法喜 西に消える
ダルマナンダ、法名は
現在で言うアフガニスタン北部の人だ。
歯が抜け替わる時には出家をし、
その聡明さで多くの経典に対する
注釈を残した。
隅から隅まで精通し、
パーリ語で書かれた経典『
アングッタラ・ニカーヤを暗誦。
その博識強聞ぶりと来たら、
知らないことは何もない、という勢い。
なので国内の誰もが、かれに感服した。
若い頃から各地を漫遊し、
仏法をあまねく広めるためには、
これまでその教えに接したことのない
地域のひとに布教が必要と考え、
どんなに遠くとも、
たとえ流砂が足を取ろうとも、
布教の志を胸に抱いて東に赴き、
学業が優れているのはもちろんのこと、
僧としての名声がすごい。
なので苻堅もかれを懇ろにもてなした。
ダルマナンダ以前、関中には四阿含、
すなわち増一、中、長、雑の四経典が
揃っていなかった。
なので
四阿含を訳してもらいたい、と考えた。
そこに、
長安周辺は大騒乱の只中に。
そのような中でも趙整さん、
仏典漢語訳の充実に燃える。
そのためにはこの命失っても惜しくない、
くらいの意気込みであった。
長安城内に
学僧らとともに招集。指導役とさせ、
中および增一の二阿含を訳出させた。
それより前に訳出された
『
およそ 106 巻がこのときに訳された。
夏から春にかけ、およそ二年。
ようやく一通りの経典が揃う。
が、間もなく慕容沖の長安陥落、
そして
人々は離散し、ダルマナンダもまた
争乱を厭い、西方に脱出。
その後のことを知るものはいない。
法喜、兜佉勒人。齠年離俗、聰慧夙成、研諷經典、專精致業。遍通三藏、暗誦『增一阿含難經』、博識洽聞、靡所不綜。國內遠近、咸所推服。少而遍逰諸國、嘗謂弘法之體、宜宣布未聞、故遠渉流沙、懐道東入、秦建元中、來至長安。學業既優、道聲甚盛。堅深見禮接。先是、中土未有四含。堅武威太守趙整欲請出經。時慕容沖已叛起兵、擊堅。關中擾動、整慕法情深、忘身為道、乃請安公等、於長安城中、集義學僧、請法喜譯出『中』、『增一』二『阿含』、并先所出『毗曇心』、『三法度』等、凢一百六卷。佛念傳譯、惠嵩筆受、自夏及春、綿延二載、文字方具。及姚萇宼逼關內、人情危阻、法喜乃辭還西域。不知所終。
法喜、兜佉勒人。齠年にして俗を離れ、聰慧夙成、經典を研諷し、專ら業を致すに精なり。三藏に遍通し、『增一阿含難經』を暗誦し、博識洽聞にして、靡に綜せざる所なり。國內の遠近、咸な推服せる所なり。少きに諸國を遍逰し、嘗て弘法の體を謂い、宜しく未だ聞かざるを宣布し、故に遠渉流沙、道を懐きて東に入り、秦の建元中、長安に來たり至る。學業は既に優れ、道聲は甚だ盛んなり。堅は深く禮接を見る。是の先、中土は未だ『四含』を有さず。堅の武威太守の趙整は出經を請うを欲す。時に慕容沖は已に叛じ起兵し、堅を擊つ。關中は擾動し、整の法を慕いたるの情は深く、忘身し道を為さんとし、乃ち安公らに請い、長安城中にて學僧を集義し、法喜に請うて『中』、『增一』、二『阿含』、并先所出『毗曇心』、『三法度』等、凢そ一百六卷を譯出せしむ。佛念の傳譯せるに、惠嵩は筆を受け、夏より春に及び、二載に綿延し、文字は方に具さたる。姚萇の關內を宼逼せるに及び、人情は危阻され、法喜は乃ち辭して西域に還ず。終なる所を知らず。
(十六国42-15_文学)
十六国春秋佚文集ということで、内容はまるっきり梁代に編纂された僧侶たちの伝記集「高僧伝」です。体裁整えるためにやや変更が加えられてますけど。ちなみに高僧伝だとダルマナンダがメイン、趙整がおまけという扱いでした。このあたり、聖と俗とが書によって逆転している
感じがあり、良いですね。
高僧伝がポスト淝水をどのように描くのか、楽しみです。
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