徐義   厳しき救い手  

徐義じょぎ髙陸こうりく人。一説には咸陽かんようの人とも。

苻堅ふけんに仕え、征東參軍に。

東部方面軍総司令部に所属した、

と書くと分かりやすいだろうか。


東方の軍と言えば、最大のものが

苻丕ふひの治めるぎょうの軍だろう。

そこで苻丕との縁があったようで、

苻丕が皇帝即位を宣言すると、

吏部尚書となり、県公に封爵された。

人事権を抑えた大幹部である。


さらには右光祿大夫、侍中、司空に。

直後、右丞相にも任命された

人手不足感が、いえ何でもありません。


徐義、若い頃から仏教徒だった。

慕容永ぼようえいが関東に抜けてきたところで

苻丕軍と衝突、ここで苻丕軍は大敗。

徐義も慕容永に捕まった。


手枷に足枷、髪の毛は木に結ばれる。

逃げようがない。

そして翌朝には、処刑執行。


その夜、徐義はひたすら觀世音經を唱えた。

すると、いつの間に寝ていたのか。

夢枕に、何者かが立つ。


「今、事態は急転している。

 そなたは何を寝こけているのだ?」


厳しい! 厳しいよ夢のひと!

ともあれ目覚めると、見張りたちも

よほど疲れたのか、寝こけていた。


徐義が試みに手を振ってみると、

がこり、と手かせが外れた。

だいぶ頑丈であったはずなのだが。


しかも髪は解けているし、

足枷も、少しずらしたら外れた。

なので、逃走開始。


百歩あまりのところで、

誰かが先導してくれているかのような

気配を得る。


一度草むらに隠れ、

追跡の兵らをやり過ごす。

彼らがすでに遠くに去り、

明かりもなくなったところに、

ひとつだけ、かすかな明かりが現れた。

徐義、その明かりに従い、

遂に脱出に成功。鄴の仏寺に逃げ込んだ。


その後徐義は東晋とうしん雍州ようしゅうに入る。

雍州刺史であった楊佺期ようせんきは、

徐義を洛陽らくよう令に任命した。




徐義、髙陸人。一云、咸陽人。初仕堅征東參軍。丕嗣位、進為吏部尚書、封縣公。尋加右光祿大夫、侍中、司空。俄拜右丞相。義少奉佛法、時兵革蜂起、為慕容永所獲、乃械捏其兩足、編髪於樹。將加刑戮、至夜、義專念觀世音經。有頃、忽夢人謂之曰:「今、事急矣。何暇眠乎?」義便驚起、見防守者並疲而寢、乃試自奮動手、忽開裂械於重禁之中。髪既得解、足亦得脫、而走。百餘歩、若有人導之者。遂隱草中、聞追兵交馳、秉燭悉無見者迨明。賊散、義歸投鄴寺、得免於難因、奔楊佺期。佺期以為洛陽令。


徐義、髙陸人。一に咸陽人と云う。初に堅に仕え征東參軍たる。丕の位を嗣げるに、進みて吏部尚書と為り、縣公に封ぜらる。尋いで右光祿大夫、侍中、司空を加えらる。俄に右丞相を拜す。義は少きより佛法を奉じ、時に兵革の蜂起せるに、慕容永に獲わる所と為り、乃ち械に其の兩足を捏ぜられ、髪を樹に編まる。將に刑戮を加えられんとせるに、夜に至り、義は觀世音經を專念す。頃有りて、忽ち夢の人は之に謂いて曰く:「今、事は急たり。何ぞ眠りたる暇あらんか?」と。義は便ち驚き起き、防守者の並べて疲れ寢たるを見、乃ち自ら手を奮動せるを試みらば、忽ち械は重禁の中にて開裂す。髪は既に解けたるを得、足は亦た脫せるを得たらば走ず。百餘歩にして人の之を導かんとせる者の有りたるが若し。遂に草中に隱れ、追兵の交馳せるを聞き、燭の悉く無き者に明の迨れるに秉ず。賊の散ぜるに、義は鄴が寺に歸投し、難因より免るるを得、楊佺期に奔る。佺期は以て洛陽令と為す。


(十六国42-18_術解)




このひと、掘るときっともっといろんなエピソードがあるんでしょうねえ。まあ散逸してるでしょうけど。

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