僧朗2  王に認められる徳

苻堅ふけん僧朗そうろうの純朴なる徳高さを貴び、

何度か召喚をしたが、

高齢病身を理由に辞退されていた。

そこでこまめに使者をやり、

寄進をなしていた。


のちに苻堅が仏僧らを弾圧。

このとき、別に司令が出ている。


「僧朗法師の戒律に従われる様は純白、

 弟子たちも清廉にして優秀。

 崑崙山こんろんさんについては対象外とする」


よほど他の寺がやばかったのか、それとも。

おっとっと、死人に口無し、死人に口無し。


後秦こうしん姚興ようこうもまた僧朗に感嘆しており、

南燕なんえん慕容德ぼようとくも僧朗の行いを讃え、

二県ぶんの租稅に相当する寄進を行った。

ときの権力者の誰も彼もが、

僧朗を重んじていたわけである。



僧朗が住んでいる金輿谷きんよこくは、

もともと虎がよく人を襲っていた。

なので人々は錫杖を携え、

グループで行動する必要があった。


しかし僧朗が住むようになってから、

虎を始めとした猛獣はなりを潜め、

聖俗まじえた人々の日夜の往来に、

一切の滞りがなくなった。


なので地元民らは僧朗に大感激。

その偉業を称えるため、今でも金輿谷を

朗公谷ろうこうこくと呼ぶ人は多い。



ところで僧朗、離れた地の泥棒を

見出すよーな異能の持ち主である。

これを用いると、何ができるか。


僧朗のもとに訪問しようとする人が

到着まであと一日、といったあたりで

その存在、および人数を察知する。


弟子たちに客人を迎える料理を

人数分用意させれば、

その予測はドンピシャリ。

ほえー、何なんすか師匠の鷹の目。

弟子たちは皆驚嘆した。


やがて僧朗、崑崙山中で死んだ。

85 歳だった。




秦主符堅欽其德素,遣使䞋遺。堅後沙汰眾僧,乃別詔曰:「朗法師戒德冰霜,學徒清秀,崑崙一山,不在搜例。」及後秦姚興,亦佳歎重。燕主慕容德欽朗名行,給以二縣租稅,其為時人所敬如此。此谷中舊多虎災,人常執仗結群而行,及朗居之,猛獸歸伏,晨行夜往,道俗無滯,百姓咨嗟,稱善無極,故奉高人至今猶呼金輿谷為朗公谷也。凡有來詣朗者,人數多少,未至一日,輒已逆知。使弟子為具飲食,必如言果至,莫不歎其有預見之明矣。後卒於山中。春秋八十有五。


秦主符堅は其の德の素なるを欽じ、使を遣わせ䞋遺せしむ。堅の後に眾僧を沙汰せるに、乃ち別に詔じて曰く:「朗法師が戒德は冰霜、學徒は清秀なれば、崑崙の一山は搜の例に在らず」と。後秦の姚興に及び、亦た佳歎さること重し。燕主の慕容德は朗が名行を欽じ、二縣の租稅を以て給す。其の時人に敬さる所と為るは此くの如し。此の谷中は舊とは虎災多かれど、人常に仗を執り群を結びて行き、朗の之に居せるに及ばば、猛獸は歸伏し、晨に行きて夜に往く道俗に滯る無く、百姓は咨嗟し、善なるを稱うること極むる無く、故に高人を奉じ今に至りても猶お金輿谷を朗公谷と呼び為るなり。凡そ來たりて朗を詣でたる者有らば、人數の多少を、未だ一日に至らずして、輒ち已に逆に知る。弟子をして具さに飲食を為さしまば、必ずや言の如きが果して至り、其の預見の明を有せるに歎ぜざる莫し。後に山中にて卒す。春秋八十に五を有す。


(高僧伝5-27_術解)




これだけときの権力者に繋がられてると、本当に清廉なお坊さんだったの? とは疑いたくもなってきてしまいますね。高僧伝には乗ってないけど、拓跋珪とか東晋孝武帝、司馬曜とかも寄進をしてきたらしいんですよ。あとは慕容垂。


まぁたぶん、このへんは地理が大きく関係しているとは思うんですがね。なにせ僧朗がいた泰山は、古来より封禅の儀式が執り行われた地。つまり天に向かって、ときの支配者が「ワイが天下を泰平に導きましたやデ! ドヤァ!」ってイキる場所です。ここを抑える仏僧には、当然多くの支配者からのラブコールが届きます。……うっわー、そう考えるとホント生臭いなこの人。


つうか、こんな中国古来の神話に関わるようなところを仏教に抑えられちゃってんの!? 儒のひとらなにやってたの!?



さておき、こちらが十六国春秋の原文。苻堅の招聘文、僧朗の返答、この辺も訳せると面白いんですけどねえ。


僧朗、京兆人。少事佛圖澄碩學、淵通尤明氣緯。秦皇始元年、移卜泰山隱於金輿谷之昆崙山中。因謂之朗公谷。與隱士張忠為林下之契、每共逰處忠、常穴居而朗居崑崙。大起殿舍連樓迭閣、雖素飾不同、並以靜外致稱。堅欽其德素、遣賜襯遺并致書曰:「皇帝敬問泰山朗和尚。大聖應期、靈權超逸。蔭蓋十方、化融無外。若四海之養群生、等天地之育萬物。養生存死、澄神寂妙。朕以虛薄生、與聖會。而隔以萬機不獲輦駕。今遣使者、安車相請。應冀靈光逈蓋京邑。并奉紫金數斤供度形像、繢綾三十疋、奴子三人、可備灑掃。至人無違、幸望相納。想必玄鑒見朕意焉。」既請已師禮事之。朗答書於堅曰:「如來永世道風、濳淪忝在。出家棲心、山嶺精誠。微薄未能、弘匠不悟。陛下遠問山川、詔命殷勤、實感恩旨、氣力微虛、未堪跋渉。願廣開法輪、顯保天祚。蒙重惠賜、即為設施、福力之功、無不蒙頼。貧道才劣、不勝所重。」堅復敦請再三既至、遂以師禮事之堅。後沙汰眾僧乃別詔曰:「朗法師戒德氷霜、學徒清秀、昆崙一山、不在搜例。」慕容垂、慕容德、並皆致禮。及姚秦時、興復遣使遺書曰:「皇帝敬問、泰山朗和尚。勤神履道、飛聲映世。休聞遠振、常無己巳。朕京西夏、思濟大猷。今關中未平事、唯左右已命、元戎克寧。伊洛冀因斯會東封、巡狩憑靈仗威湏、見指授。今遣使者送金浮屠三級經一部、寳臺一區、庻望玄鑒照朕意焉。垂、及德、亦各有書與朗、見垂傳建興四年、及德傳二年。



あと、他の諸皇帝らからの書簡は、こちらに乗ってました。うーん、知恵熱が出る、ぞっ☆


https://guo000yuan.pixnet.net/blog/post/165454512




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