苻登1 苻堅の従孫
苻登、字は
父は
太尉司馬、隴東太守、建節將軍だったが、
苻堅がクーデターをなした際に
右將軍、涼州刺史を追贈された。
この官位は、兄の
更に
一方の、苻登だ。
若い頃から豪傑で、雑。
細やかさとは縁遠い人物であったため、
苻堅からはさほど重視されていなかった。
ただし成長するに従って礼儀作法を修め、
広く読書をなした。
その後殿上將軍とされ、間もなくして
羽林監、揚武將軍、
とある事件の監督責任を問われ降格、
苻堅が敗れ、
狄道県を脱け、兄のいる毛興の元に。
弟と合流すると、苻同成はさっそく
毛興に「うちの弟すごいですよ!」と、
副官に取り立てさせた。
戦時には常に、毛興の側にあった。
苻登は群れるのを好まず、
そのため繰り出す策略は
奇策に頼ったものが多かった。
そんな苻登に対し、苻同成は言う。
「聞けばお前は
自分の職務に収まらず、
そのせいで部下を放置し、
まったく足並みを
あわせようとせんそうではないか。
そのせいで、諸参謀がたから
嫌われているのだそうだな。
お前が嫌いで言うつもりはない。
今はただ、お前がどうでもいいような
人々からの誤解に巻き込まれるのが
勿体無いので、敢えて言う。
今はお前本来の動きを慎むように。
どうせ地位がお前を放っておかん。
いざしかるべき地位に立ち、
初めて好きに振る舞えばよい」
人々はみな苻登を憚っていたので、
そのように苻同成が説得したと聞き、
かれが苻登を患い、抑えつけようと
しているのだ、と考えた。
登字文高,堅之族孫也。父敞,健之世為太尉司馬、隴東太守、建節將軍,後為苻生所殺。堅即偽位,追贈右將軍、涼州刺史,以登兄同成嗣。毛興之鎮上邽,以為長史。登少而雄勇,有壯氣,粗險不修細行,故堅弗之奇也。長而折節謹厚,頗覽書傳。拜殿上將軍,稍遷羽林監、揚武將軍、長安令,坐事黜為狄道長。及關中亂,去縣歸毛興。同成言於興,請以登為司馬,常在營部。登度量不群,好為奇略,同成常謂之曰:「汝聞不在其位,不謀其政,無數幹時,將為博識者不許。吾非疾汝,恐或不喜人妄豫耳,自是可止。汝後得政,自可專意。」時人聞同成言,多以為疾登而抑蔽之。
登は字を文高、堅の族孫なり。父は敞、健の世に太尉司馬、隴東太守、建節將軍と為るも、後に苻生に殺さる所と為る。堅の偽位に即きたるに、右將軍、涼州刺史を追贈され、登が兄の同成を以て嗣がしむ。毛興の上邽に鎮ぜるに、以て長史と為す。登は少きより雄勇にして壯氣を有し、粗險にして細行を修めざれば、故に堅に之を奇とせる弗きなり。長ぜるに折節謹厚にして、頗る書傳を覽む。殿上將軍を拜し、稍やして羽林監、揚武將軍、長安令に遷り、事に坐し黜され狄道長と為る。關中の亂るるに及び、縣を去りて毛興に歸す。同成は興に言いて、請うて登を以て司馬と為し、常に營部に在り。登が度量は群れず、奇略を為すを好まば、同成は常に之に謂いて曰く:「汝、其の位に在らず、其の政を謀らずと聞きたらん。幹を數うる無かりたる時、將に博識者の許さらざるを為さん。吾れ、汝を疾みたるに非ざれど、或いは人の妄豫に喜ばざるのみを恐る。是れより止むべし。汝は後に政を得たらば、自ら意を專まとすべし」と。時の人は同成が言を聞き、多きは登を疾み之を蔽抑せんと以為う。
(晋書115-12_直剛)
初めは好き勝手に振る舞う武人(ただし個人レベルで上げる功績は抜群)という感じだったんでしょうかね。死ぬほど使いづらそうな武将だなおい。まぁ、将軍の器じゃなくて将帥の器だった、ということなのかな。
実際にその辺りがどう戦局に影響を及ぼすのか。一時期姚萇を追い込んだけどその後攻め滅ぼされた、とは聞いていますが、ではそこにどんな物語があるのか。
とりあえず苻同成の言い回しが難しすぎて泣いた。
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