曇邕1 疑惑の高僧
關中の人間だ、という説もある。
いやねーだろ。
というのも順番がずれているが、
かれの最終官位は衛将軍、
そこまで立身していたら、
逆にびっくりである。
貧乏ぐらしの中でも学問に励んでおり、
ちょうど曇邕が薪を集め、火をともし、
それを明かりにして
読書に励むさまを目撃した。
なのでその僧は曇邕に対し、
自らの持ち合わせる衣類、食料を
曇邕に分け与えたのだという。
「分け与えた」のですね(意味深)
やがて前秦に仕えると、
衛將軍にまでの大出世。
いや、それ才覚だけじゃ
どうにもなりませんから!
その身長は 190 cm 弱、
武才は人並外れていた。
383 年に
生きて長安までは戻る。
そこで、家族を捨てて出家した。
曇邕、本姓楊、略陽氐人也。一雲、關中人。居貧篤學、遇髙陽僧、富見其採薪為燭以照讀書、遂資其衣食邕。後仕秦為衛將軍。形長八尺、雄武過人。建元十九年、從堅南徵、為晉所敗。還至長安、遂舍族出家。
曇邕、本姓は楊。略陽の氐人なり。一に關中人と雲う。貧に居せるも學に篤く、髙陽の僧に遇い、富に其の薪を採りて燭を為し以て照りとし讀書せるに見え、遂に其の衣食を邕に資す。後に秦に仕え衛將軍と為る。形は長く八尺、雄武は人に過ぐ。建元十九年、堅が南徵に從い、晉に敗せる所と為る。還じ長安に至らば、遂に族を舍て出家す。
(十六国42-16_為人)
すごい、何だこの人の「これ以上書いたらいろいろボロが出てきそう」感……最初の僧のエピソードからして「お前○して強奪してねえか?」感満載だし、衛将軍なんてドエレー官位にまで至ってるのに扱い軽いし、出家後の功績も何一つ残ってない。おいおい……
と言おうと思ったら、ここで終わってんのに理由がありました。「出家後
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