第23話 意図した通りに子どもは育たない

 翌朝、やはり柚月は学校に行かないと言う。

「どうして行きたくないの?」と尋ねたくなったけれど、その言葉をグッと私は飲み込んだ。この一言で朝からバトルが始まったことを懐かしく思った。

 「この子の選択を受け入れよう」

 そう心に決めたならば、朝だって心地よく迎えられる。もちろん、どうなるのだろう?と言う不安をあげればキリがない。

 「この子の人生を信じる」

 言葉にするのは簡単だけど、なかなか難しいよって思う。

 「ねえ、お母さん。勉強が難しいんだよね」

と言って食卓に教科書を持ってきた柚月。無理もない。ずっと休みがちだったのだから。それでダイニングテーブルに教科書を広げた。今日は一日、彼女に付き合ってみようかな、と思った。

 リビングでは翔也が相変わらずゲームに熱中している。いつもの光景だ。イライラしたって仕方がないじゃないか。

 ところが、勉強を始めてみて驚いた。小学生の勉強とはいえ、なかなか難しい。最近の小学生は、こんなに難しいことを学んでいるのだろうか。

 悪戦苦闘する私に、翔也が一言、

「俺ならわかるけどね。結局さ、学校行ってても行ってなくても同じじゃない?って思えるんだけど」

と憎まれ口を叩いて出ていった。

 祖母のところに行くのだろうか。憎まれ口を叩ける関係になっただけ、前進だと思うことにしよう。

 「学校を休みがちだからさ、わからないところがあっても仕方がないわよ」

すると、柚月の表情が曇った。

「やっぱり学校に行かないのはダメなことなのかな…?」

「ダメかどうかはわからないけど…。みんなが学校で勉強してる時間、柚月は家で何をしているの?」

「私?う~ん、絵を描いてる…。絵を描くの、好きなんだ」

 柚月は翔也に比べると、おとなしい性格で、幼稚園でも一人で遊んでいることの方が多かった。

「もっとお友達と遊んだら?」

と尋ねる私に、

「一人の方がいいの」

と答える幼稚園児だった。私はなんだかとても心配だった。他の子のように、みんなで遊んでくれたら、どれほど私を安心させただろう。

 「そうね…。柚月が家で絵を描いて遊んでいる間、みんなは我慢して勉強しているのよ。休んでいたら、どうしたって勉強は遅れてしまう。それは仕方がないことよね」

「やっぱり我慢してでも、辛いことややりたくないことをやった方がいいのかな」

 私だって、そんな生き方ができるならしてみたいよ。やりたくないことはやらないなんてこと、できるわけないじゃない。人生は我慢の連続だもん。

「私ね、将来、絵を描く仕事がしたいんだ。好きで得意なことを仕事にしたいの」

 私は困ってしまった。「そんなこと。できっこない」と、すんでのところまで出かかって口を塞いで、

 「じゃあ、そのためにも、まずは勉強ね」

と、にこやかに答えた。ところが柚月ときたら、その答えがいかにも不満だったらしい。

「ねえ、どうしてまずは勉強なの?算数の勉強も、理科の実験もお絵かきには関係ないじゃん」

 答えに窮した私を、いつの間にか柚月の隣に座っていた天使がニヤニヤした顔で見てきた。

 「だから、まずは勉強して…、それで高校に行って、美術大学とかに進むのがいいんじゃない?やっぱり大学で学ばないと」

「でも、ゴッホもピカソもシャガールも、大学には行ってないよ。美術学校で学んだんだって。私、学校で調べたんだ」

「それは時代が違うでしょ?無理よ、無理」

 柚月の顔がますます曇っていく。

 「ねえ、お母さん。私の絵を見てよ」

と行って、テーブルに数枚のデッサンを広げた。私の目にも彼女の才能が認められた。それでついつい「ここをこうしたら、あそこはこうしたら」とアドバイスを送った。

 すると、柚月は何が不満だったのか、

「もう、いいよ」

と言って、そそくさとデッサンを片付けてしまった。

 「あんた、本当にバカよね~」

天使は呆れた顔で言い放った。私は柚月の手前、返事をすることもできず、ただ黙って聞いていた。

 「いい?アドバイスはいらないのよ。柚月はただ聞いてほしかっただけ、応援してほしかっただけ。この子の人生はこの子のものよ。夢を叶えるのも叶えないのも、この子の選択の結果よね。親にできるのは、応援し貢献することだけじゃない?」

