僧朗1  盗賊を見破る  

僧朗そうろう京兆けいちょう郡の人だ。都会モンである。

若い頃から布教に精を出し、

長安ちょうあんにまで留学して学ぶ。

そこでは仏法の講釈にあたったと言う。


ある時、同志数人とともに出かける。

すると僧朗、にわかに足を止める。


「そなたらの寺に、どうも

 法衣を狙う者が来ていそうだぞ」


え、どゆこと?

よく分からないが、皆で引き返す。

するとどうだ、本当に泥棒が

寺を伺っていたではないか。


これによって、彼らは法衣を

盗まれずに済むのだった。


僧朗は常に粗食、粗末な衣をまとい、

それでいて常に志は遥か彼方を望んでいた。


351 年、時期としては苻堅ふけんの伯父、苻健ふけん

皇帝位についた、と宣言した頃。

僧朗は泰山たいざんに移り、隠者の張忠ちょうちゅう

友誼の交わりを交わした。


その張忠はのちに苻堅より召喚を受け、

長安に向かう途中、華陰山かいんさんの麓で死亡。


友を失った僧朗、金輿谷きんよこく崑崙山こんろんさんの中に

精舍を新しく建立。

ちなみにこれは泰山の西北に

ある山なのだそうだ。


険峻な高峰に抱かれたその精舎は、

見事な河川、渓谷の眺望をもたらす。

僧朗はひとつの個室に、

この眺望を見渡せるようにした。


自然の美の極みを目の当たりとできる

数十あまりの建物を抱えたその精舎は、

多くの人々がその評判を聞きつけ、

訪問してきた。


僧朗は彼らを歓待した。

その精勤ぶりにおいて、

まるで疲れを見せなかった。




僧朗,京兆人也。少而遊方,問道長安,還關中,專當講說。嘗與數人同共赴請,行至中途,忽告同輩曰:「君等寺中衣物,似有竊者。」如言即反,果有盜焉,由其相語,故得無失。朗常蔬食布衣,志耽人外。以偽秦皇始元年移卜太山,與隱士張忠為林下之契,每共遊處。忠後為符堅所徵,行至華陰山而卒。朗乃於金輿谷崑崙山中別立精舍,猶是太山西北之一岩也。峰岫高險,水石宏壯。朗創築房室,製窮山美,內外屋宇數十餘區。聞風而造者,百餘人,朗孜孜訓誘,勞不告倦。


僧朗、京兆人なり。少きに遊方し、道を長安に問い、關中に還じ、專ら講說に當る。嘗て數人と同共し赴請せるに、行きて中途に至り、忽ち同輩に告げて曰く:「君らが寺中の衣物に竊いたる者有るに似たり」と。言の如くして即ち反ざば、果して盜有らば、其の相語の由にて、故に失無きを得る。朗は常に食に蔬、布衣にて、志は人外を耽む。偽秦の皇始元年を以て卜太山に移り、隱士の張忠と林下の契を為し、每に共に遊處す。忠は後に符堅に徵ぜらる所と為り、行きて華陰山に至り卒す。朗は乃ち金輿谷の崑崙山中に精舍を別に立て、猶お是れ太山の西北の一岩なり。峰岫高險にして水石は宏壯なり。朗は房室を創築し、山美の窮を製し、內外の屋宇は數十餘區なり。風を聞き造る者百餘人ありて、朗は孜孜と訓誘し、勞うに倦むを告げず。


(高僧伝5-26_術解)




十六国春秋には、これと別の内容が載ってるんですが、難しすぎたので諦めました……ここにあるのは、まるまる高僧伝。高僧伝は岩波文庫でまるまる訳出されてるから、まだ楽なのです。訓読はないから、自分でやるしかないんですけどね。


ちなみにこの辺の話は水経注八にも記述があるそうで。


有沙門竺僧朗,少事佛圖澄,碩學淵通,尤明氣緯,隱于此谷,因謂之朗公谷。故車頻秦書云:苻堅時,沙門竺僧朗嘗從隱士張巨和遊,巨和常穴居,而朗居琨瑞山,大起殿舍,連樓累閣,雖素飾不同,竝以靜外致稱,即此谷也。水亦謂之琨瑞水也。


水経注は五胡十六国覇史輯佚からの拾い上げならできないこともないので、やるとしたら類書の前かな。高僧伝、水経注、初学記、芸文類聚、の順で行くか。大平御覧は、言うてやや時代が下るし、その後に掘りましょう。

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