死なせない程度の呪い

海原くらら

新月の夜

 夜闇に紛れて、小舟が港のはずれに流れ着いた。

 ただ一人の乗員、頭からボロ布をかぶった人影が岸に向かってロープを投げる。

 船を固定したボロ布の人影は、近くに建つ倉庫へと歩いて行った。


 倉庫の門前に立つフードで顔を隠した男が、ボロ布の人影を手招きする。


「こっちだ。中に入れ」


 二人の人影は倉庫の中に入り、扉が閉められた。

 フードの男は、暗闇の中で一か所だけ明かりのともされたテーブルにつくと、ボロ布の男を見上げた。


「お前が『宝石商』か」

「ええ。あなたが今回の依頼人ですね」

「そうだ」


 宝石商と呼ばれた者は、身にまとっているボロ布を外した。


「また大げさなものをつけてるな」


 フードの男がつぶやく。

 宝石商は、顔面すべてを隠す黒い石の仮面をかぶっていた。


「扱っている商品が商品ですので。あなたこそ、顔を隠さないのですか?」

「かまわない。それより物を出せ」


 肩をすくめた宝石商は、懐から布袋を取り出してテーブルの上に置き、袋の口を開ける。

 そこには、ひとつの腕輪があった。

 腕輪の中央には、板状に加工された紫色のクリスタルが埋め込まれている。クリスタルの内部には煙のようなものがゆっくりと動いており、明かりにかざすと不規則に乱反射した光が腕輪全体を光らせる。


「こちらが、ご注文の品ですね。人の身体の自由を奪い取るという」

「悪趣味だな」

「それはもう。呪いの品ですから」


 宝石商は小さく笑うと、腕輪のクリスタルを指さした。


「使い方は簡単。呪いたい相手の近くで、その紫の部分を砕き割るだけです。この大きさなら、踏みつぶすのがやりやすいでしょう。そうすれば、そこにこめられた恨み憎しみの情念が光となって飛び散ります。周囲の人間は力を奪い取られ、しばらくは立つこともできないでしょう」

「その効果が及ぶ距離は?」

「そのクリスタルの大きさなら、視認できる程度の距離であれば問題なく効果を発揮するでしょう。近ければ近いほど確実ではありますが」

「俺には呪いの効果は出ないんだな?」

「そうですね、厳密に言うと、この呪いの対象はクリスタルを割った本人以外の周囲すべて、無差別です。割った人間が力を奪われることはありません。それと注意点として、この呪いはあくまで力を奪うだけ。直接、死に至らしめるまでの効果はありません。よろしいですね?」

「望むところだ。あいつ以外の命を奪うつもりはない。あいつと周囲の警備が無力化できれば、それでいいんだ。あいつにとどめを刺すのは、この手でだ」


 男は怒りに血走った目で腕輪を見つめ、両手を握りしめた。

 その様子を意に介さず、宝石商は右手を開いて前に出す。


「さて、商品がそれでよろしければ前金を頂けますか」

「半額だったな。残りはこれを使った後だ」

「成功をお祈りしておりますよ」


 宝石商が代金を受け取ると、男は足早に倉庫から立ち去っていった。


   ◇


 それから一月ほどの時間が経ち、黒い石仮面をかぶった宝石商は後金を受け取るため、再び取引場所である倉庫の前に来た。

 男の姿はなく、宝石商は周囲をうかがいながら倉庫へ向かう。

 宝石商が倉庫の扉に手をかけた瞬間、中から男の手が伸びて、宝石商は倉庫の中に引きずり込まれた。

 その力は人間離れしていて、宝石商は引っ張られる勢いのままに投げ飛ばされ、倉庫の床に転がる。


「やってくれたな」


 後ろ手に倉庫の扉を閉めた男が、宝石商をにらみつけた。

 男の顔は一月前に呪いの腕輪を買った者だが、その体は二倍近くにふくれ上がっていた。

 顔や首など、地肌の見える部分には血管が網の目のように浮き出ている。

 そしてその歯は、彼が買った腕輪のクリスタルのように紫色に染まっていた。


「俺になにをした! いや、それよりも俺の身体を元に戻せ!」

「これはおかしなことを言われる」


 宝石商は身体を起こすと、仮面の下の瞳を男に向けた。


「戻すもなにも、その身体はあなたのものでしょう。その身体の変化は、あなたが呪った相手から奪い取った結果ですよ」

「なにを言っている。そんなことは聞いていないぞ」

「私は言いましたよ。周囲の人間の力を奪い取る、と。それに、役に立ったでしょう? それだけの力があれば、あなたが呪いたかった相手を殺して、なおかつ逃げ切ることは実に簡単だったはずだ」


 男が言葉に詰まると、宝石商は何事もなかったように立ち上がる。


「しかし、そこまで目に見えて変化した人は初めて見ましたよ。どれほどの無関係な人間を巻き込んだのでしょうね? それだけの力を奪い取り、自分のものにできたのであれば、そうそう死ぬこともなくなりますよ」

「お前!」


 男が宝石商のえり首をつかみ、その身体を持ち上げる。

 宝石商は男の口、食いしばった紫色の歯を見て、関心したような声をもらした。


「あなたは呪いと相性が良かったようですね。あなたが持っていた呪いの感情は、あなたの身を全て染めるほどだった。その歯の色がなによりの証です。やがて爪が、皮膚が、血までが紫色に染まるでしょう」

「俺は、そんなつもりじゃなかった。そこまでやるつもりはなかったんだ。あいつの命さえ奪えれば、それでよかった」

「恨む相手の命を奪うため、周囲の人間を無差別に呪っておきながら、そんなことを言うのですか? すでに実行したことを、なかったことにすることはできません。それが奪うということです」

「俺は、元には戻れないって言うのか」

「ええ。寿命も、力を奪った人の数ぐらいは伸びていると思いますよ」

「人をだましておいて、まるで他人事だな」

「だましたつもりはないんですがね。なんなら、私の命も奪いますか?」


 宝石商は自分の首を叩き、男の口に向けた。


「その紫の歯で食いつけば、私の力も奪うことができるでしょう。さあ、どうぞ。ここがおすすめですよ」


 男はしばらく宝石商の首筋を見ていたが、やがてつかんだ手を放し、背を向けた。


「いや、お前は殺さない」

「いいのですか?」

「もうたくさんだ。俺はこれ以上、誰からも奪わない」

「その身体はもう元には戻らない。あなたはもう普通に生きていくことはできないでしょう。虐げられて生きるより、奪い続ける側に回るほうが楽ですよ?」

「それでもだ」


 男はそのまま、倉庫から出て行った。

 一人残された宝石商は、床に座ったままため息をつく。


「あれだけ他人から力を奪っておいて、あれだけ私にあおられたのに、私の命は奪わなかったのですね」


 つぶやきながら、宝石商は石の仮面を外して床に置いた。

 その歯は鮮やかな紫色に染められている。


「あなたがその歯で私を食べてくれれば、私がこれまで奪ってきた力ごと奪ってくれれば、私はここで死ねたのに」

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死なせない程度の呪い 海原くらら @unabara2020

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