 私は黙ってうなづいた。

「子供は意図した通りには育たないものよ。あんたのアドバイスなんて、親の意図丸出しよ。ついでに言うと、あんたはバカ丸出し」

 私は思わず、机を蹴った。それを柚月は自分が叱られたと勘違いしたようで、

「ごめんなさい」

と言った。

 「いや、そういう意味じゃないから。足が当たっただけよ。お母さんはね、あなたのことを思ってアドバイスを送ってるんだからね」

と嫌味を込めて言った。ところが天使ときたら、再び私の顔を覗き込んで、

「あら~、嫌だわ~。子どものため、とか言っちゃって。それ、全部自分のためじゃない?」

 天使は席を立つと。私の隣に座り直し、どっかりと腰掛けた。

「たとえば、あんたが家族のために一生懸命料理を作るじゃない?一番の得意な料理は何よ?」

と耳元でつぶやく。

「ビーフシチュー」

私は小声で答える。

 柚月が「エッ?」と聞き返すので、

「あっ、独り言よ。今晩はビーフシチューにしようかなと思ってね」

ごまかす私に、訝しげな表情を見せた。

「じゃあさ、そのビーフシチューね。ママ、あんたの渾身のビーフシチューよ。丹念に玉ねぎを炒め、じっくりコトコト煮込んだビーフシチューよ」

そう言うと、天使のお腹が「ギュルギュルギュル~~♪」と鳴った。

「そのビーフシチューをテーブルに並べたら、家族がアドバイスをくれるわけよ。旦那は盛り付ける皿を変えた方がいいと言う。翔也は、量が足りないと言う。柚月は、このシチューの味付けは何かが足りないとか言うわけよ。あんたなら、なんて言う?」

 意地悪な天使は、本当に意地悪な質問をしてくる。

 「じゃあ、食うな」

それを聞いて、柚月がビクッとして、私と目を合わせた。

「あっ、柚月に言ったわけじゃないからね」

と答えると、彼女は

「わかってる」

とつぶやいて、また教科書に目を落とした。

 「あら、おかしいわね~。家族はみんな、あんたの料理がより美味しくなるように、アドバイスをくれたのよ。愛よね~、愛。アドバイスは愛なんでしょ?」

「そ…、そんなの、愛じゃないし…」

今度は柚月に聞こえないように、小声でささやいた。

 私にはもうわかっていた。子供は意図した通りには育たないのだ。それなのに、コントロールしようとしていた。自分のことですら変えられない私が、この子を変えようとしていたのだ。

 アドバイスを送るほど、柚月の顔は曇っていった。全部、私のエゴなんだ。この子の人生はこの子のもの。この子の人生を信じるだけじゃないか。

 いつまでもいつまでも、同じところをグルグルしている自分のことを心から恥ずかしく思った。

 「柚月、ごめんね」

 今度は自然に言葉があふれた。

「柚月の描いた絵、お母さんにもう一度見せてくれる?」

と頼んだ。

 柚月は驚いた表情で、恐る恐る自分の描いた絵をテーブルに並べた。私は一つ一つにじっくり目を通した。

 それはやはり何度見ても上手だった。この子には才能がある。絵を描くのも好きだ。それを信じてあげればいい。応援してあげればいい。アドバイスはいらないんだ。

 「すごいね、柚月。お母さん、絵のことはよくわからないけど、上手なことだけはわかるわ。応援してるね。うん、応援してる」

 それを聞くと、柚月は満面の笑みを浮かべた。その顔は、今まで見たことのないような表情だった。

「ありがと!私、うれしい。がんばるね。学校もできるだけ行くから。心配しないで。毎日は無理でも、ちゃんと行くからさ」

と言うと、教科書をさっさと重ねて席を立った。どうやら相談したかったのは、勉強ではなかったらしい。

 「お母さん、ありがとっ!」

と言い、それから彼女は視線を私から外して、

「天使さんもありがとね」

と言って部屋を出た。

 私と天使は顔を見合わせ、口をあんぐりさせていた。


イジワルな天使の教え12

 『意図した通りに子どもは育たない』

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