釈道安3 南征を諫む1  

後趙こうちょうの旧朝臣を吸収し、

いよいよ前秦ぜんしんは巨大なものとなっていた。

その領域も、東は海にまで及び、

西は龜茲クチャを併呑、南は襄陽じょうよう、北は沙漠さばくまで。

もはや従わないのは、建康けんこうくらいのもの。


苻堅ふけん、側仕えらと話しているとき、

いつも言っていた。

天下統一! 天下統一!

司馬曜しばようは尚書僕射、謝安しゃあんは侍中にするぞ!


当然臣下の反応は、

アホですか勘弁してください、だ。


弟の苻融ふゆうを始め、石越せきえつ原紹げんしょうらが

懸命に説得に当たるも、まるで意味なし。

なので苻融らは、苻堅の信奉を

一心に浴びるひと、

釈道安しゃくどうあんに説得を依頼する。


「あのアホ……じゃなかった陛下は、

 東南の地に争乱を起こそうとしています。

 このままでは民草も巻き込まれてしまう。


 釈道安様、なにか良い手立ては

 ございませんか?」


苻堅が東の庭園に遊びに出る。

このとき苻堅、自らの乗る輿に、

釈道安の同乗を求めた。

これにびっくり、驚くのが権翼けんよく

尚書僕射、つまり司馬曜が配下になると

役職をおん出される人ですね☆


「私めは聞いております、天子の御車には

 侍中のごとき、見目麗しきものが

 乗るべきである、と。


 しかるに、釈道安!

 かの者は剃髪により、

 身を損ねております!

 やつなぞ、厠の前にでも

 控えさせておればよろしいのです!」


えっ。

まさか権翼さんが、そんな露骨な地雷を

自分から踏みに行くお方だったなんて。


当然のよーに苻堅サマ、激怒である。


「釈道安殿の徳は敬服に値する!

 この気持ちは、朕が仮に

 天下を得たとて変わりはせぬ!


 むしろ朕に同乗していただいたとて、

 それでもなお釈道安殿の徳を称えるには

 足りておらぬのだ!」


そう言うと、釈道安を

「僕射」に支えさせ、車にあげさせた。

えっ、この僕射、さすがに権翼さんとは

別人ですよね……?


同乗した釈道安に対し、

苻堅は意気揚々と、言う。


「釈道安殿。朕はそなたと共に

 現・東晋の地を行遊し、

 また軍備を整え、かの地にて

 狩りをして巡り、その果てには

 風光明媚の地として知られる、

 会稽からの海の眺めを、

 ともに味わいたいと思っているのだよ。


 どうだ、心躍らぬかね?」


曹操そうそうかお前は。ともあれ釈道安、

このお誘いに対し、口を開く。

待て次回!




初堅承石氏之亂,至是民戶殷富,四方略定,東極滄海,西併龜茲,南苞襄陽,北盡沙漠。唯建鄴一隅,未能抗伏。堅每與侍臣談話,未嘗不欲平一江左,以晉帝為僕射,謝安為侍中。堅弟平陽公融及朝臣石越、原紹等,並切諫,終不能迴。眾以安為堅所信敬,乃共請曰:「主上將有事東南,公何不為蒼生致一言耶?」會堅出東苑,命安升輦同載,僕射權翼諫曰:「臣聞天子法駕,侍中陪乘,道安毀形,寧可參廁。」堅勃然作色曰:「安公道德可尊,朕以天下不易,輿輦之榮,未稱其德。」即敕僕射扶安登輦。俄而顧謂安曰:「朕將與公南遊吳越,整六師而巡狩,涉會稽以觀滄海,不亦樂乎。」


初、堅の石氏の亂を承くるに、是に至りて民戶は殷富、四方は略ぼ定まり、東は滄海に極み、西は龜茲を併せ、南は襄陽を苞じ、北は沙漠に盡く。唯だ建鄴の一隅、未だ抗伏能わず。堅は侍臣と談話せる每、未だ嘗て江左を平一せるを欲さざるなく、晉帝を以て僕射と為し、謝安を侍中と為さんとす。堅が弟の平陽公の融、及び朝臣の石越、原紹らは並べて切に諫ぜど、終に迴る能わず。眾は安の堅信敬さる所為るを以て、乃ち共に請うて曰く:「主上は將に東南に事有らしめんとす、公は何ぞ蒼生が為に一言を致したらざらんや?」と。堅の東苑に出づるに會し、安に命じ同載に升輦せしめんとせば、僕射の權翼は諫めて曰く:「臣は聞く、天子の法駕は、侍中を陪乘すべしと。道安は形を毀たば、寧ろ廁に參ぜしむべし」と。堅は勃然と色を作して曰く:「安公が道德は尊ぶべし、朕は天下の易からざるを以て輿輦の榮、未だ其の德を稱えざらん」と。即ち僕射に敕し安を扶し輦に登らしむ。俄にして顧みて安に謂いて曰く:「朕は將に公と吳越に南遊し、六師を整え巡狩し、會稽に涉りて以て滄海を觀たらん、亦た樂しからずや?」と。


(高僧伝5-3_規箴)





この辺、妙に苻堅は意固地なんですよねぇ。相変わらず自分の支配権の正当性の低さに怯えてたんでしょうかね。だからこそ天下統一という未曾有の大功に、病的にこだわり続けた。そのときに求めたお題目が光武帝だった、とかなのかしら。


まぁ、なんにせよ苻融以下の皆様におかれましては、心底お疲れ様でございます……。



なお十六国春秋は、このシーンにプラスアルファの情報をのっけてます。苻堅が釈道安を輿に乗せるよう命じた僕射は、やはり権翼のようなのでした。「命翼扶安上輦。於是翼跽、而掖之」。おい権翼、釈道安さまを輿にあげーやと命じられ、権翼さん、ひざまずいて釈道安を手助けしましたよ、とのこと。ここで「跽」って字を使ってる辺り、権翼さんの苛立ち、ムカつきを暗喩してる感じがあってよいですね。っつーか権翼さん、よく淝水後も苻堅に仕えたもんだよ……。

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