第6話

「申し訳ありません……俺のせいで」


 営業を終えた後の店内で。

 エレーナさんとヴネさん、そして俺の三人は卓を囲んでいた。

 もちろん議題は例の『反逆罪』についてだ。

「まったくです。一体あなたはどうして水吐き魚などに興味をそそられたのですか? あれはお嬢様や私に取って、現領主と同じ位に憎たらしいものなのに」

「本当に面目有りません」

 嗚呼、これはここまで悪手だったのか。

『水吐き魚』なんていう名前からそいつがフグであろう事は容易に想像できていたし、もしもそれがトラフグであったら俺に取ってまたと無いチャンスに成り得る。そう単純に板前脳で考えてしまったのが失敗だった。

 ちょっと冷静に考えてみれば、彼女達があの魚を蛇蝎の如く嫌っているという事は簡単に予想できた筈なのに……

「シンゴさんのせいではありませんよ。水吐き魚は単なるきっかけに過ぎません。例え今日の事が無かったとしても、必ず何かしらの理由を付けて私を責めに来たでしょう。あれはそういう男です」

 怒りに眉を吊り上げたエレーナさんが吐き捨てる様に言う。

「でもお嬢様……選りによって水吐き魚です。しかも、またしても王室献上の時期に。あの者、これを利用して前回自分が犯した罪を今度はお嬢様になすり付けるつもりですよ。まったくどこまで性根の腐った男か」

「きっとそうするでしょうね。今日の衛兵は単なる挨拶みたいなもの。このまま放っておけば、近い内に王政庁より査問官がやって来るでしょう。そういった手管に長けた相手ですから」

 二人は俺のよく判らない事を話し合いながら、深刻な顔。

「それって、大変な事なんですか?」

「大変なんてもんじゃありません!」

 いっそ間抜けな俺の質問に、ついにヴネさんが切れた。

「これでお嬢様に嫌疑が掛けられたらお終いです! 査問会で勝つ事なんて絶対に無理ですから!」

「て、その王政庁とか査問会とかって、何なんですか?」

 俺の問いに、エレーナさんは自嘲的な溜息と共に零した。

「我々貴族は通常の法で裁く事はできません。貴族を裁く事が出来るのは、国王直属の機関である王政庁のみ。そしてそこでは正義や真実よりも、王朝に対する政治力で罪が決まるのです」

「それって、ええと、つまり……」

「お嬢様が無罪であろうと、相手の政治力が強ければ確実に負けるという事です……先代の時の様に」

 儚げに頭を振りながらヴネさんが嘆く。

「父は……とても公明正大で優しい方でした……貴族としては不向きな程に……」

 エレーナさんも悔しげに目を伏せる。

「ここから先の流れは簡単に予想できます。あの男は遠からず、私に使者を送って来るでしょう。『この事は不問にしてやるから、自分に降れ』と」

「それを断ったら?」

「彼が王政庁に正式に訴え、査問が行なわれます。そうなればもはや政治力の無い当家に勝ち目はありません。罪人として処さるでしょうね……もちろん、そうなる前に私は服毒して自ら命を絶ちますが」

「どうして!?」

「貴族だからです。民を護り導くべき貴族が罪人になるなど、あってはならない事。例えそれが冤罪だとしても、その様な不名誉を被る前に自ら命を絶ち、その名を守るのも貴族の嗜みです」

 いっそ鮮やかな程に、彼女はそう言い切る。

「逃げてください」

 唐突にヴネさんが口を開いた。そして鋭い目付きで俺を見つめて。

「シンゴさん、お嬢様を連れてこの街から逃げなさい。あなたの腕ならどこに行っても料理人としてやっていけるでしょう。お嬢様を窮地に陥れた責任をお取りなさい」

「…………あ、あ」

「いけません」

 何か答えようとした俺とヴネさんの提案を、エレーナさんはばっさりと斬り捨てる。

「いくら落ちぶれたとて、私はリーンハイム子爵家の当主。処罰を恐れて逃げたとあっては、冥界で父に合わせる顔がありません」

「しかしお嬢様!」

 

