第24話 見てないようで見てる
今日は柚月の授業参観だった。柚月はその後も休まず、学校に通っていた。「宿題をやって来ない」と先生から電話があったのだが、催促することはしなかった。彼女にとって、勉強はそれほど重要ではないのだ。そのことを親である私が理解していればいいじゃないか。
だが、教室に行くと面食らってしまった。授業参観だというのに、彼女はひたすら静かに鉛筆を走らせていた。辛うじて教科書は開いているものの、チンプンカンプンのページを開いている。
彼女は広げたノートに、もうひたすらお絵描きをしていた。先生もお手上げのようで、注意すらされない。
教室を見渡すと、やはり落ち着きない子供が数人いた。何度も席を立ち注意をされる。補助に入った年配の女教師が目を光らせ、繰り返し座るように促す。その後ろでは、別の男の子がひたすら一人でしゃべっている。隣の女の子が迷惑そうな顔をしている。年配の女教師は、今度はそちらに気を配る。先生の仕事も大変だと思った。
それは算数の授業だった。三角形を二つ縦に重ねたようなネパールの旗の面積を計算するという。その方法をみんなで話し合って考えるのだという。
画用紙に描かれたネパールの国旗を前に、みんな悪戦苦闘している様子は微笑ましくもあった。
とうの柚月ときたら、今度はその画用紙の裏にまで落書きを始める始末だ。
あの子の丸ごとを受け止めようと思ったけれど、これじゃあんまりだ。そう思った瞬間、
「あっ、天使さん!」
と柚月が大声を出したものだから、周囲の視線が一気に彼女に注がれる。
私はびっくりして、柚月ではなく廊下に目をやった。
「あのバカ天使…」
天使が教室の窓から授業参観をしていたのだ。何を喜んで手を降ってんのよ!他に見える子がいたら、どうすんの?もう腹わたが煮えくりかえる思いで、私は廊下に急いだ。
「ほら、柚月さん。授業中だから、静かにしてね。お絵描きしてていいから、静かにしてましょうね」
担任の先生が言葉には妙な棘があったのが気になった。だが、今はそれどころではない。
「ちょっと、あんた、何やってんのよ!」
私は誰にも聞こえないよう、細心の注意を払って声をかけた。
「あら、ママ。大丈夫!誰にも見えてないって」
「そんなのわからないじゃない!現に柚月には見えているのよ。他にあんたのことが見えてる子がいたって不思議じゃないのよ」
ところが、天使ときたら私の話になんてまるで興味がないようで、教室の中を覗き回していた。
「これが教室ね。なんだか楽しそう。私も行ってみたかったなぁ」
と言いながら、教室の中へと入っていってしまった。そして、
「ママ、心配なんていらないって。アタシと柚月は特別だからさ。そういうこともあると思うんだ」
と言葉を加えてうれしそうにした。
私も仕方なく、この天使に付き合う。内心、他の子供に見つからないか、ハラハラしていた。
柚月が時折、こちらに手を振ってくる。どうやら、その視線の先は私ではなく天使の方に向いているように見えた。いや、明らかに天使に手を振っているのだった。
授業など一切耳に届いていないようで、絵を描くか、こちらに手を振っている。これでは、勉強などわかるはずもないし、彼女が学校に行きたくないのもわかる気がした。
授業の終わりを知らせるチャイムが鳴り響くまで、終始そんな調子だったものだから、まるで生きた心地のしない授業参観になってしまった。すると、私の肩をポンポンと叩いて、声をかけてくる人物がいた。
「柚月さんのお母さんですよね、ちょっとよろしいですか?」
それは、先ほどの年配の女教師だった。
「私、柚月さんのクラスの補助で入らせてもらっている高橋と言いますが、お子さんのことで、ご相談がありましてね」
私は思わず息を飲んだ。もう何を言われてもいい。覚悟を決めて、私はその教師と対峙した。
「実は、私、専門が美術でして」
「はぁ…」
「柚月さんの絵の才能には驚きました。よかったら放課後、絵の練習を一緒にしたいのですが。彼女はすごいですよ」
そう言うと、柚月もうれしそうにその先生の元に駆け寄ってきた。私は頭が混乱して返事に戸惑っていると、
「お母さん、高橋先生ね、絵がすごく上手なんだよ。居残りして私にも絵を教えてくれるんだって。ねえ、帰るの遅くなってもいい?」
と柚月が尋ねた。
私は柚月が認められたことが、まるで自分のことのようにうれしくて、思わず人目を憚らず泣いてしまった。
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