釈道安1 埒外の暗誦力  

釈道安しゃくどうあん。もとの姓はえい

十六国春秋では説を唱えている。

常山じょうざん扶柳ふりゅう県の人だ。

家は代々優れた儒家であった。

幼い頃から知的資質を養っていたのだろう。


とはいえ、両親が早世。

そのため親族のこう氏に養われた。

七歲で読書を開始、二度読めば

大体の本は暗誦できた。

近隣の人々はその異能に感嘆していた。


十二歳で出家。天才ではあったが、

しょぼくれた外見であったため

師匠からはまるで重んじられず、

三年ほど野良仕事に出された。

ただし働き方は極めて真面目、

嫌な顔一つ浮かべることはなかった。

その上で、諸法事への参加も

欠かすことがなかった。


更に数年、初めて釈道安、師匠に

経典を授けてください、と申し出る。


そこで師匠は五千文字ほどの経典、

弁意経べんいきょう」を釈道安に授けた。

日本語に直せば二万文字くらいの

ボリュームだろうか。

「学術論文」での二万文字である。

割とキツイ。


釈道安、そのお経を持って田畑に行く。

そして休憩のごとに読み、

夕方に寺に戻ると、お経を返却。

更に新しいお経を求める。


「は? 道安お前、まださっきのお経

 まともに読んでないでしょ?

 なのにもう一巻よこせって?」


「いえ、もう暗記しました」


マ? お師匠ビビる。

が、はいそうですかとは信じられない。

ともあれお試しの意味も込め、今度は

成具光明経せいぐこうみょうきょう」、一万字弱のものを。


釈道安、そのお経も

やはり外働きの合間に通覧。

そしてやはり、夜には返却しに来た。


いやいや、まさかまさか。

師匠、返ってきたお経を開き、

いくつかの場所を隠し、聞く。

ここにはなんと書いてある?

と言うわけだ。


釈道安、どこを隠されようが、

一文字も間違えずに答えた。

何だこいつ、やべえ!

お師匠、釈道安に驚嘆。

そして大いに敬服するのだった。




釋道安,姓衛氏,常山扶柳人也。家世英儒,早失覆蔭,為外兄孔氏所養。年七歲讀書,再覽能誦,鄉鄰嗟異。至年十二出家。神性聰敏,而形貌甚陋,不為師之所重。驅役田舍,至于三年,執勤就勞,曾無怨色,篤性精進,齋戒無闕。數歲之後,方啟師求經,師與『辯意經』一卷,可五千言。安齎經入田,因息就覽,暮歸。以經還師,更求餘者,師曰:「昨經未讀,今復求耶?」答曰:「即已闇誦。」師雖異之,而未信也。復與『成具光明經』一卷,減一萬言,齎之如初,暮復還師。師執經覆之,不差一字,師大驚嗟而敬異之。


釋道安、姓は衛氏、常山の扶柳の人なり。家は世の英儒にして、早きに覆蔭を失い、外兄の孔氏に養わる所と為る。年七歲にして讀書し、再覽せば能く誦じ、鄉鄰は異なるに嗟す。年十二に至りて出家す。神性聰敏なれど形貌は甚だ陋なれば、師に重んぜらる所為らず。田舍に驅役せること三年に至り、勤を執り勞に就き、曾て怨色無く、篤性精進にして、齋戒に闕無し。數歲の後、方に師に啟かれ經を求め、師は「辯意經」一卷、五千言なるべくを與う。安は齎經入田し、息むに因りて覽に就き、暮に歸る。經を以て師に還じ、更に餘を求めたらば、師は曰く:「昨の經を未だ讀まざるに、今復た求めたりしや?」と。答えて曰く:「即已にて闇誦す」と。師は之を異としたりと雖ど、未だ信じざるなり。復た「成具光明經」一卷、一萬言に減ぜるを與う。之を齎すこと初の如くせば、暮に復た師に還ず。師は經を執りて之を覆わば、一字の差なく、師は大い驚き嗟し之を敬異す。


(高僧伝5-1_文学)




この当時に活躍した僧の中では、トップクラスの存在と言ってよいのでしょう。釈道安、苻堅ふけんに「いやあんた南征とかやめなさいよ」って説得を試みた一人です。儒家の生まれだったんですねー。かんという儒の大木がへし折れて一世紀あまり、両親の死も、また仏への帰依に大きく影響したんでしょうか。


大僧侶なだけあって、このあとも長々と活躍が綴られます。が、当作ではダイジェストにてご紹介。次話は淝水ひすい前の説得までのあらすじを。

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