 そのまま二人は口論を始めた。

 俺はそれをただ呆然と見る事しかできない。


 嗚呼、こっちの世界に来ても俺は無力なのか。

 前の世界ではヤクザの爺さんを救えず、こっちに来ても彼女を救う事ができない。

 ……まあ、所詮は只の板前だもんな。俺にできるのは料理だけだ。


 料理……

 そういやあの時も、料理でどうにかできないものかと色々足掻いたなぁ。全部無駄だったけれど。

 あの時は無毒フグ食わせたら俺が殺されて、今度は俺がちょっかい出したフグのせいでエレーナさんが服毒自殺……


待てよ……服毒……ふぐ毒……


 刹那、脳内にひとつのビジョンが浮かんだ。


「ヴネさんちょっと黙って! エレーナさん。あなたは逃げる気は無いのですね?」

 喧々囂々と口論を続ける二人に、そう切り出す。俺の口調が急に強くなったからか、彼女達はびっくりした顔で俺を見た。

「……ええ。逃げるつもりもあの男に降るつもりもありません。査問会に掛けられる様なら、父に倣い自ら命を絶って名誉を守ります」

 迷いの無い瞳でそう言い切るエレーナさん。

 そんな彼女に、俺も視線をしっかりと合わせて――言った。


「では。俺の料理で死んでください」



 ☆



 数日後。

 臨時休業の看板を下げた扉が開き、ひとりのエルフが店内に入って来た。


「本日はお招き頂き、恭悦の至り」

 

 気障ったらしい挨拶と共に、形だけは優雅な物腰で挨拶をしたのはもちろんフレイマージェ男爵。バラに似た派手な花束まで持参している。

その花束を脇に控えたヴネさんにぞんざいに渡し、エレーナさんの元まで歩み寄り彼女の手を取って甲にくちづけとかするその姿は端的に言って虫唾が走る。

「こちらこそ。お忙しい中、私如きの招待に応じてくださり感謝の極みにございます、『領主』様」

 最後の『領主』にことさら力を籠めて、彼女が応える。

 本来なら格上の子爵がへりくだった言葉を使うのはお前が領主だからだぞ、と言外に含ませている様だった。

「さあ、どうぞこちらへ。粗餐ではございますが、酒肴などをご用意しております。私共の心づくし、お楽しみ頂ければ幸甚に思いますわ」

 普段の素朴なエプロンドレスと違う、胸元の大きく開いた純白の豪奢なドレス姿で、彼の手を取り奥の一番大きなテーブルに促す。彼女のエスコートに、男爵はだらしない顔をして上座に腰を降ろした。

「まさか、貴女からご招待を頂くとは思いも寄らなかった。それで、ご用件とは?」

 下座に付いたエレーナさんに気障ったらしく、かつ厭味ったらしい小者感丸出しのニチャァッとした笑顔で男爵が切り出す。きっと奴は、エレーナさんがついに自分のものになるとでも思っているのだろう。


 そう。

 彼からの使者を待つ事無く、エレーナさんはこちらから先に使者を立てて彼を招待したのだ。

 きっと彼の脳内では、早くも自分に媚びへつらい命乞いをするエレーナさんが見えているのだろう。

 そんなだらしない顔の男爵様の前に、俺はずいっと身を乗り出して。


「本日はようこそいらっしゃいました。料理人のシンゴです。私の作る料理を楽しんで頂ければ、幸いに思います」


 わざとらしい挨拶をする。

 男爵は胡乱げに俺を見ると、フンと鼻を鳴らして。

「まあせいぜい美味い料理を作るんだな」

 と、例によってぞんざい極まりない態度。

 普段だったら苛立ちのひとつも覚える所だけれど、今日はさすがにそんな気にもならない。

「では……始めさせて頂きます」


 エレーナさん自らぶどう酒のボトルを取って、男爵のグラスに注いだのを見届けてから俺はテーブルの横に設置した簡易的な板場に立ち――


 足元の桶から、この晩餐の為に特別に用意した食材をドンとまな板に置いた。


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